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2014年6月 5日 (木)

母のこと

 昨日も一日中 母の事を考えてた。

 目覚めた瞬間にまず思う。

 朝食はあの綺麗なリビングで食べて素敵なんだけどなぁ…。

 2階のテレビは 今は独り占めできるし、ソファーに寝そべって大型テレビを見てればいい。

 楽しい想像をしてみるけど すぐに 母の暗い顔を思い出す。

 そして少し泣く。

 でも夕方になり、夕食の支度を始める頃には 普段の自分に戻ってた。

 母が今まで通り、家に居るような気がする。

 でも毎日夕方の電話をしなくていいんだ…。

 難聴の母への電話は けっこう面倒。

 いつも6時くらいから、30回くらい呼びだす。 出ない。 少し家事をして、また電話する。30回くらい呼びだす。出ない。

 こうして1時間くらいの間に3~4回電話すると 何回目かには出る。

「ゆうこ?」

「そうよ~!」

「お母さん 元気だから安心して。もう寝るところだから」

「は~い」

「いつも心配してくれてありがとうね。夫桃さんによろしく言ってね」

「は~い。おやすみ~」

 7時半を過ぎて出ない時は もう寝たんだろう…と思って電話をやめる。

 そのルーティンの必要が無くなった。

 今思うと毎日は面倒だったよねぇ…。

 広島へ行っても、外食に出ても、何とか時間を作って電話をしてた。

 私は面倒な日課から解放されたんだ。

 よかったじゃん。

 母と一緒の空間に居なければ、忘れていられるようになるんだ。

 母がホームに慣れるのを願うように、私も この辛さに慣れなきゃいけないんだ。

 ここ数年 実家へ行く度に、不条理な怒りをぶつけられ帰りの車の中で泣いても 帰宅して、夫に愚痴を言って、しばらくすればテレビを見て笑っていられた体験から納得してる。

 だからこそ、同居して『離れて忘れていられる時間が無い』人の苦悩は想像して理解しなければいけないって思ってた。

 母との残された時間は あとどれくらいなんだろう?

 

 昨日のブログを読み返していて「ああ、母に会いに行くのをこんなに楽しみにしたのは 久しぶりだった」って気付いた。

 2000年に私が鬱病を発症した頃は、日に何度も電話して、同じ話を繰り返した。根気よく聞いてくれた母。

 そして…2004年辺りからは、難聴が進行し、何度も聞き返されて、私がイライラしてたなぁ。

 思い起こせば、同時期に母も怒りっぽくなってたかも。

 少しずつ、以前のような「母娘」の会話が減って行ったのは あの頃だ。

 09年には、炊飯器でご飯を炊く事ができなくなってて「炊飯器の調子が悪い」と。

 家電に関しては全てが「○○が調子悪くて」だったなぁ。

 ドアフォンや電話を私が買い替えて、家のあちこちに子機を置いて、それも母の気に入らなくて。

「余計な事をしないで!」「ゆうこに監視されてる」「ありがた迷惑」と言われたなぁ。

 2010年に「認知障碍だな」と私が気づいた。

 早い段階で気づけた自分を褒めたいわ。

 通院も一緒にして、薬も飲ませ(これがまた苦労の連続だったなぁ…)進行を遅らせることができてたと思う。

 デイサービスへ行く事も、最初は「人を年寄り扱いして!」と私を怒ったけれど、ここは私の予想通り 行けば楽しい事がわかり、すぐに近所のお友達にまで「ゆうこが いいところへ入れてくれて、○さんも そこ行くといいよ」って言うくらいになった。

 弟との同居も始まり、その頃から私と母との関係は 穏やかに戻り始めてた。

 ここへ来て急速に母を愛しいと思えるようになったのは、私にとっては幸せな事だ。

 愛しいから可哀想で、私も辛いんだけど…。

 もぉ~~あんなクソババア、施設に入れてホッとしたわって思える方が楽なのかもしれないけど…。

 気持ちはやっぱりあっちへ行ったり こっちへ行ったりです。

 書いてる事も支離滅裂だね。

 日常の現実味が薄い。

 仕事へ行く事を忘れちゃいそう。

 

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