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2011年8月 5日 (金)

お別れ

 昨日、お通夜。

 今日 告別式に行って来た…。

 「Hです。ご無沙汰しています」と男性の声で電話があったのは昨日。

「実は女房が亡くなりまして」

 とてもお元気な声なので「Hさんが亡くなった事」と一致しなかった。

 去年の入院で同室だったHさん。

 私が入院した時は、すでに5ヶ月の入院生活を経て退院目前だった。

「舌が荒れてるので、うまくおしゃべりできないのよ」とおっしゃりながら、私には くぐもった声でよくお話してくださった。

 退院が見えてるので、気分も高揚してらしたんでしょう。

 ご主人からケーキの差し入れもあり「スイーツ断ち」をしていた私も ご祝儀でご相伴した事もあった。

 退院するHさんの治療や現状から 私はある病気を思い浮かべていた。

 そして3ヶ月後、私が退院する直前に、Hさんは再入院してらした。

 私の入院生活、最初と最後の1週間を Hさんと過ごす事になったのも不思議なご縁。

 私の退院後、Hさんは10時間にも及ぶ過酷な手術を受けた。

 Hさんは ご自分の病名については一度も口にしなかったけれど、治療や手術の事は よく私に話してくれた。

 その大変な手術を終え、術後の想像を絶する苦しみも乗り越え退院されたのに。

 ゆうべ、お通夜の後、棺のお顔を見せてもらった。

 あまりに綺麗なお顔だったから、すごくすごく嬉しかった。

 術後の一番 ひどい時を見ているから、傷跡もほとんど見えない事に驚いた。

 入院中からすっぴんでも肌がすごく綺麗だったけれど、痩せて小さくなったものの、陶器のような綺麗な頬だった。

 薄く紅をさした口元が微笑んでいた。

 治療の後半は痛さとの闘いで「眉間にしわが寄ってた」とご主人。

「痛みから解放されて、この微笑みになったんでしょう」と。

「医師からも余命宣告されていたし覚悟はしていたけれど、宣告よりも早かったです。でもあの痛みが続くよりは、これで良かったんだとの思います」と毅然とおっしゃった。

 入院中、よく聞いた海外へダンス留学してるお嬢さんも帰国して、最後の一ヶ月は、つきっきりで看病されたそう。

 4人の成人されたお子さんと、優しいご主人に看取られてお幸せだったと思う。

 今日は喪主挨拶で、ご主人が病気の経緯などを語られた。

 私が思っていた通りの病名も ご主人の口から出た。

 よく頑張られたね。

 ずっと元気はつらつで体操教室を続けてらしたHさんを知らず、闘病の1年間をご一緒した事になる。

 遺影の写真は、私の知らない髪の長いHさんだった。

 でも笑顔は同じ。

 お通夜では、笑顔さえ交えて対応されてたご主人も 挨拶でHさんの思い出や、Hさんへの感謝の言葉を語られた時は泣いてらした。

 出棺の前の対面で、小さくなったHさんの頬やおでこに手を触れた。

「お疲れ様でした…」

「ありがとね~ 花桃さん」って、あのままの笑顔で返事してくれるような気がした。

 この年齢になると 葬儀に参列する機会も増える。

 私は「病気友達・入院仲間」の分だけ 人よりも多いような気がする。

 不謹慎ながら、私はいつも妄想する。

「私の告別式は、こうやって…ああやって…」

 子どもが居ないから、喪主挨拶する夫は たった一人なんだな…。それは、かなり寂しい。

 私の弔辞は「やさしい言葉いっぱいで、参列者の涙を誘う事間違いない」Nちゃんにすでに頼んである。

 私は皆に泣いてほしいんだ。

 私の信仰してる仏教は生花は使わないんだけど、私の祭壇には 花を飾ってほしい。

 と、センチメンタルな妄想をしてるようだけれど、実は「私は長生きするだろうな…夫が先に逝くだろうな…やだなぁ」なんです。

「あっちが痛い。こっちが痛い」と言いまくりながら、絶対に長生きする…やだなぁ。

 もしも…もしも私が先に死んだら、夫は喪主挨拶で「病気を免罪符に よく食べ、よく寝ていました」って言うかなぁ。

 Hさん、60歳までお元気でいらして、最後の2年弱は辛い闘病生活だったけれど、ご家族の愛情に包まれた穏やかな時間でしたね。

 充実の人生の最終章のページの片隅にいられた事を 私は感謝します。

 合掌。

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