ちびすけ花桃の頭の中
幼稚園時代の記憶を書いてから、また色んな事を思い出していた。
幼稚園のお遊戯会で、一人の男の子が
『富士山が僕のこれくらいの高さだとしたら、エベレスト山は、これくらいです(と、膝と頭を指し示したと記憶している)』と舞台上で言う場面があった。
練習の時から、なんで富士山が 子どもの膝くらいの高さしかないんだろう?と 見る度に疑問だった。
縮尺で例えてるのが理解できなかったのねぇ…。
幼稚園で『おかあさんごっご』をする時は、いつも『小学7年生役』だった。
それは『ポチ』よりは セリフがあるだけマシで、力のある子が『おかあさん』をとり、次に『おとうさん』『おねえちゃん』…小学1年生から『その他の子ども』だったから。
早生れで体も小さかったので、幼稚園ではどうしても出遅れてたんでしょうねぇ。
小学校から花桃を知ってる人は「うっそー」と思うでしょうけど。
小学校高学年の頃には、ちびだろうが何だろうが「私がお母さん!」もしくは「お姉さん」くらいは奪取したでしょうね。(おかあさんごっこしなかったから 解らないけど)
言葉に対する認識も 繊細だったような、おたりんちゃんだったような…。
鉄腕アトムの歌で
♪心やさし~ ラララ 科学の子~♪を ♪心やさし~ ラララ ただ冬の子~♪だと ずっと思っていた。
だって『科学の子』なんて名称 知りもしなかったもの。
で、子どもながらに「心は優しいんだけど、ただ、残念な事に 冬の子なのね」と理解していた。
小学生になってから、初めて読んだ伝記が 父が買ってくれた「ヘレン・ケラー」
その中で 聴力と言葉を失ったヘレンが 動作で言葉を表すシーンがあった。
かたをまえにつきだせば「いけ」で、りょうてをひけば「こい」 (動作ははっきり覚えてない)
何しろ低学年向けの本だったので、平仮名表記。
それを読んだ私の頭の中では
肩を前に突きだせば「池」で、その池で両手を引けば「鯉」 と変換されてたのです。
そしてご丁寧に「その池で」を両方にかけて省略してるんだな、ちょっと文章が変だなとまで思った。
池の前で両手を引いて鯉を呼んでるシーンがありありと浮かんでたのよねぇ。
想像力が豊かだったと言うか…やっぱりおたりんちゃんだったのか。
そして先日、スカパーの無料放送で『メリー・ポピンズ』を見て 驚いた。
これはいつ見たのか 全く記憶に無く(父が映画好きで 字幕のディズニー映画をよく見に連れて行ってくれてた)内容も 傘で飛ぶくらいしか覚えてない。
傘で飛ぶのは、後にテレビでちらっと出る『メリー・ポピンズの象徴シーン』として記憶してただけのような気もする。
でも今回、メリー・ポピンズが 子ども達の心を掴んでいく場面を見ながら
「これって、最後はなんだか寂しかったんだよねぇ…」とだけ思った。
アニメーションとの合成シーンは、今だから「すごい技術だわ~」と感心し、楽しいダンスや演出に 口元がほころんだけれど、きっと子ども時代は「なんで急にマンガが出てくるんだろう」と思ったような気がする。
眠ってしまってたかもしれない。だって全然 記憶になかったから。
そしてラストシーン。
あーーーーー! こういう事だったのね!
ハッピイエンドには違いないのに、私は 傘をさして飛んで行くメリー・ポピンズの心情を思って「なんかだ寂しい・可哀想」と感じたんだ。
そこだけは鮮明。
そこまで汲んでた私は やはり想像力が豊かだったんだろうか?
それとも とんでもない勘違い少女だったんだろうか?(苦笑)
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