2019年9月17日 (火)

夢の中で

 母の夢をよくみる。 これは母の生前の頃も。

実家らしき場所で 少々 老いてはいるものの 自分で歩き話せる母と夢で逢ってた。

「あ、お母さん こんなに歩けるんだ」

「あれ? お母さん ちゃんと話せるんじゃん」 毎回 そんな風に思った。

 

 母が亡くなってからも似たような夢をみる。

二日前の夢。

棚の上に母を置いて(「置いて」なのよねぇ)たのを忘れてて、慌てて見に行くと 母はちんまり体操座りしてた。

「ごめんねぇ~~~!」 急いで棚から降ろすと、母は私の両掌にのってしまうくらい小さい。

これは先夜みたドラマ「セミオトコ」が再現されてたんでしょう。

そっとそっと布団に横たえる。

「足 伸ばしていいよ~」 これは 千葉の台風被害の影響。

停電の為、エアコンをつけた車内で寝ているニュースを見て『ずっと足伸ばして眠れてないんだなぁ…』と思ったから。

続いて、母に氷を入れた水を渡す。 これも台風で被災した人たちが「冷たい飲み物が欲しい」「凍らせたスポーツドリンクが飲みたい」と言ってるのをテレビで見たから。

 自分で上体を起こした母はストローを挿してゴクゴクと飲む。

喉乾いてたよね・・・自分でちゃんと飲むくらい渇望してたんだね・・・。

愛しくて可哀相で泣けてくる。

「お母さん 慌てて飲んじゃだめだよ。ゆっくりゆっくりね」 あ、聴こえないんだった。

夢の中で私は声を出して泣いてたような気がする。

 

 あり得ない事と事実が入り混じる。

 

 夕べは、我が家の窓の外から母の呼ぶ声がする。

マンション中層階の東側の窓の下には、平屋のお家があり、そのお家の屋根の上から「ゆうこ~ 起きてるぅ~?」と 母が呼んでいる。

「起きてるよ~」と窓から顔を出す私。

 

 千葉の台風被害が私の夢の中に色濃く現れているようにも思える。

 

 母は私に何か伝えたいのかな・・・? とも思える。

 

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2019年9月10日 (火)

「打てっ!」って言わない

 7日、寿人がベンチ入りしたので、夕飯をさっさと済ませて 7時キックオフにはPCの前に。

寿人がベンチ外だと『結果だけ見ればいいや』になっちゃうのにね。

途中から出るかもしれないと思うと『それまでの流れも見ておかないと』ってなる。 私が流れを見てたところで 何がどうなるものでもないのに(苦笑)

 

 2人の交代が終わり「千葉ベンチ 最後の交代です」と ピッチレポーターの声が聴こえた瞬間、夫と私は神経を研ぎ澄ませる。

「交代は背番号11」これだけで 私は「はっ!」と息をのむ。

続けて「佐藤寿人選手です」 夫が隣で頷く。

二人で「ふぅ~」とも「はぁ~」ともつかない息を吐く。

 

 紺色のアウェイユニフォーム、いいんだよねぇ~。

サンフレッチェもグランパスも ホームが紫と朱赤だからアウェイは白っぽいのが多かった。(広島は厳島神社の鳥居のピンク色ってのもあったなぁ) 他のチームも ホームユニが濃い色だと アウェイユニは白っぽくて 私には『体操服みたい』に見えちゃう。(あくまでも個人の感想です)

 紺色のユニフォームの寿人 いいよねぇ~! ピッチを走ってる姿 なんか久しぶりに観るなぁ~。あぁ~走ってるなぁ~! それだけで嬉しい。

 勇人お兄ちゃんは 前回に続きフル出場で走り回り、的確にボールをさばいてる。

寿人も頑張れ!

 

 ゴール前での混戦。 ごちゃごちゃの中。

「寿人っ! 寿人っ!!」私は 金切声で叫ぶ。

要は「打てっ!」ってタイミングなんだけど、私が「打てっ!」って言って入った事が無いので…汗。

 客観的に見てても ボールがどこにあるのか、どう足を伸ばせば触れるのか、全く分からない。

きっと寿人は どういう位置でどういう姿勢で居ても ゴールの位置は把握してるんだろうけど。

とにかく寿人にゴールして欲しいの!

「あっ!」「あぁ~~っ!」「寿人っ!」「うあぁ~~~!」

とにかく寿人に打ってほしい。決めてほしい。 

時間にして数秒間の事なんだろうけど、見てるだけのこっちは必死。

 

 為田選手や下平選手がボールを持つと「為ちゃん! 頼むよ!」「匠くん!! お願い! 寿人にいいの出して!」もう勝手に『寿人へのアシストしてくれる子』に認定して『ちゃん・くん呼び』して ごめんね~。

 

 寿人ゴールはなかった。

でもゴール前でのああいうプレーが観られたのは嬉しかった!

この調子なら次もあるじゃん! もっと長い時間プレー出来ればゴールもするよ!!

 

 試合は負けたし、寿人ゴールも無かったんだけど、なんだか私は充実してた。 シュートシーンに繋がる姿が見られたからだね。

もっと観たい! 魅せてほしい!!

 

 勇人お兄ちゃんと競って もっともっとたくさん走り回ってほしい。 

寿人は「風の申し子」なんだから。「スピードスター」なんだから。

「思考するストライカー」ではあるけれど、裏抜けのスピードは 相手チームが嫌がる武器なんだから。

 

 

 興奮したせいなのか、その夜、寝る直前に『あれ…?なんか変』 

見ていたテレビ番組を途中でやめて布団に横になったら周りがぐるぐる回り出した!

お・・・久しぶりの回転性眩暈だ・・・。 目を閉じたら眠ってしまえたけど、早朝4時にトイレに起きようとしたら まだ回ってる!

 うぅぅ・・・日曜日の半日 寝たきりで過ごしました。

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2019年9月 4日 (水)

おかあさん・・・

 毎週火曜日、もう母の居る特養へ行かなくていいんだ・・・と思う。

スーパーでは、毎週 母に買って行ったミニあんパンを見て もうこれも買わないんだ・・・と思う。

 撮りためた母の写真を時々 見る。

ちゃんと目を開けた最後の写真は 今年の4月20日だったなぁ。

 

 その後は 眠ってる写真ばかり・・・と思ってたけれど、眠ってるんじゃなくて しんどくて目を閉じてただけかもと 近頃 思う。

私も体に異変が起きて休日救急診療を受診する時 ドクターの質問に必死で答える以外は目を閉じてるもんね。

点滴などで少し回復してくると 目を開けて周りを見る余裕ができてくる。

 母は ずっとしんどかったんだろうなぁ。

 

 目を閉じた母も 時に綺麗な顔をしていて、そんな時は色んな角度から撮影した。

息を引き取った時、最初の写真が一番いい表情だった。

 

 母が亡くなって 寂しいとか悲しいとかは思わない。 

母が見せてくれた穏やかで幸せな臨終の姿は、私が抱いている死生観を裏切らなかった。

それまでギュッと結んでいた唇がうっすら開かれ、目も薄目を開けて周りを見ているようで、半眼半口って これなんだと感動したっけ。

私は死ぬのが怖くない。 母の最期を見送って その気持ちは更に強くなった。

 

 母は、最後まで私に安心を与えてくれたんだね。

きっと本人の体は ずっと辛かっただろうに。

 

 たくさんの母の写真を眺めていると、亡くなった直後の写真に比べて、他の写真は みんな眉間にしわがあるのが分かる。

やっぱり母はずっとしんどかったんだね。

 息をひきとって、それまでの苦痛から解放されたんだね。

ほわぁ~っとした顔。

 

 グループホーム入所時代、ホームではヤクルトを配達してもらっていた。

それまでヤクルトを飲む習慣の無かった母も喜んで飲んでいた。

特養へ転居した時、ヤクルト配達のシステムが無かったので、私が毎週 届ける事に。

10本セットを買って行くと、先週の残りが3本ある。 最初の頃は次回は5本買って帳尻を合わせていたけれど、途中から新しい10本を置いて、残っていたのは私が持ち帰る事にした。

 私にもヤクルトを飲む習慣は無く 持ち帰ったら自分で飲むしかないなぁ・・・と 無理矢理飲んでいた。

ところがね・・・だんだん美味しくなってきたのよねぇ。

 今では お風呂上がりのヤクルトが楽しみに。

この頃 スーパーで買い物をする時、自分用のヤクルトを買っています^^

 

 毎晩 ヤクルトを飲みながら「おかあさん・・・」と 心で小さく呼んでみる。

愛しさと切なさが胸にひろがる。

 

 そうそう、母のヤクルト・・・2018年年明け、母のユニットでインフルエンザが蔓延した。 支援員さんも罹患。 利用者さんも10人中7人が感染した。

 無事だった3人の中に母も居て 支援員さんが「ヤクルトのお陰かもしれないですねぇ」と言ってたなぁ。

 

 

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2019年8月27日 (火)

夏が終わる

 8月中は 千葉まで観戦には行けないつもりだったのが、お盆を過ぎたら暑さが和らぎ「これなら行ける!」

ホテルもとれたし、翌日 トレーニングゲームがあるのも発表されたし、これはもう神様が「行きなさい」と応援してくれたと思う事にした。

 

 先週末から始まった膀胱炎(近頃 繰り返してる)も 新幹線に乗る頃には治まってきて「よーし!」

ホテルで荷物を置き、ユニフォームを着て、スタメンチェック・・・控えにも居ないのを知る。

 うぅぅ・・・😞

 風もあって 夏の終わりを感じるフクダ電子アリーナ。 以前は凝視した試合前のウォーミングアップも上の空で 友達とLINEをやりとりする。

 キックオフ・・・試合前半 お弁当食べててごめんなさい。

 ハーフタイム、初めてしっかりチアチームのダンスを堪能した^^ 散水も綺麗だった。 いつもは寿人のシュート練習を凝視してるから、他の事 目に入ってないのよね。

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 後半開始・・・両手を合わせるも 人差し指だけを動かす「ありんこの手拍子」で ごめんなさい。

 

 でもね 私でも だんだん本気になるのよ。寿人のチームメイトが必死で戦ってるのは分るもん。何度も耳にするチャントも自然に覚えてハミングしてるよ。(歌詞はよくわかんない)

「ありんこの手拍子」も 気づけば5本の指を合わせてた・・・音の出る手拍子にはならなくて ごめんなさい!

 負けちゃったなぁ・・・こんな時 寿人がピッチに居たら 手を叩いて味方を鼓舞してただろうなぁ・・・。

 

 ホテルに戻ると 膀胱炎が暴れ出す。

 眠れない夜が明けて、ユナイテッドパークへ。

迷わず観覧席近くの小屋の日陰を目指す(笑)

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 何度も動きなおし、裏抜けし、ここぞって時に前傾姿勢で疾走する寿人・・・見慣れたシーンなのに懐かしい。

 そして・・・やっとその瞬間は訪れた!

私が「打て!」と心で叫ぶタイミングでゴールした事は皆無。 この時も「あ、寿人チャンスだ・・・打つよね? あ~入った~」な感じ。

観客席からパチパチと拍手が起きる。 他の選手のゴールにも拍手はあったんだろうけど、それまでは気づかなかった。ほんとに寿人しか見てないなぁ、私。

 岐阜戦では スタジアムに居たのにゴールしたのを知らず(多くの人がそうだった)喜びそびれたのが ずっと心残りだった。

ちゃんと見たよ! 今度はちゃんと観た!!

 それまで トイレにも行きたいし、日陰も小さくなってきてるし・・・もうクラブハウスの方へ移動しようかなと迷う気持ちも出て来てたのに、ゴールを見ただけでニヤニヤしちゃって「後半 もう1ゴールするかも!」と欲が出る始末。

 後半はメンバーチェンジだったので、自身の体の為にはホッとした。

 

 広島から何度も観戦にいらしてる女性(3月3日 冷たい雨の降る練習場で声をかけてくれた)と再会して、色々 お喋りした。

たくさんの人に長く愛されてるね 寿人。

 

 またもタクシーが出払ってて 夏空の下、最寄り駅まで車椅子で走る事に・・・とほほ。

でも明るいから怖くは無いし、一度走ってるから「あと少し」って見当も付くしね。そのせいか『あら意外と近いじゃん。これならもうタクシー呼ばずに 毎回 駅まで行って待ってるタクシーに乗ればいいわ』と思う。

 紫外線は怖いので、なるべく日陰を選んで。 

 夏の終わりの空の下、フクアリはお洒落なデザインのスタジアムだと 感動して眺める。

 

 2015年秋 中心性漿液性脈絡網膜症を発症してからは転倒が怖くて 広島へ行く時も「これが最後になるかも」と思い、寿人のゴールやチームの勝利よりも「どうか何事もなく無事に帰ってこられますように!」が、出かける前の最大の祈念になってしまった。

 今回も「車椅子が壊れないように・膀胱炎で救急搬送されないように」と 変な心配をして出かけた。

前もってリアルに想像してる事は実際に起きない・・・と 思ってるので(苦笑

 

 お陰で無事に帰宅でき、月曜日からは室内の空気が青くなった。 

・・・夏が終わった。

 

 

 

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2019年8月17日 (土)

面影

 母の初盆。

 私が信仰している宗派では「お盆に帰ってくる」という概念は無い。

母を送ってから寂しさを感じるよりも ただただ母を 母との記憶を 毎日 感じて過ごしている。

 13日、私の毎月の内科定期診察の折、病院で『母を見た』・・・母によく似た人に会った。

 綺麗なショートカットの白髪、華奢な上半身、優しい色合いのパンツのウエストから腰のライン・・・母そのものだった。

娘さんと思しき人(私よりは一回り若そう)に手を引かれて歩く姿は ちょっと頼りなくて『あぁ、この方も認知症を患ってらっしゃるんだな』と思うと 余計に愛しくて。

 見ず知らずの人を凝視するのは失礼だけど、私の目は正面からでないと焦点が合わない。目の端で見るともなしに見るって事ができない。

見たい・・・母にそっくりなその人をもっと見たい。

 時々 視線を外しながら、体の向きを変えてまで2人の姿を追う私。

 そして、娘さんらしき人の問いかけに その方が答えるシーンに遭遇した。

『あ、こんな風にお話できるんだ!』予想外の反応になぜか嬉しくなってしまった。

ここ数年、友達とのおしゃべりの中で「母がこれこれこう言ってさぁ」「母はこう言うんだよね」などと聞くたびに『あ、皆は お母さんと こういう会話できるんだった!』と 妙に驚いたっけ。

 話せない母が 私には普通になってしまってたから。

 娘さんを信頼しきって頼ってるその方が ずっとお元気ですように…と 心で手を合わせた。

 

 母の夢も何度かみた。

 先夜の夢。

 サッカースタジアムに来てる私は 母を入り口に置いて来てしまった事に気づき 慌てて探しに行く。

長椅子に寝かされて目を閉じている母を見つけて ちょっとホッとする。

「お母さん、ここで寝てる? それとも 皆の居る所へ行く?」

母がどう答えたのか覚えてない(私の声が聴こえてたのかどうかも不明)けど『皆の居る所へ向かう』事にした私。

メインスタンドからバックスタンドへ向かわなきゃいけない。

 母は歩けないだろう・・・肩を貸しても無理そう。

・・・現実なら 杖をついた私が母を支えて歩くのすら不可能なのに、夢の中で私が選択したのは『母を歩かせるのは怖いから、私が抱っこしていこう』でした。

 母をお姫様抱っこする。

現実世界では、台所からリビングまでお盆にお茶のセットを乗せて両手で運ぶ事さえ無理なのに(苦笑)

 母は軽かった。 軽々とお姫様抱っこして 私はメインスタンドからバックスタンドへすたすたと歩いた。

亡くなった時 母の体重は30㌔そこそこだったはずだから、これくらいの軽さだったかもしれない。

 

 バックスタンドの『皆の居る所』には、私達母娘の知り合いらしい若いカップルが居たけれど、う~気が利かない。

長椅子に母を寝かせて 水を飲ませてやりたい、顔を冷たいタオルで拭いてやりたい・・・けど、彼らが全然 反応してくれないので、私がタオルを冷やす水を探しに行く事になった。

 

 そこで夢は終わった。

水飲ませてやりたかったな・・・顔拭いてやりたかったな・・・。

 

 目覚めても 私がお姫様抱っこして歩けた程 母の体が軽かった事だけリアルに残っていた。

 

 

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