2018年2月17日 (土)

未練

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 大好きだった「赤い靴」捨てましたーーー涙。

 イブサンローランの赤い靴は これが二代目。

 これを買ったのは、まだ股関節が悪くなる前だから もう20年以上前になる。

 股関節が悪くなってからも、踵が低いのでけっこう履いた。

 普通の人よりも歩く距離が短いから、靴はあまり傷まないんだけど、さすがに何年も履けば あちこちが傷だらけになる。

 この写真だけ見ると「まだ十分履けるじゃん」だけど、つま先の底よりの皮がめくれてるのがわかるはず。

 踵も同様にぼろぼろに剥げてる。

 道端に落ちてても誰も拾わないくらいぼっちゃくなってる。

 

 それでもずっと捨てられなかった。

 同じタイプの靴を買わない限りは捨てられない。 

初代から二代目は簡単に見つかったのに、こういうデザインは もう古いのか、なかなか巡り合えず。

…でも下駄箱に入れてあっても 傷だらけの靴は やっぱり履かない。

 数年間履かないまま、新しい靴が増えて 下駄箱に入りきらなくなってきた。

 だから意を決して捨てたよ…。

 燃えるゴミ(我が市では、革靴は燃えるゴミ)の袋に入れた時 『あぁ、この中に入れても違和感がないくらいぼろっちいわ』と思った。

 でも…でも…大好きだったんだよ~。

 この靴に一番合う花柄のワンピース(7号サイズをさらにウエスト詰めてもらった)は はるか昔に着られなくなって友達に押し付けた。

 どっちも大好きだった。

 日傘をさしてお出かけした日が鮮やかによみがえる。

 妥協して買った新しい赤い靴は、やっぱり全くの別物。

 あのデザインが欲しかったんだ・・・。 未練、未練、未練。

 だからと言って ゴミ袋から救出はしないよ。

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2018年2月 9日 (金)

甘酒を母に

 ここ数年、甘酒が静かなブームのよう。
 私はあまり好きじゃないので買った事が無かった。
 
 先日、ふと思いついて特養の母に缶入りの甘酒を買って行った。
 小さめのコーヒーカップに半分くらいを移してレンジでチン、熱すぎてもいけないので、ちょっと味見して火傷しないのを確認してからストローを入れて 母の口元へ。
 
 不思議にストローを口にするとちゃんと吸うのよねぇ。
 程よく熱い液体が母の口に吸い込まれていくのがストローを支える私の指にも伝わる。
おぉ 良い勢い。
 母も喉をごくごくと鳴らす。
 むせると困るので、ちょっとストローを外す。 ごくんとしてから、母が口を可愛く開く。
ああ、もっと頂戴って事だ。
 用心深くストローをまた母の口に。
 
 カフェオレなどを飲ませると3分の1から半分くらいしか飲まないのに、甘酒はあっという間に小さなカップを飲み干した。
 
 母は、甘酒が好きだったなぁ…。
 昔 母は酒粕を買って来て、(多分)ご飯粒を入れて小さな鍋で煮てた。父も好きだったのかもしれない。 ご飯粒を入れるのは 父の発想のような気もする。
残念ながら子どもの私は 全然好きじゃなくて、ストーブの上に甘酒の小鍋が載ってると「うぇ…今日のおやつは これか…」な感じだったと思う。
 
 母の記憶は衰えても、甘酒が好きだったのは まだ残ってたんだね。
その後、続けて缶入り甘酒を持って行き、先日は、固形の素を買ってみた。 フリーズドライの素をカップに入れてお湯を注ぐだけ。
味は同じだし、この方が鮮度が保てていいかな。
 甘い物の後には塩辛い物が欲しくなるから 小さな塩味の米煎餅をさらに小さく割って口に運ぶと これまたポリポリサクサクと良い音を立てて噛み砕く。
 そして甘酒をこくこく。
 
 うん、この組み合わせは良いわ。
 
 2年前なら「ゆうこぉ~ これ 美味しいねぇ」と言ってくれたかな。
・・・2年前だと「おいし! おいし!」だけだったかな。
 
  その日は、母のバッド交換にも立ち会った。
母の居る特養はオムツは無しで、施設が準備した伸縮性の高いパンツをはいて 支援員さんがパッドを交換してくれる。
 慣れた手つきで汚物を処理し清拭してくれる。
 本当にありがとう。
 
  その時 母の膝が曲がらなくなっている事に気づく。
それまでは、寝てる時や車椅子やソファーに座ってる時 母はいつも膝をきゅっとくっつけてて『お上品だこと』と 娘は呑気に思っていた。
 そしたらね…「膝の拘縮が始まってるんですよねぇ…仰向けに寝てる時 無理して伸ばせば伸びなくは無いんですけど」と支援員さん。
 そっと足を伸ばしてみたら・・・完全には伸びなかった。
 
 私も股関節の手術後、動きを規制されてるので、動かし始めた時は 手術とは無関係な関節が固まってて動かすと痛かった。
 
 ああ、母はずっと寝てるか座ってるか…だったから、膝の関節も固まってしまったんだなぁ…。
 
 認知症が始まりかけた頃でさえ「歩かないとボケるから」「歩かないと足腰が弱るから」「今日は40分歩いて来た」と 近所の散歩を欠かさなかった母だったのに…。
 
 手指のマッサージだけじゃなく、次からは膝を温めて動かしてやらないと。
 
 …自分の股関節が思うようにならないのに 母の心配ができるなら、私もまだ大丈夫かな。

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2018年1月31日 (水)

真心に守られて

 
 日曜日、信仰している宗教の総本山へ 末寺から貸し切りバスでお参りに行って来た。
 
 その前の水曜日、うっすら粉雪が積もったベランダにゴミを出そうとして 右足が滑った。
左足が室内に残っていたので転倒は免れたけれど、右足付け根の後ろ側に変な痛みが。
あ~~右の人工関節にダメージ与えてしまった!
 
 左股関節の痛みを『日常の痛み』として健気に受け入れつつあったのに…。
それまで『右が痛くなくてありがたい』だったのが『右までダメじゃん…』となり、すっかり落ち込んでしまった。
 
 木・金と時間が過ぎても 近所の道のあちこちが凍っている。
どこが凍ってるか分からないようなところへ行くのは不安だ。
足がすくむ。
 28日(日)の参詣、車椅子で行くかなぁ…その方が安全だけれど、車椅子は 積み下ろしやスロープ目指して遠回りや 色々 面倒なんだよなぁ…。
 
 そして『行くの やめようかな』と。
お金は払ってあるので、私が行かなくても 他の皆さんに迷惑かける事もないし。
 
 そこに現れたのが 病気友達のみぃさん。
ちょっと前に、彼女の得意な色鉛筆画の作品が表彰された件で、手紙を書いた。
お祝いのはずが、足の痛みの愚痴も…。
 その状況を心配してくれたみぃさんが 長文のメールをくれた。
アドバイスとか背中を押すとか そういうのとは別次元の言葉をたくさん貰った。
 
 そして彼女に返信メールを打ち始めた時は『参詣 やめる』つもりだったのが、打ち終わる頃には なぜか『車椅子で行こう!』に変わってた。
 
 不思議だったなぁ。
 
 さて、貸し切りバスでの参詣は、いつものように老若男女和気あいあいで出発。
 
 私よりもうんと年上の方たちはお元気で 私のお世話をしてくださる。
ありがたく甘えさせてもらう。
 
  総本山の広大な境内では、気圧の変化でふらっとした年配男性と私の二人だけが 住職の車で移動させてもらえて、寒くも無く車椅子の長距離移動で疲れる事もなく。
 
 短距離の車椅子移動では「押そうか?」「ここは自分で行った方が楽なんです」「じゃあ見てるね」と 自然体のサポート。
 
 いつも参詣の手続きから 当日の仕切りをしてくれる若い夫婦にも あれこれ気遣ってもらい「あぁ来て良かったなぁ…」と何度も思った。
 
 本尊にお目通りし、たくさんのご祈念と 最後は『春の参詣にも来られますように』
 
 無事に貸し切りバスに戻り、出発を待つ間に
「トイレ 行く人は 今のうちに行ってくださ~い」と、仕切り担当の若い夫君。
私は本堂からバスまで住職に車で送ってもらったので、トイレに寄れず。
発車待ちのバスからトイレはちょっと距離があるので、PAで行けばいいけど、念のため 次の休憩予定を尋ねると
「最初のSA休憩は1時間半後くらいです」
え~1時間半後かぁ…もつかなぁ…でも 今 私がよちよちと行く時間の余裕あるかなぁ…。
私の迷いを見越したように「出発までは まだ余裕ありますよ~」と若夫婦。
それでも、バスから見えないところにあるトイレだもんねぇ…と まだ迷っていると、小・中学生のお孫ちゃんと一緒に来ているMさんが「花桃さん行くの? 一緒に行こ!」と。
その一言で決心がつき、バスから降りると バスの運転手さんがわざわざ降りて「車椅子出しますよ」
長いスロープへ回るのが面倒だったし「ありがとうございます。杖で行きますから、大丈夫です」
 
 …階段を手すりと杖で行く方が楽かなぁ…スロープで遠回りして時間かかると 皆を待たせちゃうかなぁ…どうしようかなぁ…と 一瞬 迷ったら またもMさんが
「私 こっちから行くよ!」とスロープの方へ。
下の小学生のお孫ちゃんまで付き合わせてスロープを歩いてトイレへ。
 
 さり気ない真心に涙が出た。
 
 帰りはバス旅行みたいで いつも楽しいんだけれど、今の私は暗くなると足元が見えず、転倒回避の為にバスから降りられないので、明るいうちに寄った最初のSAでサンドイッチなどを購入。
 念の為にトイレも済ませて、もうここから2時間は降りない支度。
 そしたら2度目のSAで降りなかった私に、戻って来たMさんが「はい、花桃さん、これ食べて」とお菓子を膝に置いてくれた。
 
 無事に末寺に到着。
 
 暗くなると運転できないからタクシーを呼ぶつもりの私に またも「私が送っていくよ。車取ってくるから ここで待ってて」とMさん。
 お寺から駐車場まで ちょっと歩くんです…。
 
 ありがたく待って、車椅子を積み込んでもらった時、お寺の玄関から「あ、これ 誰の忘れ物かな!」と声が。
ぎゃぁ~~~私の手提げ袋(ひざ掛けや食べ物入り)
 
 若い人たちが最後まで残ってくれてて 忘れ物まで見つけてもらった。
 
  ああ、本当に来て良かった…。
色んな人に「ありがとう」を何度言っても足りないくらいの嬉しい気持ち。
 
 マンション前でMさんに車椅子を下してもらい、最後の難関。
 マンション正面玄関の3段の階段を上がる為には、車椅子の座面に載せた荷物を先に上げ、車椅子を畳んで私が持ち上げるしかない。
 
 かすかな期待を持って駐輪場を覗くと…なんて事! 扉の前に車椅子ぎりぎり通れるスペースが空いてるじゃん!
 
 この駐輪場はいつも満車で扉が開閉できない事が多い。
昼間、住民が外出してる時ならまだしも、夜間のこの時刻に ここが空いてるなんて奇跡。
 私の為に空けておいてくれたみたい。
 
 みぃさん(妖力持ち・私の事をまるでどこかから見てるかのような対応をしばしばしてくれる)が『無事に参詣してこられるように』祈ってくれてたんだろうなぁ。
 
  真心と不思議な力に守られた参詣。
 感謝の気持ちをエネルギーに換えて頑張るぞーーー!
 
 …となるべきなんだけど、帰宅して3日たつと …やっぱり左股関節が痛いよ、なんか色々 面倒だよ~(苦笑
 
 

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2018年1月22日 (月)

愛人の心構え

 
 男の夢の為に、彼はほんの短い間だけ、私の側にいる・・・それでも私は十分幸せ。
ちゃんと最後は本妻さんの所に帰るのも覚悟してる。
ちゃんと笑って送り出すよ。
…そのつもりだったのに、側にいる時間が長くなってきたら、ずっとこのまま側にいてほしい・・・もしかしたら結婚してくれるんじゃないか? と 思い始めちゃってる。
 
 物騒な件名から本文に繋がりましたが…
寿人の移籍により 私が勝手に『本妻・広島』と『愛人・名古屋』の構図を創り上げ妄想してるだけでございます。
 
 ほんとに、1年だけのつもりだったんだ。
 
 1年前、初めてグランパスの練習を見学に行った帰り道、私の住まいに近づく川の橋を渡った時『異次元から現実の世界へ帰って来た』と感じた。
寿人の居るグランパスの練習場は 私にとって『異次元・夢の世界』だった。
 
 この橋 1年で何回渡れるんだろう?
今季の終わり頃は どんな気持ちで渡るんだろう? J1復帰を果たしてるんだろうか?の心配も。
 来年の今頃、同じ季節の中、私はここを渡るんだろうか? 寿人の居ない練習場へ行かないよね…と思ったのを覚えている。
 
  2017年 開幕戦直前、ユニフォームにサインを貰いに夫と練習場へ行った日は、テレビ局の取材があったようで、他の選手がどんどん帰る中、寿人だけが なかなかクラブハウスから出てこなかった。
 暮れていくグラウンドを見ながら『寿人がここに居ない日が来るんだよね』と 切なく思ったっけ。
 まだ始まってもいないのに。
 
 そんな大切で貴重な1年は あっという間に過ぎた。
 
 サンフレッチェ広島時代、私が練習を見学できるのは、試合観戦に行く時の『前日練習』のみ。
 試合観戦は年に7~9回で、前日練習から行けるのは そのうち2~3回。
名古屋に移籍して 見学に行きやすくはなったけど、夏場は体調優先で行かないし、良い季節でも 色々 タイミングが合わず 結局2017年は 平均すると月に1回 行ったかどうか…くらい。
 思った程 行ってないな…。
 
 広島の友達が 大好きで信頼関係もできてた選手が移籍した直後の事を思い出してツイートしてた。
『練習場へ行って いないのを確認して ああ 居ないんだ…』
その当時は そんな話 聞かなかったし、聞いたとしても きっと実感としては分らなかっただろうな。 今なら すごくわかる。
 
 私は 彼女ほど 練習見学もしてないけど『寿人ありきのグランパス・寿人と共にグランパスファンに移籍』なので、寿人が居る練習場しか知らないんだよね。
 
 『寿人のミーハーファン』なので、寿人が居なくなったら 練習見学に行く事も無くなり、寿人が居ないのを確認することも無いとは思うけど。
 
 1年前の今頃「来年の今頃は居ないんだから」と覚悟して 嬉しいのに切なかったのがよみがえる。
 
 それが・・・今年もグランパスの寿人を応援できるんだよね。
去年は「神様のプレゼント」だったけど、今年は「こんな幸せでいいのか?」です。
もちろん地元チームの選手として寿人を応援すると 勝敗やゴールにも過敏になり、シンプルに楽しむよりも心配の方が大きくなりもする。
 
 でも やっぱり近くで応援できるのが嬉しいんだ。
 
 以前から私が寿人ファンなのを知ってる地元の友達や知人は、他の人達よりは寿人に関心を持ってくれてたけれど、グランパスに来てからは 反応が一層 大きくなった。
 
 「今 〇〇〇に寿人選手とご家族がいるのよ!」と電話してくれた友達。
普段は落ち着いていて 私と違って全然ミーハーなところが無いMちゃんが「こういう服装で…奥様はこんな髪型で、お兄ちゃんはこうで…」うん、間違いなく寿人一家。
「〇〇のお店に入ったわ…〇〇をお買い上げみたいよ」と実況中継してくれた事があった。
 その話を共通の友達に話した。
「あのMちゃんが こんなに興奮して電話くれて…それよりも よく寿人を見つけたなあと思うわぁ」
スポーツ選手って 私服で街中に居ても ファンでもない限り気づかないと思うの。
新聞やテレビに出る写真は プレー中だったり、ユニフォーム姿だったりして、普段とは顔付も違うから。
そしたら この友達は「私だって絶対にわかる」と断言。
へぇ~~ 彼女がそこまで関心持ってくれてたことも驚きで嬉しい。
そう言うと「私に限らず、花桃を知ってる人は みんな寿人選手の事もわかるってぇ」と。
 
 また別の年上のお姉さまは「テレビなんかで あの子の笑顔見ると こっちまで元気になっちゃうのよねぇ」と。
 『あの子』なんです(笑)
 今年は観戦に行きたいと年賀状に書いてくれた友達も複数。
 こうして私の周りでは『グランパスの寿人』が定着しつつあります。
 
 ずっと居てほしいな。愛人の覚悟が揺らぐわ…。
 
 ダメダメな愛人は、12月23日、広島の飲食店のインスタグラムを見て
「え~寿人  子どもが冬休みになった途端に広島か~」と ちょっとふくれる。
「そっか…冬休みになってすぐに広島へ帰って、年末年始は名古屋なのね」と思い直す。
 次は30日に「宮島に佐藤寿人がいた」とネットで見て「え~~30日なのに まだ広島~?」と またふくれる。
 そしてサンフレッチェのチームメイトとの『大晦日の会食』の写真があがり「いつ帰ってくるのよーーー!」
 かつてのチームメイトの若手選手が「大晦日は大好きな寿人ファミリーと」とインスタグラムを上げ、寿人はグランパス公式のオフショットに 三男坊君の動画を提供。
 グランパスユニを着て、グランパスフラッグを持ったお馴染みの三男坊君だけれど、室内の様子が名古屋の住まいじゃない!
 年末年始も広島なのね…いつ帰って来るのよーーーーー。
 年が明けて、更新した寿人ブログには『長男と名古屋まで6時間のドライブ』
「6時間かけて名古屋に帰ってきた」じゃないのね…。
『仕事で名古屋へ行く』だよね。
 
 と、広島の小春ちゃんに 本妻広島への嫉妬を垂れ流す。 ダメ愛人。
 
 今季のサンフレッチェ広島の新体制・・・11番は まだ空いたまま。
ちゃんと空けておいてくれてるのよね。
 寿人ファンとしては すごくありがたい。
 でも…愛人名古屋(名古屋の愛人ではない)としては複雑。
 
 寿人が広島に戻る時は、私も一緒に戻るだけじゃんって 以前は言ってたけどさぁ…やっぱり近くで応援できる幸せを知ってしまうと、よそへ行っちゃやだーーー。
 
 はい、愛人失格。
 
 ヒサ婆の分際で 愛人論を語ってしまいました。
笑って許してやってください。

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2018年1月16日 (火)

あっちもこっちも痛い…涙

 新年早々…実は年を跨いで 憂鬱な日が続いています。
 
 2017年暮れ、翌年の年賀状のコメントは『脚力が落ちて老化が進行しています』ってのが基本だった…。
 
 思い起こせば、2017年 年明け早々に、布団の上でちょっと躓いた時、左股関節に嫌な痛みが走った。
 健常な人なら『ちょっと筋を違えたかな』って感じでしょうね。
私の場合は『人工関節にダメージ与えたかな』
 激痛ではない『嫌な痛み』は、その後ずっと続いた…回復しなかった。
その痛みが『私の普通』になっていった。
 
 で、夏の亜脱臼。
 これも今思うと『人工関節が緩み始めてたから亜脱臼を起こした』んだろうなぁ…素人ドクターもどきの見解(笑
 
 ここからは、すべてが素人ドクターもどきの独断と偏見による妄想です。
 
 亜脱臼は自然治癒できたから良かったけど、あれからまた一段階 左股関節は弱くなった。
 また脱臼するのが怖いから用心するし、左股関節を庇うから腰や膝に痛みが出る→変な歩き方をする→更に股関節に負担→痛みが増し庇う→なるべく歩かない→更に筋力が落ちる・・・負のループ。
 
 毎朝、起きた直後、室内が歩きにくいのに気づいたのは 去年の春だったかな。
最初はスリッパが悪いんだと思って 違うデザインのものに替えた。
 一瞬はそれで改善できた気がしたけれど、結局『歩きにくい』のが普通になってしまった。
 
 外出時は滑って転ばないように地面を踏みしめたり、そろそろと歩いたり。
下りのエスカレーターは 見えにくいのも手伝って恐怖! なるべく避ける。
 そもそも外出は、日常の買い物・仕事・ボランティア・母の特養訪問・友達と会うくらい。
車から店や建物へ徒歩5分くらい。
 一番歩くのがスーパーの中での買い物(笑
 
 唯一、サッカー観戦はスタジアムが広いから けっこう歩く。階段も上り下りする。
亜脱臼の後や あまりに痛みが酷い時は、ぴっちぃ号(マイ車椅子)使用。
 でも豊田スタジアムの車椅子席は、最後列で私の目では選手が…いや寿人が見えにくい。
 葛藤しつつもステッキや車椅子を上手く使って、1年間 グランパス寿人を堪能できた。
 
それが無かったら、本当に必要最小限の歩きしかしなくて、もっともっと脚力落ちてただろうな。
 
 なのに・・・なのに・・・。
 ここんとこ、左股関節の痛みが急激にひどくなってきてる。
『骨頭壊死により 股関節の変形が始まった頃』と似た痛み方。
 
 おまけに、右足の裏が痛み出し…。
これは、以前にもやり 自分で『モートン病』と診断。 湿布などで誤魔化してるうちに治った経験がある。
 今回は踵なので、足底筋膜炎かもしれないなぁ。
 ネットで調べたら、これもよくある病気みたいで、モートン病と同じように自然に治るんじゃないかと楽観してる。
 
 それよりも重大なのが 左股関節。
 こればかりは自然に治る事が無いんだよね。
 ちょっと前までは、寝てる時は痛みが無く、目覚めて起き上がった時 嫌な痛みが走り「あぁ~」と朝一番の『気が滅入る』瞬間だった。
 近頃は寝てても ちょっとした動きで痛み、目覚めた瞬間に「あぁぁ~痛いなぁ」となる。
 痛みの強さで言えば、右足裏の筋膜炎の方が強いんだけど、股関節の痛みは『これから逃れるには人工関節置換手術しかない』と発展するので、負のイメージで痛みが倍増する。
 気が滅入って仕方ない。
 
 車の乗り降りも痛みの為に ちょっと難しくなってきた。
これも慣れていくんだろうね…。
 2012年、左の人工関節置換手術をする前までは、この痛み(多分、今よりももっと痛かった)が日常的だったんだよね。
 PCの前にじっと座ってる時は、ほとんど痛くないけど、椅子から降りる時が痛い。
「うっ!」と唸る程の痛みではないんだけど。
 人工関節の緩みを実感し憂鬱になる。
 
 ただの筋肉炎だといいなぁ…。
 少しずつ痛みが和らいで いつの間にか忘れてるってなるといいなぁ。
 
 花桃ブログを読んでくださってる人にはおなじみの『花桃思い込みで大げさに大騒ぎでした』だといいなぁ・・・。
 
 体のどこも痛くない…って どんな感じだったんだろう? 忘れちゃったよ。
 こうして座ってれば『体のどこも痛くない』状態なので、感謝しなきゃね。
ずっと椅子に座っていたい。
 
 
 

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