2019年5月21日 (火)

愛しい人②「母の居た部屋で」

 

 17日にお寺に遺髪を持っていって弔い、戒名もつけていただいた。

 そのお陰か、私は もう泣いてない。

年老いた母を送って後悔無く「ああ、これで良かったんだ」と思えるように。

 

 ただ 自分の記録として残したいので、もうしばらく『愛しい人』ブログにお付き合いください。

 

【5月16日(水)】

 母と別れて帰宅した夜、寝付けなかった。 3時半まで何度も寝返りをうち、母の事を思い出し、泣き、起き上がって また母の事を考えて泣き、ベランダに出て空を見て泣き・・・。

 5時半 目覚ましが鳴る前に目覚めてしまった。

 夫が この日の午後、荷物を少し取りに行ってくれることになっていた。

「君は絶対に無理はしないように」と珍しく強い口調で。

うん。寝てないし、無理したくてもできないもん。

 

 夫を送り出したら しっかり寝るつもりだった。

・・・それがね、母のタオルケットなどもあり たくさんの洗濯物を干して さあ寝るぞ! とベッドに横になったのに また次から次へと母の事を思ってしまって、泣けて、動悸がして、頭が冴えてしまう。

「おかあさぁ~ん、眠れな~い。あぁ~~~ん」と声を出して泣いて起き上がった。

眠れないなら、夫が取りに来てくれる荷物 少しでも分かりやすいようにまとめておこう!

それよりも、母の居た部屋に行きたかった。

 慎重に運転して施設へ。

表札はまだかけられたまま。 入所の時 家族に表札用の板が渡され、私が書いたもの。 マジックペンなどで ささっと書いた表札が多い中で、内心ちょっと自慢の『花桃入魂の表札』

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 数年前の母なら「娘が書いたんだわぁ」と それも自慢しただろうけれど、2年11か月の間、母はこの表札を認識した事なかっただろうな・・・。

 大量の母の持ち物・・・私が持ち込んだんだけど、こんなにあったのかぁ~。

窓を開け放ち、風を入れながらの作業。 汗がぽたぽた落ちる。 ちゃんと水分補給のペットボトルも持って行った。

昨日の今頃 まだここで母は生きていたんだ・・そう思うだけで また泣ける。

昨日の午後、ここにおめかしのワンピースを着て もう二度と動く事の無い母は横たわっていたんだ・・・。

支援員さんが「水分摂ってくださいね」と お茶を淹れてきてくれる。

 作業の疲れを感じて 母のベッドに寝てみた。

母はどんな気持ちで この天井を見ていたんだろう。 3秒前の事も忘れるから、刹那の想いは続かなかったとは思うけど。

 看取り体勢になってからベッドの位置を変えてくれた事で、窓からの景色もよく見える。

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窓いっぱいの空・・・薫風に輝いている。

 2016年6月に入所したので、5月の空をここで3回見てる計算になるけれど、この季節のこんな感じの空を 母はちゃんと見ただろうか。

 4年ほど前までの母だったら、認知症があっても「空がきれいだね」くらいの会話はできた。

それくらいの認知症で、ここに暮らしてたら気持ち良くて幸せで楽しかっただろうな。

グループホームでも 入所間もない頃は「自分の家があるのに なんでここに居なきゃいけないの?」「もう帰るよ」と 何度も荷物をまとめたりしたけれど、途中からは家を忘れ、そこが自分の住まいになっていた。

 でも介護度がどんどん上がり、特養に転居した時は もう何もわからなくなってた。

 真新しい木の香りのする建物や 山の別荘のようにも思える広々としたリビング・・・私は『こんな所で暮らせたら幸せだなぁ~』と 嬉しくなったっけ。 

 そんな事も次々と思い出して涙があふれて来る。

お母さん・・・もう居ないんだ。

昨日は居たのに・・・もう居ないんだ。

お母さん・・・お母さん・・・この言葉を口にするだけで 愛しさがこみあげてくる。

 

 しばらく泣くと 黙々と作業を再開。 夢中でやってて、何か出てくると それを見て また涙。

 なんとか形にできたところで ふと思い立って 施設の近くに住むOちゃんに連絡する。

タイミング悪く外出先にいたOちゃんは 用事を済ませて飛んで来てくれてランチに付き合ってくれた。

母を送った話をし、泣き、Oちゃんももらい泣きをして。

 高校時代から母と会ってるOちゃんなので「ゆうこのお母さん」をよく知っていてくれる。

泣いて少し笑って食べて「ゆうこは まず寝ないとね! 絶対に慎重に運転して帰ってよ。すぐに寝るんだよ」

 

 うん・・・泣きたかったんだ。 誰かにも一緒に泣いて欲しかったんだ。

 

 

 

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2019年5月18日 (土)

愛しい人①「よかった・・・」

 令和元年5月15日 午後1時45分 母が息を引き取りました。

 

 10年間にわたる『認知症の母の介護(後半5年間は施設のお世話に)』が終わりました。

 『いつ亡くなっても 私は後悔ない』と思っていたし、今年になってからは癌が見つかって余命宣告も受け 覚悟もできてた。

 周りでも年老いた親御さんの逝去には『本人も家族もお疲れさまでしたね。大往生ですね』という空気だし、私も人様のそういう話を聞いても『悲しい・寂しいだろうな』とも思わなかった。

 でも予想外だった。 私 母が愛しくて恋しくて会いたくて会いたくて・・・いっぱい泣きました。

 

 しばらく 母との思い出語りをさせてください。

 

【5月14日(火)】

いつものように母のところへ。

花で囲まれたベッド、カサブランカの香りが充満する部屋。

コンビニで買って行ったカフェオレを飲みながら 母の写真を撮ったり、花の世話をしたり、静かな穏やかな時間。

ベッドサイドで母に寄り添い、いつものように手を握ったり 足をさすったり、頬を撫でたり。

母はもう2年くらい 唇をぎゅっとかみしめていた。 抜けた前歯の隙間から吸い込むのか 唇の一部がへこんでいた。

それが この時はそうじゃなかった。 普通の唇の形。

顔を近づけると 母の鼻から漏れる呼気が匂う。 たまに口臭があったりもしたけれど、鼻からの匂いは初めて。 唇をかみしめていないのも もしかしたら唇の隙間から時々 呼吸してるのかも。

首や肩が呼吸の度に上下する。 小刻みになったり深くなったり。 

これ良くない兆候だよね。

体の向きや頭の高さを変えて、呼吸が落ち着いたように見えた。

夕方になって後ろ髪引かれる思いで部屋を出る。

この所 母にはいつも「お母さん 逝く時は私が居る時にしてね。私が居ない時に逝かないでよ。絶対だよ。約束だよ」と言い聞かせている。

もちろん聴こえてないだろうし、反応も無い。

 

【5月15日(水)】

昼過ぎに施設の看護師さんから電話。

「母桃さん 時々 うー・・・あー・・・とおっしゃってるので、娘さんが来てくださると安心するかもしれません」

穏やかな口調だったので『うわ言でも聞けるなら嬉しいな』くらいの気持ちで出かけた。

途中から胸騒ぎがし始めて 信号で止まる度に 早く早く!と足踏みしたい思い。

施設に着いて 小走りもできないこの体・・・ここで転んではいけないと用心しながらユニットに行くと 入り口で会った支援員さんが「母桃さん、目をパッチリ開けてらっしゃいますよ」と笑顔で。

あ、持ち直したんだ、良かった。

支援員さんの笑顔が 私を過剰な不安にさせないようにとの配慮だったと気づくのは すぐ後。

部屋の戸を開けると・・・5~6人の支援員さん(看護師さんも)が取り囲んだベッドの母は目を見開いていた。 まばたきもせず見開いた目は異様だった。 これはただ事じゃない。

「お母さん!」

母の手を取り、肩を抱き、頭を撫でる。

「お母さん! ゆうこ来たよ! 安心して!」

この瞬間、看護師さんの『安心するかもしれません』の電話の本当の意味を悟ったような気がした。

「お母さん! ゆうこ来たから もう安心していいよ!」安心して逝っていいよ・・・なんだと 心の叫び。

頭を右側に向けてる事が多い母、その顔に自分の顔を近づける。 頬をくっつける。

見開いていた母の目の異様な力が無くなり、目が私を見たと思った。

「お母さん! ゆうこ! わかる?」 分かってほしくて必死で呼んだ。

母の口が開く・・・開いた口を見るの 久しぶり。

「う・・・あ・・・」

「うん、ゆうこ来たからね!」

「う・・・」

「お母さん! ゆうこって呼んで! お母さん!」

母が目を閉じた。

あ・・・と思って 頸動脈に手を触れると脈動が感じられる。

『死なないで・頑張って』とは思わない。 

ベッドの周りの皆も「母桃さん 娘さん みえましたよ」「よかったですね」と涙声で話しかけてくれる。

義父が最期は深い息を吐いたので それが来ないうちはまだ大丈夫と思い込んでた。

「お母さん! ゆうこって呼んで!」 最期に呼んでもらえるかもしれないと ずっと思ってた。

握った手の感触も変化なし。

「お母さん ゆうこ来たから安心して」

この二ヶ月くらいは、ほとんど目を閉じて動かない母しか見ていないので、この状態が異常には思えない。

左手で手を握り、右手で顔を撫でまわし・・・ふと気づいて もう一度 頸動脈を確認する。

脈動が感じられない。

「止まったみたい・・・」看護師さんを見る。

看護師さんが聴診器を当てて、私を見て深く頷いた。

最初に出た言葉は「お母さん 良かったねぇ~!」

もう二度と動かない母の体を撫でまわしながら「お母さん 間に合って良かった」「待っててくれたんだね」「本当に良かった」「こんなに大勢に見守られて 本当に良かった」と涙と洟でぐちゃぐちゃになりながらつぶやく。

「もうすぐ娘さんみえますからねって言ってたんですよ」

「待ってみえたんですねぇ」

待ってる人に会って息絶えるのは、ドラマでよくみるけど 本当にあるんだ。

『娘さんに会わせたい』との皆の気持ちが 母の心臓を動かし続けてくれたんだとも思えた。

そういう人たちに恵まれて、良い施設で最期を迎えられて「お母さん 良かったねぇ!」「お母さん よかった・・・」

全然 苦しまなかった。

手を握って顔を見つめて撫でまわしていた私が いつこと切れたのか分からないくらい穏やかに静かに逝ったことも「お母さん 本当によかったよぉ」

写真を撮った。 後で見ると この最初の写真が半眼半口で 一番穏やかで笑っているように見える。

死に際には、特別な脳内物質が出て、本人は快感さえ感じていると 事前にいただいた「看取りをする家族への冊子」にあった。

きっとこれなんだね。

私が到着してから10分もたってないと思う。

後で看護師さんに聞くと、私が気づくより少し早く「これが最後の呼吸」だと思ったそう。 私 呼吸が止まっても気づかずに「安心して(逝って)いいよ」と呼びかけてたんだね。

 

 目を真っ赤にした支援員さんや看護師さん達が 母にお別れを言い「しばらく二人でゆっくりしてください」と退室。

花に囲まれた部屋で母と二人。 ずっとこのまま ここに居たいと思った。

しなくてはいけない事が これからたくさんあるけれど、今は少し このままで。

「お母さん よかったね・・・よかったね」何度もつぶやきながら 母を撫でる。

 

<1時半>

 嘱託医が到着し、聴診器を当てたり目に光を当てたりして最後の確認をし「1時45分 ご臨終です」

あ、そうなんだ。 本当に息を引き取ったのは もう少し前だったけど、医師の確認した時刻が死亡時刻になるんだ。

 ここから私の役目が始まる。 冷静に献体の連絡をする。

先ほど死亡確認をしてくれた医師が別の仕事で出かけなければならず、死亡診断書を書けるのは3時過ぎだと言われた。

献体の手続きは、死亡診断書が出ないと始められず、死亡した事だけ伝えて診断書を待つことに。

 ここから1時間半 あっと言う間だった。

 母を見つめて泣いて、冷静にアイバンクへも連絡をし、また泣いて。

お母さんの願いだったもんね、私 ちゃんと遂行するよ。

 別のユニットへ異動になってた支援員さんも 連絡を受けて来てくれる。 すごいネットワーク。

「母桃さ~ん、ありがとうございました~」と泣いてくれる。

「お母さん こちらこそ ありがとうございましただよね。お母さん ずっと言えなかったもんね。私が代わりに言ってあるからね」

その間にも 不老会(献体)やアイバンクからの電話が入る。

 滞りなく進められるようにメモをとる。 泣いていた目が乾いている。

夫にもやっと連絡し、義母を連れて来てくれることに。

 

 ユニットの他の利用者さんも順番に来てくれた。

母はコミュニケーションは全くとれなくなってたけれど、しっかりされてる方は多くて、顔をゆがめて泣いてくださった。

ああ、わかるんだ・・・と そんな所で驚く。

 

<3時20分>

 死亡診断書が届き、不老会経由で大学病院へ連絡する。 

アイバンクに角膜を提供するのが先。 アイバンクから依頼を受けて来てくれる眼科の医師は5時半到着予定。

献体は その後になるので、順繰りに時間が遅れていく。

 

<5時20分>

 夫と義母が到着し、涙の別れ。

タッチの差で、眼科医が到着。 ほんの少しずれていたら、眼球のある母には会ってもらえないところだった。(もちろん義眼を入れて外見は変わらないようにしてくれる)

 

<6時20分>

 不老会からの依頼で葬儀社から霊柩車が到着する。

白い綺麗な模様の布に包まれて母がユニットを出ていく。

 施設の玄関には 職員さん達がずらりと並んで送ってくれた。皆さん もう帰宅する時刻だったかもしれないのに。

「お母さん 本当に良かったね。ここから お母さん 最後の役目だね。行ってらっしゃい」

 

4時上がりの支援員さんが 一旦 家に帰って用事を済ませてから 見送りに来たけれど間に合わなかったとの話も後日聞いた。

この日 休みだった支援員さんも連絡を受けて駆け付けてくれた。

 

<7時前>

 母の居なくなった部屋、少しでも片付けたいけれど、私が暗くなると運転できないので「今日はここまで」と夫が言い、切り上げる。

母の居た部屋・・・ずっと居たかった。

 夫は義母を送り、私は自分の車で帰る。

「お母さんが亡くなりましたぁーー」叫びたいような気持ちと 誰にも言いたくないような気持ち。 

「お母さん・・・」と声を出す度に泣いて。

 

 お母さんに会いたい。

お母さんが恋しい。会いたいよ。お母さん・・・お母さん・・・。

「お母さん ありがとう」は、私も母も昔から いっぱい言い合っているので、今更 あらためて伝える必要も無い。

ただただ、お母さんが恋しいよ。 ゆうこって呼んでほしいよ。

 

 この時の 私の心は これでいっぱいでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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2019年5月13日 (月)

花に囲まれて

 「生花のお世話をします」と 火曜日の帰宅後 支援員さんが電話をくれてから 土曜日の午後、初めての訪問。

すでに事務所の女性が預り金から買ってくれた花も飾られている。 

私もカサブランカを買って行った。

一般的には療養中のお見舞いに香りの強い花は禁忌なんだけれど、今の母には「香りも良い刺激」だとの事。

『母桃さんらしく生活できるように、母桃さんが喜ばれる事をみんなでしていきましょう』が共通認識。

 

 母が寝たまま花や窓を眺められるように また家具の配置を変えたと聞いていたので 見るのが楽しみでもあった。

テーブルには 入所当時に私が準備した造花と共に、いくつかの生花が。

 私 花の世話をするのは大好きなので「おかあさ~ん、花の水換えるね~」「これは こっちの花瓶がいいよね~」と声をかけながら 花たちを触る。

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 窓からは5月の風が入って気持ちいい。

 自分用に持って行ったカフェオレを飲みながら 支援員さん達が書いてくれる「母桃さんの記録」を読む。

利用者の一人でしかない母の事を これだけ細かく気にかけてくれて「おかあさん・・・ありがたいね」

手を握っても無反応の母には もう慣れっこ。

 

 ユニットリーダーさんが「今日 母桃さん お風呂に入っていただこうと思ってるんですが、ゆうこさんもいかがですか?」

介助のお手伝いをさせてもらう事にした。

『母と娘のふれあいの思い出づくり』なんだよね。

シャンプーをした。

その姿を施設のカメラで撮ってくれる。

ちなみに・・・母は朝 起きた時に言葉を発する事が多い(多かった)ので、その瞬間の動画を撮る為に 母の部屋にカメラが置いてある。

 脱衣室のベッドに寝かせた母を 看護師さん二人と支援員さんと私4人がかりで拭き上げ ボディクリームを塗る。

「おかあさん、エステサロンみたいだね。これは 3万円頂きますのコースだよ」皆で笑いながら 母に新しいパジャマを着せる。

やせ細った体、お腹だけ硬い。

 

 花でいっぱいの部屋に戻ると 窓からの風が更に気持ちいい。

風呂上がりの水分補給も 今の母には苦痛を増すという事で、スポーツドリンクをスポンジに含ませて 口元を濡らすだけ。

それすらも母は唇をぎゅっと閉じて拒絶の様子。

 こんなに飲まず食わずで生きてるってすごい。

 私の腸閉塞の手術後 絶飲食の時「飲みたい・食べたい」本能と戦う私は 母に牛乳を買って来てもらって「飲んでるとこ見せて」

母がゴクゴクと飲むのを見て 自分が飲んでるのを想像した。

だから「お母さん、ゆうこ飲むからね~見ててよ~」と スポーツドリンクをゴクゴク飲んで見せた。

母は目を閉じたままだけど・・・苦笑。

 

 洗いたての白い髪が風で揺れるのを撫でながら 母との色んな事を思い出す。

私に与えられた優しい幸せな時間なのかな。

切なくもあるけれど。

 

 ストローで吸い上げるのが難しくなってくるだろうからと 少し前に楽のみを買った。今はこんな可愛いデザインのもあるのね。

飲み口も2種類あって、細い方を付けると 母は飲みたい時はそれをちゅーちゅー吸う。

たった2回使っただけだったな・・・。

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 母がただ眠っているだけのように見えるのが 今は救い。

 

 明日は どんな花を買って行こう・・・ささやかな楽しみでもある。

 

 ただ・・・土曜日、今年の最高気温を更新したのを帰宅後に知り、その時はすでに体が重くて起きていられなくなってた。

入浴介助も 形ばかりのお手伝いの私には力仕事こそ無いけれど、浴室は私にとってはサウナのようなもので けっこう堪えた。

 

 あと何回 母に触れられるんだろう。

 

 

 

 

 

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2019年5月10日 (金)

88歳の誕生日

 母 88歳の誕生日を迎える事ができた。

1月に大腸癌が見つかり その時点で「余命2~3ヶ月」と言われ、88歳の誕生日は無いはずだった。

 

 誕生日の昼前、特養から「聴診器を当てると ぽちゃぽちゃ音がします。胸に水が溜まっているようで、ご本人に病院へ行くか尋ねてみたら頷かれたので 今 行っています」と電話があった。

 ドキドキする。 病院へ行くか尋ねられて本当に頷いたんだとしたら、それくらい苦しいって事かな。

この日は、今後の介護について施設の人達と話し合う事になっていた。

 

 泣きたいのに泣けない状態で施設に向かう。

 病院から戻って眠っている母。 ベッドの位置が変わっている。

「今日はお誕生日のお祝いをさせていただきますね」と笑顔の支援員さん。

話し合いは、誕生日祝いの後で・・・と。

 

 嫌な予感もあり、母の手をとって「おかあさん・・・おかあさ~ん」と呼んでいるうちに泣けてきた。

やっと声をあげて泣けた。

しばらくすると 次々に支援員さんが「掃除します」「母桃さんの顔 見に来ました」と訪れる。 

あれ? なんか変だな。

 母が口を動かしたので これは何か飲ませるチャンスだ!と カフェオレを作る為 K支援員さんを残してリビングに向かうと、そこには大勢の支援員さんが集まってた。

 私を見て慌てた様子。

 別のユニットに異動していたはずの男性S支援員さんも居る。

「あ~!」と顔を見合わせるみなさん。

 あ、何か打ち合わせしてたんだ。

私が来てしまったので、打ち合わせ途中で「今から行きま~す」となった。 

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普段は事務所にいる介護福祉士さんや看護師さんも含めて11人が 母のベッドを囲み♪ハッピーバースデー♪を歌ってくれる。

母は目を閉じたまま。

異動したS支援員さん(母の入所当時は新婚で、今は2児のパパ)は、ユニットの皆が公認の「母桃さんと相思相愛」

わざわざ来てくれたんだ。

歌の後は、一人ずつが母に顔を寄せて祝ってくれる。

S支援員さんは、母の頬に触れて にこにこ微笑み 本当の孫のよう。

「Sさん、ここで母桃さんにプロポーズしないと」と冷やかされる。

いやいや・・・重婚になりますから。 おまけに 私「お父さん」と呼ばなくてはいけなくなりますから~。

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心づくしのドライフラワーのアレンジメントのプレゼントも。

私は嬉し涙。

 

 笑い声がさんざめき、他の利用者さんが何事かと見に来る。

私にいつも声をかけてくれるTさんは 心配そうにのぞき込み、動かない母を見て亡くなったと思ったみたい。

「お誕生日のお祝いしてたんですよ」と支援員さんが説明すると「命に別状はないのね?」と。

「お元気ですよ~」

 

 

 その後、事務所へ場所を変えて 今日の診察結果を聞く。

腸イレウスが起きていて 腸が腫れ、横隔膜が上がってしまい胸水が溜まっている。

飲食はもう本人の苦痛を増すだけ。

 ・・・なるほど。 そういう事だったんだ。

私がカフェオレを作ろうとしたら「飲み物は 話し合いの後にしましょう」と止められた時 何かあるんだなとは思った。

 

 話し合いは「看取り」への取り組みについて・・・だった。

ベッドの位置も それ用に変えてくれてたんだ。

食事の介護が無くなった分 今の母にできる事をたくさん提案してくれた。

母に合わせた計画書もできていた。

食べさせる事はできないけれど、本人が好きな物を少しだけ口に含ませる・なめさせる事はしていきたいって。

一人の利用者に これだけきめ細かく対応してくれる事に感謝するばかり。

 

 帰宅後、話し合いに同席していた若い女性介護福祉士さんから電話があった。

「あの後、ユニットの支援員さんと話してたんですが、母桃さん 花がお好きだと言われたので、これから預り金(通院や髪のカットなど用にいくらか現金を預けてある)の中から 花を買ってもいいですか?」

 お正月のアレンジフラワーは 毎年 自分で作って持って行くけど、花の世話までは支援員さんには頼めず、翌週に行くと かなり枯れているので、生花は諦めてた。

そう伝えると「花の世話くらいしかできないので、是非させてください」

そして毎日 母の様子を電話で知らせてくれるとも。

これもね、本当は私から電話したかったの。 でも電話は事務所にまずかかり、そこからユニットに繋げ、ユニットの支援員さんも それぞれ動いてるから 時間帯によっては迷惑。

 甘えさせてもらう事にした。

 

 こんなに周りに大事にされる事なんて、母の人生にあっただろうか。

何にも考える事もなく、執着も心配も無い今は 神様が最後に与えてくれた幸せな時間なのかもしれない。

 母は 一見すると眠っているだけで、少しも苦しそうに見えない。

それでも、以前撮った写真と比べると面相も変わって来てる。こうやって少しずつ枯れていくんだね。それを私は見てるしかないんだね。

 

 私は「施設での話し合い」に向けて、不老会(母は献体・献眼を望んでいて、父の死後 すぐに不老会に入会している)へ『その時』の具体的な手続きなどを問い合わせてある。

 冷静で居られるのは 私も幸せなんだなろうな。

 

 色んな状況を想像はしてるけれど、今はまだ思いつかないような修羅場が来るんだろうか・・・。

 

 

 

 

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2019年5月 8日 (水)

ここちゃん9歳になりました♡

 2歳になる直前に知り合ったここちゃんが もう9歳になりました。

 先日 我が家に遊びに来てくれました。

 私の大好物のおでこだしヘア。(ここちゃんのおでこは めちゃくちゃ可愛い) 後ろはポニーテールにしてお洒落なサテンのリボン。

お洒落お姉さんみた~い♡

 

 お誕生日プレゼントは 夫が『(おそらく)自分が一緒に遊びたいから』選んだサッカーゲーム。

選手の人形の胸にエンブレムを貼る細かい作業は ここちゃんお手の物。

集中のあまり眉をしかめたり、カッカと笑ったりの百面相をしながら手際よく進めて行く。その表情が可愛くて面白くて・・・写真を公表できないのが残念。

 肝心のゲームは ボールを自由に操るには操作が少々難しくて、慣れるまでは時間がかかりそう(汗)

 

 百円均一で買ってきたパーティグッズは ここちゃんもお気に入り。

可愛い反応をたくさん見せてくれた。

 ビビりここちゃんは クラッカーなど大きな音がするのが苦手。 私とまったく同じ。

ミニくす玉も『紐を引っ張ったら何か起きる』と分かっているので覚悟しながら、体を少しでも本体から離しながら、目をぎゅっと閉じて引く。

・・・いや それは弾幕が落ちてくるだけだから~~~笑。

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 クラッカーから出て来た国旗は 早速 サッカーゲームに取り付ける。

 

 ケーキにたてるろうそくは9本!

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考えながら可愛く立ててくれました。

 

 

 この日 ここちゃんが一番楽しかったのは、公園でのサッカーだったそう。

2年生の3学期、体育の授業でやったサッカーが楽しくて、本物のサッカーボールを買ってもらったと聞いていた。

で『公園で夫とサッカーしたいから持って来て』とお願いしておいた。

 還暦過ぎた夫と 体育の授業でちょっとやっただけの小学3年生女子のサッカー・・・パス交換も お互いにボール拾いに走る方が多いだろうなぁと思ってたら・・・なんとなんと! ここちゃんが 思いのほか上手くてびっくり!

 2年生の時の担任は若い清楚な感じの先生で カッカいわく「ビシビシ サッカーを指導するとは思えない」そう。

でも私は思った! 担任の先生、もしかしたらグランパスファンなのではないか?

だって ここちゃん しっかり『止めて蹴る』してるんだもん(大笑)

夫が蹴ったボールを ちゃんと止めて 足先でちょちょっと位置を変えて蹴る。

えええええええーーー!! すごく簡単にやってるんですけどーーー!

ちょっと浮いた球も膝を使って上手におさめてるし。

 学校の体育でしかサッカーした事の無い私・・・その授業のパス練習でさえ、蹴ったボールは思わぬところへ飛び、飛んできたボールは止め損ね「ごめーーーん!」の連発だった事しか思い出せない。

 ドリブルもするし、夫と離れてパスしながら前進するのも様になってる。

 ここちゃんが長年やっているゴルフは止まったボールが相手だけど、動くボールもこんなに上手く操れるとは想像してなかった!

ここちゃんは 何事も地道にコツコツ練習を積み重ねるので 家でもボールをしょっちゅう触ってるらしい。

やっぱり日々の積み重ねだねぇ。

 

 そして・・・『公園でサッカーやろう』と聞いて ここちゃんが準備して来たのはコレ↓

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スーパーのレジ袋で作ったユニフォーム☆

「佐藤選手は千葉で背番号何番?」と尋ね、自分でタブレットで検索して確認したんだって。

フリーハンドで書いて この出来栄え☆

大きな文字を書くのって難しいんだよね~。 漢字もアルファベットも上手。

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 おまけの話。

サッカーボールもレジ袋に入れて持って来てて それが何だかここちゃんらしくて微笑ましかったんだけど、本人は「網みたいなの」が欲しいんだそう。

あ、そういえばボールってネットに入ってたよね・・・と 今更ながら思い出す。

買ったボールは箱に入ってたんだって。 昔はボールはネットに入って売ってたような気がする。

・・・ここちゃんにとっては 不本意なレジ袋だったのね~涙笑。

 

 もひとつオマケの話。

 還暦過ぎた夫、普段からジョギングもしてるし、ジムにも行き、水泳もして、私とは比べ物にならないくらい運動はしてるけど「サッカーボール触ったのは久しぶりだったなぁ~」と 後でぽつり。

 その割には『上手いここちゃん』のお相手が務まったのでご立派でした☆

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