2019年2月20日 (水)

動き出したー☆

 この前「大丈夫…じゃないかもね」とブログを書いてから10日も過ぎてた!
 一週間くらいのつもりだった。
 やっぱりおかしかったなぁ、私。
 心がフリーズしてた。 
 良くも悪くもオープンマインドの私が無意識にクローズしてた。
 
 11日早朝から熱が出て、インフルエンザかなぁと構えたけれど、高熱にはならず。
内科で処方されている数種類の薬の中から『PL顆粒』を選び、風邪対応にしてみた。
でも頭痛・鼻水・咳などの症状は一切なくて、熱も上がったり下がったり。
私の冬場の平熱は35.5度なので、37度になると ちょっとしんどい。 でもそれ以上にはならず。
 花粉症かも…と 自己診断を変えて、抗アレルギー薬にしてみた。
でも微熱は変わらず、動悸がするし、少し動くと横になりたくなって、横になると眠ってしまう。
 
 週末 とうとう「ステロイドホルモン剤大量投与」作戦に出た。
 去年12月の血液検査でドクターが「これは気に入らんなぁ」と 『プレドニン1錠を1、5錠に増量』の苦渋の決断をしたのに、自ら一挙に『4錠』に!
 功を奏し、それまで薄目で見てたような景色が多少 はっきり見えるような気がしてきた。
 母の事をさり気なく心配してくれる友達にも 泣き言も言えた。
 
 そしたら思いがけない展開が…。
 友達のお母さんのご高齢の叔母さんが、数年前に大腸がんと診断されたものの、本人の意思で治療を拒否し、今も元気でいると。
 親戚一同は「あの診断は何だったの?」と言ってるって。
 
 その情報で 私の気持ちが一気に変わった。
 先日の主治医との話し合いでは「このままだと、2~3ヶ月後に大腸が完全に詰まる。腸閉塞が起きた場合、普通なら人工肛門置換手術をするが、母桃さんには緩和ケアという選択もあり」
 施設の看護師さんや介護福祉士さん、ユニットリーダーさんとも その後 きちんと話し合って『2~3ヶ月後に腸閉塞を起こしたら、口からの栄養摂取は断念し、命が枯れていくのを見守る』事を決めた。
 母の最期を私が決めてしまった罪悪感と、何年も前から まだしっかりしていた母と私が お互いに伝え合っていた死生観にブレが無い自信。
 二つの想いの中で、私は自分を「無」にしてた気がする。
 
 ただ…腸閉塞を起こしても きっと母の心臓は動いているだろうとは思ってた。
「もう半年になるけど、まだ生きてるよ~」と苦笑する自分も想像できてた。
 
 それがね、友達のお母さんの叔母さんの話を聞いたら「まだ生きてるどころか、元気かもしれない!」と 希望が湧いて来た。
 
 大腸ファイバースコープ検査の画像で見た腫瘍。
腸管内がほぼ埋まってた。
 でも高齢の母の癌細胞の増殖はきっとゆっくりに違いない。
2~3ヶ月どころか、半年後も まだ詰まってない可能性だってある。
 先週は 母の所へも行けなかったので、昨日2週間ぶりに行って来た。
相変わらず母は食欲もあり、顔色も良い。
 支援員Uさんが「今朝もお話されましたよ」と 詳細を再現してくれる。
「ちゃんと会話になってるんですよ~」と笑顔。
 
 このUさんの声は 母の耳に一番届きやすいのか 今までも『母桃さんとの会話』の報告は彼女が最多。
 そのUさんではあるけれど、複数回の言葉のキャッチボールが増えて来たのが 私には不思議。
 最後の命の灯を燃やしてるのかなぁとも思う。
 ユニットの支援員さん達が「朝が一番 お元気で言葉が出やすいので 今度 動画を撮ろうって言ってます」って。
皆さんが 母との残された時間を大切にしてくれてる。
(…一年後も生きてる可能性あり)
 
 母の食事も 刻み食だったのが 先月の診察後からソフト食(多分 一番 高価よね)になった。
他の皆さんと同じ食材をドロドロにしてからテリーヌのように加工してある。
 白身魚にはとろみソース。
 人参と思しき柔らかいキューブにはマヨネーズ風味のソース。
味見してみると、確かにそれぞれの食材の風味はある。
スプーンで口元へ持っていくと 口を大きく開ける母。
 欲しいんだね。 たくさん食べてね。
 でも 毎回 こんな食事では満足感ないよね…。
 私が入院中、減塩食で虚しいのと同じ。
 
 昨日 介護福祉士・看護師・支援員さんと私で また話し合いの時間を作ってくれて
「母桃さんが美味しいと思ってもらえる食事も たまにはしましょう。美味しくない物を食べて寿命だけをのばすよりも、母桃さんが少しでも嬉しいと思ってほしい」と。
私の想いそのままだった。
介護してくださる人達と私の気持ちがぴったり一致してる安心感。
 私が食べさせていた塩味の薄焼き煎餅も「再開してみましょう」となった。
 便をどろどろにする薬を使って、排便の量も増えているとの事。
 …なんか、私が週に一度 会いに行く時間は 以前と何も変わらないじゃん。
 むしろ 母の反応は数ヶ月前よりもしっかりしてるもん。
 『希望の光・スポットライト』とまではいかないけれど、それまで暗転だった舞台に照明が当たり出したような感じ。
 
 そうなると 色んな事が急に上手く回り出す。
 昨日は まだ少ししんどい体に鞭打って ボランティアの会議に出てから母の所へ行った。
 市役所の音訳ボランティア 今年度は輪番制の役員だったので、年度替わりのこの時期 引継ぎや調整で何度も招集がかかる。
 私が今 倒れたらダメだ。 私の代わりは居ない。 頑張るしかない。 気が張ってるから絶対に倒れないよ。何とか この時期をやり過ごそう。
 きっと前だけを睨みつけて悲壮な顔してたと思う。
 そしたら…木曜日に予定されていた研修会には出なくても良い事になった。 あっさり(笑
 それが無くなっただけで、荷物がすごく軽くなった。
 引継ぎの為の書類作成も目処がついてきたし、急に展望が開けて来た。
 
 夜 帰宅した夫にも 久しぶりに饒舌におしゃべりした。
ずっと『ご飯作っては寝て、食べては寝て、洗い物しては寝て、入浴せずに寝る事もあり』だったもんね。
 ただし…ステロイドホルモン剤大量投与中である事を忘れてはいけない。
『なんかやる気出て来たー! 頑張れる気がするーー!』のは、ドーピング状態・ステロイドハイの可能性も高い。
 
 …って事で 今朝は プレドニン2錠にしてみました。
 そしたら「今日は これとこれをこれをやるぞーーー!!」だったうちの まだ一つしか着手していません(汗
 

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2019年2月10日 (日)

大丈夫…じゃないのかもね

 金曜日、母がお世話になっている特養の看護師さんと一緒に病院へ。
外科のドクターから病理組織検査結果の説明を受けた。
 先週 検査した内科のドクターが見せてくれた画像から 素人の私でも想像できた。
 
 で、予想通り。
 それを見越して、今後の事もドクターと相談できるよう、昔から 母と話し合ってきた事や、私が予想できる今後の展開の選択肢などを フローチャートにして持って行った。
 ドクターは 私の気持ちを汲んでくれていると感じられる。
 特養の看護師さんと3人でシンプルでも濃密な話ができた。
 
 その足で、母の待つ特養へ向かい、ユニットリーダーや社会福祉士さんも交えて報告と 今後の相談。
 皆さんが本当に一生懸命考えてくれて、寄り添ってくれて、ありがたい。
 
 子供の無い私達夫婦、私は絶対にボケるし、体の自由も早くに利かなくなるでしょうから、施設に入所する事は夫と決めているけれど、お世話になるならここがいいなぁ…。
 
 ブログを読んでくれてる友達から、全く別の要件を装いながら、さり気ない気遣いのメールやLINEが届く。
 
 なんかね…大丈夫なんだ。
 全然 大した事ないの。
 2018年12月、寿人の退団が発表された時の方がずっとずっと苦しくて辛かった。
 友達の真心に感謝しながら、いつもなら「実はさ~」と ぶちまける私なのに、それができなかった。
 説明するのが面倒だった。
 
 コンビニのビニール袋を手に夫が帰宅した。

Godiva

 GODIVAのラズベリーチョコレートケーキ(コンビニね!)
 
 『妻のトリセツ』なる本が売れてるそう。
 広告の一部に「これを読んで 突然の妻の無表情が怖くなくなった」とあるのを見た事がある。
 私の事だーーー! と その時 思った。
 夫は もしかしたら買って読んだのかも。
 
 ラズベリーチョコレートケーキが食べられるから嬉しくて元気が出るわけではないの。
 友達の真心よりも、一番身近な夫が『私を、私の母を気遣ってくれた』事が 元気の素になった。
 
 …と言う程 しんどいわけじゃないんだ。
 普通に眠れるし、食欲もあるし、普段と何も変わらない。
 
 でも 私の場合は この方が怖いのかも。
「しんどいよ」「苦しいよ」と言いまくってる時の方が 私らしくてまとも。
 大したことないと 強がってるわけじゃなく、何も感じないように麻痺させてるのかもしれない。
 それが続くと 体に「もう止まるしかないよ」って異変が現れるよね。
 
 一過性の外転神経麻痺がたびたび起きてるけど、2010年みたいに『一過性』が継続するようになったら困る~。
 
 

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2019年2月 6日 (水)

春の微粒子を集めて

 昨日は車を運転していると暑いくらいの 過ごしやすい冬の日でした。
 
 自分の内科の定期検診は、先月のステロイド剤増量の経過を見守るのみ。
2010年の外転神経麻痺の一過性の症状が近頃頻発する事を報告してきた。
 来月、血液検査をするので、外部に検査依頼を出す項目の結果が判明するのは4月…ステロイド剤の減量なるか…まだまだ時間がかかるなぁ。
 
 重い足取り(あまりの重さに笑ってしまうほど)で母の所へ。
 下血が継続する事・でも食欲はあるとのこと。
そして下剤を使用して泥状にした便は ちょっぴり量が増えている事を聞く。
あぁ、詰まってはいないんだ…と ちょっと安心する。
 「おかあさん!」と呼びかけると 私をじっと見る。
「うんこ出てるんだねぇ」と 聴こえないのを承知で尋ねると 何となく頷いてるような顔をする。
 無表情・変化なしと思う時もあるので、これは私の見間違いではなく、何らかの小さな反応があるって事。
 『良かったねぇ…』の気持ちをこめて 母のおでこに自分のおでこをくっつけると、母も力をこめてくる。
 『しゅき~~~(好き~)』の表現だと私が思ってる 母と私のコンタクト。
 
 金曜日に ホームの看護師さんも一緒に病院へ行って、この前の病理検査の結果を聞いて(もう分かってるけど)今後の事をドクターと決める事になっている。
 
「お母さん、私に任せてね」
 私が最良の決断ができるように、間違った選択をしないように、毎日 お参りしている。
 たくさんの真心に支えられている事を実感しながらの帰り道だけど、やっぱり心は晴れない。
 往路の途中にある緑道の横をスピードを緩めて走る。
水仙が咲いているのを見つけて車を止めた。

Suisen1

 コートを車に残したまま降りる。

 夕刻が迫る時間帯のお日様の光を集めた水仙が輝いてる。

 2011年頃だったかなぁ…週に一度 実家へ行くのを「実家詣で」と名付けて、義務感半分で通ってた。

 認知症が進行していた母の為に 家の片づけ・食事の支度・郵便物のチェック・お金の管理などをして 認知機能が低下した母からは「有難迷惑」「ゆうこに監視されてるみたい」との言われ、毎回 泣いて帰った。

 ある年の春先、帰りに寄るスーパーでアイスクリームを買い、この緑道のベンチで食べたのが なぜかずっと忘れられずにいる。

 まだ本当の春では無かったと思うけど、でもアイスクリームを食べたいような暖かさだったんだよね。

 大好きな大事な母と ずっと仲良くできなくて、心身ともに疲れてて、でも母を見捨てる事はできなくて、無理して頑張って毎週通う自分を褒めてやりたい・慰めてやりたい…そんな気分だったと記憶してる。

 数年後、デイサービスを経てグループホームに入所して、そこでも最初は「なんでこんな所に居なくちゃいけないの?」と言う母を「弟桃が出張中で、お母さん 一人にしておくのが心配だから、弟桃が帰って来るまで ここに居てね」となだめてた。

 それも落ち着いて、自分の家がある事を忘れ、私が週に一度 グループホームから喫茶店へ連れ出すのをすごく喜んでくれて「お母さんばっかりこんなに幸せで 天国のお父さんに申し訳ないわ」と助手席で言う母。

 そんな時期もあったんだなぁ。

 この時間も永遠ではないと その時から分かっていたから、私も嬉しかったし大事にしてきた。

  あの頃は グループホームからの帰りに この緑道脇を通ると「ああ、以前 ここでアイスクリーム食べた時は辛かったなぁ…」と よく思った。

 癌発症と 母の命を左右する決断を委ねられる日が来るのは想定外だった。

Suisen2


 春の微粒子を集めて輝く水仙。

 小さな風にも可憐に揺れる。

 私にも春の微粒子がたくさん注がれているはず。

 
 

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2019年1月30日 (水)

無駄な想像力

 先週金曜日に 特養の看護師さんと母と私で病院へ行き、ドクターに家族の意思を伝えた。
その上で「大腸ファイバー検査をしてください」とお願いした。
 火曜日の検査日まで、私の心にはいつも重い塊があった。
 自分の事だと 怖い検査の前は あれこれ想像して怖さを増幅させてたけれど、母の事になると それプラス『母が可哀そう…』 
 恐怖心・羞恥心が無い分、私よりも楽だとは思えたけれど、聴こえない・意思の疎通ができない母がどうやって検査を受けるのか…。
 浣腸しても 私達ならギリギリまで排便を我慢してからトイレへ行く…ってできるけど、母はどうするんだろう?
 看護師さんが肛門を抑えてるんだろうか?
 で、トイレへ行けないから ベッドの上で出ちゃうんだろうか?
 検査室は すんごい事になるんだろうなぁ…。
 看護師さんや検査技師さんや医師に申し訳ないなぁ。
「横向いて・上向いて」の指示も母には伝わらないし、どうやって検査するんだろう?
私が一緒にいる事で母が安心するのなら 手を握っててやりたいけれど、今の母には 私の存在なんて何の力にもならない。
 それでも母が辛い思いをするのを側で見ててやりたい。私も一緒に辛い思いをしたい。
 そんな事を夫に言ったら
「君が一緒に居て辛い思いをして その分 お母さんの辛さが減るのなら頑張るべきだけれど、そうじゃないんだから、君が辛い思いをするだけマイナスですよ」と。
そうだよねぇ…。
 でも…看護師さん達に迷惑かけるから 少しでも手助けできれば…。
 そんな事をあれこれあれこれ考え続けた週末。
 そして昨日、予約時刻の10分前に病院へ到着すると・・・・・・・・・・・。
 廊下にリクライニング車椅子に仰向けに寝てピンクの毛布をかけた母と 特養の看護師Nさんが居た。
 あれ?!
「もう終わったんですよ。すごくスムーズでしたよ」
 
 なんと検査予約一番の人がキャンセルで、母が繰り上げになったんだって。
私に連絡したけれど、すでに私は運転中で電話に出られず。
「お母さん…ついててやれなくてごめんねぇ…」母の肩をさすって何度も言う。
 Nさんも入室はできないので詳細は分からないけれど、数十分で終わったし、何の問題も無さそうだったとのこと。
 ほぉ…っ。
 緊張が一気に緩んだ。
 Nさんは 検査後のしんどさを想定してリクライニング車椅子に乗せて来てくれたの。
 いつもひざ掛けにしているピンクの毛布の下には、膝のしたに入れるクッションや肩が冷えないようにとのタオルがあって、母は真心に包まれてた。
 しばらく待って、検査をした医師に呼ばれて3人で入室。
「ご家族以外の方は出ていただけますか?」 金曜日とは別の女医さんの緊張した面持ち。
「私が長女ですが、特養の看護師さんも同席してほしいです」が受け入れられて 共に説明を受ける。
 肛門から16センチほど上部のS字結腸あたりが異様にふくらみただれてる写真。
「ここから出血しますね。そしてここから先はカメラが入らなかったんです」
 そっかぁ…特養の看護師Nさんと「もしかしたらカメラを入れる時に 大腸の詰まりかけてる所をぐりぐりって貫通して 便の通り道ができるかもしれないしね」と 大腸ファイバー検査をする意義を無理やり付けてたのが あっけなく砕け散った。
 
 で、見るからに悪性腫瘍らしい姿だそう。
 金曜日の外科のドクターも「CTで見る限り、お手本にしたいような写り方です」と 『癌』という言葉を使わないで 何とか説明しようとしてた。
「忌憚なく言ってください。私は癌でも何でも大丈夫なんです。母が痛い苦しい辛い思いをする事だけが一番いやなので」
 外科のドクターも 火曜日の内科のドクターも 私の落ち着きに安心したようで、そこからは話もスムーズ。
 来週、組織検査の結果が出てから、今後の事は外科のドクターと相談する事になった。
 特養のN看護師さんとは この数日で色んな話をした。
 先週は「癌でも手術はしない」と私は言ってたけれど、検査までの数日間で「人工肛門を着けたら、今まで通りの食事ができるのなら それもいいかも」と気持ちは変化している。
 リクライニング車椅子の母をNさんにお任せして、別々に特養へ。
 ユニットに着くと 支援員さん達が「母桃さん お帰りなさい!」「よく頑張ったねぇ」「お腹すいたでしょう」と 声をかけてくれる。
 検査にそなえて絶飲食していた母に「まずお茶のんで」と ぬるめのお茶を淹れてくれる。
「お昼ご飯は ちゃんとありますからね。温める間 ちょっと待っててね。パンでも食べておく? 朝からずっと食べてないもんねぇ」
 毎週 私が持って行くパンを小さく切ってお皿にのせて母の前に置いてくれると、母は身を乗り出して 自分の手でつかもうとする。
 
 母が自分で持って食べようとする姿 久しぶりに見た!
もちろん手はひどく震えて、口にパンを持っていくのに時間がかかった。
「お腹すいてたよねぇ~」 支援員さんが涙ぐみながら笑顔を浮かべる。
「娘さん 辛かったでしょう」
「それが私 検査に間に合わなかったんです」
「その方が良かったですよ。検査室に入っていくのを見送るの絶対に辛いですから」と 涙をぬぐう支援員さん。
「母桃さん、ほんとによく頑張ったねぇ」
 少し前まで母の食事は 支援員さんが細かく刻んでくれていたのが 下血があって大腸の詰まりが判明してからは『それぞれのおかずをテリーヌのように加工した物』に変えてくれた。
 人参のグラッセ・ポテトサラダ・コロッケと思われる色と形の柔らかい物をスプーンで口に口に運んでやると 一生懸命口を開ける。
 通りかかる支援員さんが「たくさん食べてよ~」「おぉ 食欲あって良かったねぇ」と 声をかけてくれる。
 皆が本当に家族のように母を心配してくれてる。
 ありがたく、嬉しく、私の重かった心が いつの間にか軽く明るくなっていく。
 
 手術しなくてもいいんじゃない?
腸閉塞のリスクは、外科のドクターも「僕たちは最悪の話をしますからね」って言ったじゃん。
 別に「このままだと腸閉塞起こします」と言われたわけじゃないじゃん。
 
 人工肛門になっても ユニットの支援員さん達が その扱いを習得して対応してくれるとのこと。
 他のユニットにはそういう利用者さんもみえるとのこと。
 ただ、母が手術や全身麻酔に耐えられるのか? 術後の入院生活をおくれるのか?
 
 私がリアルに想像する事は絶対に実現しない…のは、私自身がよく知ってる。
だから自分が恐ろしい病気の恐れや検査がある時は わざと最悪の状況をあれこれ想像しておく。
 
 だったのに、それすら忘れて 母の検査を想像して余計な心配をし続けた4日間。
そして案の定『検査終わってから到着』という 予想外の結末。
 
 無駄な想像力は 今度は『あえて最悪の状況を想像しておく』で発揮させようか。
 このままでいけるんじゃないか…? なんて甘い想像してないで、次の通院日まで 最大限の悪い想像をすべきなのかな。

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2019年1月28日 (月)

こじつけ~!

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 何十年も前に友達がくれた占い本。

 イエスかノーで答えられる質問を思い浮かべながら、目を閉じて開いたページに その答えが書かれてるって代物。

 短いフレーズの文言は こちらの気分次第で どのようにもとれる。

 でもたまに、ハッとする程 的を射てる事があり(それも私の理解の仕方なんだろうけど)時々 使っている。

 今日は その『私のこじつけ理解』のお話(笑)

 去年、寿人の退団が発表された頃、どこへ移籍するのか…を何度も問うた。

たしか本の冒頭に「同じ質問は一日一回」とあった(と記憶してる)ので ずっとそうやって使っている。

 初めての質問は

【来季は広島?】

→単純明快 答えはノー。

それならば、同じ質問にならないように

【来季は広島以外?】

→過去の事を水に流せば幸運が微笑む。

過去の事…って事は 過去に在籍した事のあるチーム? もしくは過去にお世話になった監督の居るチーム?

ならば北から【札幌に移籍?】

→遠い親戚に相談しては?

 親戚~~~!? 勇人お兄ちゃん!?

では仙台を飛ばして【千葉へ移籍?】

→細部に目を向けるように。

 ん~~~これはどう理解すれば良いのか?

 と思ってるうちに、千葉移籍が発表になりました~。

 続いて、もう一つ。

 退団が発表された時 真っ先に思ったのは「寿人に会いたい…」だった。これは同じように特定の選手のファンの人は 移籍などが決まると 皆が決まって「会いたい…」って言う。

 さて、ヒサ婆ももれなく その「会いたい…涙」キャンペーンで、魔法の杖に聞いてみたわけです。

【トヨスポ(練習場)へ行ったら年内に会える?】

→そのまま行くと騙されるかも。

 ひぃぃぃ~~涙。

その日から毎日 同じ質問をしてみた。

【以下 同じ質問】

翌日には

→間違いなくイエス。

え?そんなに明確に? 嬉しい。

→星はイエスと言っている。明日の朝、自分の事をちゃんと尊敬できるのならば。

 翌朝、和也君の完全移籍が発表になり、妬む事なく素直に喜べたので『自分を尊敬できる』に該当するかなぁ…(無理やりこじつける)

だからと言って 実際にトヨスポへ行く事もなく、魔法の杖との対話だけは毎日続いた。

→木星はOKと言っている。

→挫折の後に望みをかなえてくれる。

う~~ん、挫折って…行っても一度は会えないって事かな? でもいつかは会えるの?

→イエス。それを通して もっとハッピイになれる。

 会えたら…話ができたら…ハッピイになれるんだぁ~♪

→ゆっくり進め。いつか必ず到達できる。

 でもさ、本当にその日来るのか?何時に来るのかも不確かなのに、往復3時間弱の運転をして、あそこで一人 何時間も待つのは無理だよ…。

 まして一度は(もしかしたら二度?)会えないで帰るんだろうし…時間も体力も無駄になる…一度空振りして また行くなんて 私には無理だなぁ。

 でも…なんか『会えるみたい♪』な気がしてくるだけで、元気になれそうだった。

→その問題に関して予想外の展開がありそうだと予告している。

ほぉ~! クラブが『お別れの場』を作ってくれるとか?

 しかし、この辺りから答えの様子が変化してくる。

→答えは自然にわかる。

そりゃ、クラブが「お別れの場」を設けますよ~って発表してくれればわかるよねぇ。

→今晩 その事について瞑想してみましょう。

瞑想…妄想…。

クラブが設定した「お別れの場」なんて大混雑で、ハンディのあるお婆ちゃんなんて隅っこで見てるしかないかもねぇ。

賑わいの中で孤独を痛感するだけかも…。

 

 そしてとうとう

→サイキックはイエスと言っている。ただし、本当に本当に望むならば。

 そこでハタと気づく。 私 もうトヨスポで会いたいって 必死で望んではいないんだ…って。

そう これが生涯の別れでは無いんだし、トヨスポで会えたって何も変わらないんだし、必死に会いに行く必要ないじゃん。

→一歩引いて 別の選択肢を考えて。

 はいはい。

それ以降は この質問をするのをやめたのでした。

もちろんトヨスポに行く事も無く、会えないまま寿人は千葉へ行ってしまいました~。

 ノートに手書きで残した記録…あの頃は悲壮で必死だったなぁ…苦笑。

今 読み返すと『思い込み・都合よい解釈』も甚だしいのに、その時は『なるほど!・そうなんだ!・うんうんわかった!!』だったのよねぇ。

 さて、ちなみに

【今年 母との今生の別れ(前回のブログ参照)がありますか?】と尋ねてみたところ

→あなたの自由にはなりません。

 ですって…あちゃーーー!

なんか絶妙なお答え。

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