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2015年3月

2015年3月30日 (月)

不思議な力

 新聞の「くらしの作文」で 心に残る投稿を読んだ。

【以下、私の要約】

 夜更けに携帯に着信があり、留守電を聞いてみると、2年前に他界した母の声。

 

以前「あなたに電話したら『ただいま出られません』と冷たく言われた」と憤慨していた事があったが、まさかあの時の留守電?

 

 娘にも聞かせて確かめ、二人で顔を見合わせていたその時、実家の弟嫁から『弟が倒れて入院した』とメールが入った。

 

 翌日、母の留守電をもう一度聴いて保存したが、その後、履歴も何もかもすっかり消えていて、二度と聴けなかった。

 

 弟は くも膜下出血から何の後遺症も無く生還した。

 

 件の留守電は、機械ゆえの何かの間違いだったのだろうが 母が「弟をよろしく」と天国からメッセージを送ったと思えてならない。

 

 …という内容でした。

 本当に不思議な出来事。

 こういう事って きっとあるんだろうな。

 機械ゆえの何かの間違い…だけでは説明できない。

 私は、亡くなった人の魂がこの世に残っていて何かをするって事は あまり信じてない(魂は永遠だけれど前世の形では無いと思ってる)んだけれど、この投稿については、亡きお母さんが「弟の異変」を必死で知らせたと思える。

 義父が亡くなった時、私も不思議な体験をした。

 こん睡状態の義父のベッドの周りには、遠方の親族が集まり、私もずっと手を握って話しかけていた。

 夜も更けて「(体の弱い)ゆうこさんは帰りなさい」と言われて、一人車を走らせ自宅へ。

明け方、チャイムが鳴り、義父が入って来た。間もなく浴室から水音が。

 夢うつつで「ああ、お義父さん、ずっと入院してたからシャワー浴びに来たんだな」と思った。

 その直後、義父が亡くなったと連絡が入った。

 関東に住む義弟一家の長男(当時4歳)は「天井で じいちゃんがぐるぐるしてる」と言ったそうな。

 義父は 最期に私の所と 孫の所へ来てくれたんだと思った。

 

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2015年3月27日 (金)

乙女心はいずこへ…

 二日連続でこんな夢をみた…

【第一話・サッカー代表選手とデート?】

 私の住む市の市民会館が どうやらサッカー日本代表の宿舎になっているもよう。

すぐ近所なので(現実でも)行ってみた。

するとGK川島選手が「近くのショッピングモールへ行こうと思うんだけど、どこか知りませんか?」と私に言う。

「すぐそこですよ」 ええ、現実にも普通の人なら歩いて行ける距離に清○屋さんがある。

でもなぁ…川島選手が行く店では無いなぁ…(清○屋さん ごめんなさい)

「少し離れてるけど、もう一軒ありますよ」 …イ○ンの方が まだ合ってる。

「不慣れな店なので、売り場を案内しがてら、一緒に買い物してもらえませんか?」と川島選手が言うので

「はい、ご一緒しましょう。良かったら車で送りますよ」

「ありがとう! お礼にアル○ーニのベルトを買ってプレゼントさせていただきます」

 う~~ん、アル○ーニのベルトには何の興味も無いけど…それにイ○ンに アルマーニなんて売ってるかなぁ…まあ、ブランド物の何かを買ってくれるって事でしょうから、何でもいいわ♪

 川島選手と買い物なんてしてたら目立つんじゃないかなぁ…でも何だか楽しそう♪ 嬉しいな。

 イ○ンへ行くはずが なぜか自宅(現実の自宅では無かった)に川島選手と遠藤選手も居て(って事はハリルジャパンじゃないな)「まずは緑茶なんていかがですか?」なんて言ってる私。(現実でも日本茶には思い入れがある)

 私の家の開けはなった窓から向かいのマンションが見えて、その中にある『マッサージ』と銘打った怪しげな一室に若手選手が数名入って行くのが見えた。

「困ったもんです」と遠藤選手が苦笑い。

 ここで一話終了。

 川島選手とお買い物 行きたかったよ~。

【第二話・北山君と結婚?】

 唐突に Kis-My-Ft2の藤ヶ谷君が「もうそろそろ北山の気持ち 受け入れてもいいんじゃない?」と私に言う。

「うすうす皆も気づいてると思うけど、あいつも付き合ってる人いるし」と、他のメンバーを指差す(誰だったか記憶無し)

「北山も真剣なんだから、結婚前提に付き合ってやってよ」

 北山君は、近頃 私 大好きで注目してる子。

 でもなぁ…いきなり結婚はねぇ…私 結婚してるしなぁ…。

 二話終了~。

 アヒル寝 二日連続でこんなミーハーな夢をみた。

 夢の中でも 全然 ドキドキもせず、サッカー日本代表選手や人気アイドルと至近距離で話してるのに、緊張もせず。

 昔は、こういう夢をみて目覚めると「いい夢みたなぁ~」って ほんわかして、直後にテレビで当人を見ると「きゃ♥」と ドキンとしたものだけど。

 私が近頃 キュンとしたのは、ここちゃんだけだな…。

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2015年3月25日 (水)

墓前の菫

 一昨日の夜、

「明日、おちゃーちゃ(母の事を家ではそう呼ぶ)連れて お父さんのお墓参りに行こうかな」と半分独り言で言うと 夫が「大丈夫~?」と。

 夫は普段 私のする事に対して「それは止めた方がいい」とは絶対に言わない。

 その人の「大丈夫?」は すなわち「危ないんじゃない? 止めた方がいいんじゃない?」って事。

 そう…ちょっと前に 母を墓参りに連れて行った時、足元が覚束なくて「段差あるよ」も聴こえず「ここで待ってて」ができないので、私の他にもう一人居ないとダメだなと感じたのを 帰宅後 夫に話したんだった。

私「でもさぁ、おちゃーちゃ お墓参りに連れてくと喜ぶんだよねぇ」

夫「喜んでも 転んで骨折したらどうしようもない」

私「そうだよねぇ…私も巻き添えで転びそうだし」

夫「それが一番怖いです」

 

 風も強いから 昨日は母を喫茶店に連れて行くだけにした。

 帰りに 一人で父の墓参。

 何とか私一人で連れて来られないか…と考えながら、駐車場から水汲み場、お墓と歩いてみたけど…やっぱり一人では無理だ。

 誰かが母と一緒に『待ってて』くれれば可能。

 お墓参りもできなくなっちゃったね…と ちょっと切ない想いで 父の墓石の周りの草むしりをする。

 屈めないので手の届く範囲のみ。

 そしたら、小さな菫が咲いてた。

Photo これだけは残しておいた。
 

 

 お父さん…今度 お母さんを連れて来られるのは いつになるか分からないけど、必ず連れてくるからね。

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2015年3月23日 (月)

引き分け…

 去年は土曜日開催だったJ1の試合が 今季は 日曜だったり土曜だったり。

 そして偶然 見事なくらい「言の葉ひろば」の活動と重なる。

 昨日もスカパー放送をリアルタイムでは見る事ができなかった。

 「言の葉ひろば」の『朗読劇に親子でチャレンジ!』の全5回の講座も最終回の発表会を迎えた。

 充実の時間を過ごし、会員の打ち上げにも参加しないで駐車場へ。

 携帯を開くとメールの着信がある! 夫からだったら寿人ゴールだ! ワクワク♪

 開いたら友達からの別件メールでした…3時半の時点で夫からの「寿人ゴールメール」が無いって事は おそらく今日はもう無いな…まさか負けてる?

 後半10分くらいは見られるので急ぎ帰宅。

 0-0のままでした。 予想通り寿人はもう交代してた。

「すごく走ってたよ」と夫。

 私は「アンチなんとか」とか「宿敵」とかって あまり思わないんだけど、なんだか浦和だけは やっぱり特別な相手になってしまってた。

 「因縁の相手」って感じかなぁ。

 ここんとこずっと勝ててないから苦手意識があるってのも関係してるのかも。 

 0-0で終了。

 負けなくて良かった…けど、やっぱり勝ちたかったなぁ。

 他チームとの試合結果で 私の嬉しさの順番は サンフレッチェ広島サポーターさんには申し訳ないけれど

 ①寿人ゴールで広島勝利 

 ②寿人ゴールあるも広島勝てず

 ③寿人ゴール無くて広島勝利

 ④寿人ゴール無く広島勝てず

(もちろん、シーズン終盤で勝点1の差が 順位、特に優勝に大きく関わるようになったら別)

 ②と③の順には 広島サポーターさんからは石を投げられても仕方ないと自覚してる。

 でも浦和戦だけは、普通のファンと同じで『寿人ゴール無くてもいいから勝ってほしい』だった。

 勝点1を分けあって、第3節終了時点でも同率1位。 むむむぅ。

 得点ランキングも新聞に掲載されるようになった。

 3ゴールしてる人がもう大勢いるのね…。

 1ゴールでは 上位にも入れて貰えない。

 早く 寿人がランキングに載りますように。

 

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2015年3月19日 (木)

ハイジで泣く

 我が家は夫婦揃って「アルプスの少女ハイジ」が大好き。

 昔、夕方の再放送をしてた頃は全部を録画してたけど、VHSだったかのビデオで もう見ることができない。

 で、夫はリマスターDVD-BOXを購入した。

 毎晩、1~2本ずつ見ている。

 何度も見てるはずなのに、私は忘れてるシーンもけっこうある。

 夫の方が「ここにヨーゼフが助けに来ます」だの「山が燃えてる」だの、次のシーンを的確に予告してくれる。

 ハイジの天真爛漫で面白可愛いところが ここちゃんに似ているのに気づいて 二人ともさらにのめり込む。

 ハイジが「すぐに帰って来られるから。おじいさんに煙草と ペーターのおばあさんに白パンを買って帰れるから」と言いくるめられて フランクフルトへ発ってしまった時は、おじいさんが可哀想で可哀想で泣けた。

 以前 見た時も 可哀想でたまらなかったとは思うんだけど、今の私達は ここちゃんが帰った後の空虚さを知っているので もう二度と会えないと思ってるだろうおじいさんの悲しみが痛いほどわかる。

 ハイジが遊んでいた木のおもちゃを見つめるおじいさん…それを見て泣く私。

うちは、ここちゃんが帰って寂しくても また逢えるって思えるけど、もう絶対に逢えないとなったら…。

 数日が過ぎて、ゆうべは フランクフルトで夢遊病になってしまったハイジがアルムの山へ帰る回。

 『山へ帰れる』事に夢中で、他の事が目に入らず前のめりで早歩きするハイジには 天真爛漫を通り過ぎて笑わせられるけど、いよいよおじいさんの家が見えた時は胸がいっぱいになる。

 もう帰って来ないと思っていたハイジが そこに立ってる…。

 ハイジも 幼子がお母さんを求めるように「おじいさーーーん!」と跳び付く。

 二人がどんなに幸せな気持ちでいるのか…よかったね、よかったね!! 

ぐすっぐすっweep

 この後、クララが立って歩くシーンよりも 私はこのシーンの方が泣けるかも。 

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2015年3月18日 (水)

従姉妹

 観戦の為に出掛けた松本で従姉妹と数年ぶりに逢えた。

 9つ上の従姉妹は、私が子どもの頃、すでに大人だった。 おまけに親戚中でとびきりの美人。

 従姉妹似というものは全く存在しない、スラリとした和風美人の従姉妹は60歳過ぎても若く美しい。

 私の中では永遠に雲の上の憧れの女性。

 私が40代になるあたりからかな、ちっとも年をとらない従姉妹と年齢差が縮まって来た(笑)

 父亡き後も 我が家を(特に病気の私を)心配してくれる伯父夫婦を乗せて よく母のところを訪ねてくれていた。

 そんな時は私も合流しておしゃべり。

 そのうち、女同士の話もできるようになり、お互いに子どもが居ない共通点もあって、電話でおしゃべりすることも。

 ここ数年は、母の認知障碍による不条理な怒りに接して 泣きながら電話もしたなぁ。

「ゆうこちゃんに 逢いたい」「今年こそ 逢いたい」と お互いに言い続けて やっと叶った。

 信州の人の話し方はやさしい。

従兄弟の子どもが幼いころ、私が話すのを聞いて「お姉ちゃんは何を怒ってるだ?」と言ったことがある。

 私は名古屋弁丸出しでは無いつもりだけれど、おっとりした信州の人達の話し方に比べると、ぶつけるような言い方に聴こえるんだろうなぁ。

 信州の話し言葉のアクセントは標準語とほぼ同じだけど、独特の方言がある。

 美魔女の従姉妹も「○○しただ」(○○したの…って感じかな)と言う。

「○○しただよ」(○○したのよ)ってのもよく使う。

 それがと~ってもやさしい響きなのよねぇ。

 子どもの頃は「○○ずら」もよく聞いたけど、最近は あまり出てこない。

 今回、土曜日の試合前と 翌日 塩尻を発つまで、従姉妹と ずーっとおしゃべりして、美味しい昼食を食べる為に、車(コンパクトな外車)で遠出もしてくれた。

 おしゃれの話から、夫婦の事、親の事、昔の話、話題は あっちへ行ったりこっちへ行ったりで尽きない。

 私の父が戦争から復員してきた時の事が話題になった。

 伯父(その伯父も今は空の上)が私達に話してくれたんだけど、その時の伯父の口調が とても印象深いのに どう言ったのか思い出せなかった。

私「幽霊かと思った…みたいな事を すごく伯父さんらしい言葉で言ったんだよねぇ…なんだったかなぁ」

従姉妹「亡霊とか?」

私「そうじゃなくて…驚いたって感じの事」

従姉妹「おどけた?」

私「そうだ! それそれ!!」

従姉妹「んとおどけただ」(すごく驚いたよ)

私「そーーーぉ!!!」

 今 これを書きながらも、それを言った時の伯父の顔や声、そして再現してくれた従姉妹の可愛らしい言い方を思い出すと 涙ぐんじゃう。

 鰻をご馳走になり、そのまま塩尻駅近くのケーキ屋さんで ケーキを食べ、お土産を買ってもらい、駅のロータリーに車を止めて「あと5分」と 時計を見ながらおしゃべり。

 JR一本で繋がってるのを再確認できたので「お互いに動けるうちに逢おうね」と約束した。

 美魔女の従姉妹と撮ったツーショットを 昨日 母に見せた。

「これは ゆうこだね」

『そうだよ。こっちはM姉ちゃん』 分かるかなぁ?

「ふぅん」 あまり興味なさそう。

『私より9つ上だよ。見えないでしょう。やっぱり綺麗だよ』

「ふぅん」 これは絶対に分かってないな。

『松本のS子伯母さんとこのM姉ちゃんだよ。 S伯父さんとこのM姉ちゃんだよ』

 母のネジが締まった。

「従姉妹だもんねぇ。Mちゃんに逢ったの? Mちゃん来たの?」

『サッカーの試合を見に 松本へ行ったから M姉ちゃんとも会った。いっぱいご馳走になったよ』

「ほんと~良かったねぇ。お母さんが喜んでたって言っておいてね」

 小学生の頃は、信州の親戚一同でキャンプもした。

楽しい想い出をいっぱい作ってくれたおじやおば達も年老いて 少しずつ疎遠になっていく。

 忘れちゃいけない大切な人達。

 松本山雅のJ1昇格で、従姉妹に逢いに行く事ができた。

 私にこんな扉を開いてくれた。

 

 

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2015年3月16日 (月)

松本山雅…みんな素敵だった!

 寿人ゴールが無ければ、試合観戦のブログも書かない私だけれど、今回は松本山雅のおもてなしが素晴らしかったので、どうしても書いておきたい。

 J1に初昇格した松本山雅との試合、よりによって3月の夜なんて…。

 でも私の家から、JR(乗り替えはあるものの)1本で繋がってるから『近い』って錯覚と、亡き父の故郷で 今も仲良くしている従姉妹に逢う目的もあって 一泊で観戦した。

 名古屋駅に出ないで行けるってのが まず新鮮。

 子どもの頃には 家族で時々 訪れた松本(父達は『信州』と言ってた)にJRで行くのは 本当に何十年ぶりか。

 塩尻で下車して、まずホテルに荷物を預ける。

 そこのフロントのお姉さんにサッカーの試合で…と言うと「山雅が勝てるとは思えない」って控えめなお言葉。

 従姉妹が車で迎えに来てくれて、従姉妹夫婦が営む喫茶店へ。

 そこのお客さん達も「広島は強いから 引き分ける事ができれば恩の字」 「胸を借りるつもりで」って。

 もう…ほんとに謙虚なんだもん。 皆さん、人が好すぎる。

 従姉妹といっぱいおしゃべりをして(これはまた後日アップ)夕方、アルウィンまで送ってもらった。

 天気予報では夜は氷点下だったし、従姉妹も「いっぱい重ね着してき」と言うので、私は冬服の上にカーディガンを着て、冬のオーバーを着、さらにサンフレッチェ広島のフリースポンチョ。 もちろん使い捨てカイロは背中と腰に4枚。

 足元はタイツにパンツをロングブーツにインした三重構造。

 サンフレッチェのニットマフラーを巻いて真丸になって「すごいでしょ?」と従姉妹に見せたら 「それくらいでいいだ」と言いながら かなり笑ってた。

 従姉妹の車を降りたら、ちょうど山雅の選手のバスが入って来る所で、山雅のおばさまサポーターさんと出くわした。

「ようこそ山雅へ!」と笑顔で言ってくださって嬉しくなる。

 いつものようにメインの指定席なんだけど、チケットを買う時『メイン ホーム側・アウェイ側』の選択ができなかった。

 偶然、アウェイ側ではあったけれど、ほぼ満席のスタンドにサンフレ側の人間は私を含めて7人ほど(私の勘定)が バラバラに座ってる(グループは2組)

 恒例のひとりぽっちの私は肩身が狭いというか、よそ者が紛れ込んでるような負い目を感じてると、隣の席の緑のお兄さんが「広島から来たんですか?」と。

 迷惑がられていなさそうな口ぶりだったので、それでちょっと安心する。

 座席の前の狭い隙間を出入りする度に、若い男性も年配の人も「ごめんなさいね」「すみません」「申し訳ない」と 何度も何度も言いながら通る。

 こういう時、私も自分が通り終えるまで謝りたいタイプだけれど 『どいてくれるのが当たり前』な人もけっこう多いので、こんなに誰も彼もが最後まで言葉をかけ続けるのは新鮮で心地よかった。

 そう言えば、父はすごく礼儀を重んじる人だった。  信州人の気質なのかも…と 改めて思った。

 試合前の選手達のアップが終わり、広島の選手達は私の居るスタンドの下へ引き上げてくる。

 上記の通り、このスタンドには紫は数人しかいないはずなのに、拍手が起きる。

 寿人が近づいて来た時は その拍手が大きくなった。 

 拍手だけでも嬉しかったのに、寿人への拍手の大きさで さらに嬉しくなっちゃった。

 松本の人達って優しい!

 そんな感激をしてたんだけど…。

 スタジアムの電光掲示板と放送で スポンサーの紹介をしている最中に ゴール裏の広島のサポーターさん達のチャントが始まってしまった。

 え~~~スポンサー紹介が終わるまで待ってよ~。

 こんなに歓迎してくれる松本山雅の人達に対して申し訳ないよ…。

 これはちょっと恥ずかしかったな。

 選手入場の時に、スタンドでタオルマフラーなどを頭上に掲げるのは どこでもやるけれど、松本山雅では、メインスタンドの人達も全員何やら歌いながら立つ。(厳かな曲だったけど、一回聴いただけじゃ覚えられなかった)

 タオルマフラーも掲げるし、人差し指で頭上高くを指すのも全員がする。

 メインスタンド常連の私は、恥ずかしながらエディオンスタジアムでも立たない…メインは立たない人が多い。

 試合が始まると、ホーム側のゴール裏が主導だとは思うんだけど、反対側のサポーターもチャントに唱和して、メインスタンドにいるとステレオで聴こえてくる。

 もちろんメインスタンドも同じチャントに包まれる。

 老若男女が歌う。

 そのメロディも、あちこちでよく聴くものもあるけれど、独特な手拍子が入ったりして、なんだか村のお祭りみたいなの。

 お年寄りも違和感なく参加できる感じ。

 従姉妹が お店のお客さんで70代の女性が熱心に応援してるって言ってた。

 広島サポから♪さーとーおー ひぃーさと ららら、ららーらー♪が起こると、隣のお兄ちゃんが「これ 山雅ではゴールした時にやるんですよ」と教えてくれる。

 敵なんだけど、同じ観戦者として仲間に入れてくれてる感じがして嬉しい。

 さて、試合中、寿人がゴールに迫ると 後ろの女性が「寿人が来る! 寿人が来る!! ついて! ついてついて!!」と金切り声をあげる。

 寿人ミーハーファンの私が「寿人 行け行け!!」って思うシーンでは無いんだけど、寿人が動くと 後ろの女性は「うわっ!寿人が来てる!」「ほら!寿人が来てる!」と警戒音を発する。

 私はポンチョを着てるので、寿人ファンだとは分からないでしょうけど、そうやって警戒される事が これまた嬉しかった^^ (おそらく広島の選手では 寿人しか知らないんでしょう)

 私はそれを聞いては にやにやしちゃってた。

 なのに「あーーー寿人にやられたーーー!」ってできなくて残念!

 一つ一つのプレーにスタンド全体が湧いて 皆が楽しんでるのが伝わってくる。

 

 私は従姉妹が淹れてくれたポットの熱いお茶をすすりながらも、三重構造の足元の冷えが限界でブーツの下の脛にもカイロを貼りつけた。

 体は寒いけれど、心があったかい。

 そして試合は2対1で 広島勝利。

 すると隣のお兄ちゃんが「おめでとうございます」と。

「ありがとうございます」(寿人ゴールが無いので、嬉しさも半分なんだけど)

 この後 また驚いたのが…広島の選手達がスタンドの下に引き上げてくる時の事。

 メインスタンドの観客は半分くらいは帰ったけれど、残りの人達は全員が立って拍手。

 まるでエディオンスタジアムのメインスタンドのように、広島の選手達を拍手で迎えてくれた。

 負けた試合で、相手チームの選手をそんな風に称えてくれるのって珍しい。

 そう言えば、父方の親戚の人達も 名古屋から私達一家が行くと、その家に親戚一同を集めて歓待してくれたっけ。

 お客さんを心からもてなすのは 信州の人達にとっては当たり前の事なのかもしれない。

 スタジアムの出口では、緑のジャンパーを着た人達が整列して「ありがとうございました!」と頭を下げてた。

 おおらかで優しい松本山雅の人達、ありがとうございました!

 来年もまた来たいです!

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2015年3月12日 (木)

実質的な値上げ…

 消費税8%には 結局 慣れさせられてしまった。

 スーパーで買い物をして、以前と同じくらいの物しか買ってないのに、レジで金額を言われてビックリする事も だんだん「これくらいの値段」って覚悟するようになってるし。

 こうやってなし崩し的に受け入れていくしかないんだろうなぁ…。

 でも!

 商品の値段も値上がりしてるし、たまに「良心的ねぇ、値段上げないなんて」と思ってたら、なんだか量が減ってる! って事にも出くわす。

 よく購入するカニカマもそう。

 なんだか嵩が違うのよねぇ…。

 それと苺。

 昔はパックに二段 ぎっしり詰まってた。

 近頃、そのパックが浅くなってるように感じるんだけど、被害妄想かなぁ。

浅いから、上の段にびっしり並んでても下段は4~5個くらいしかなくて。

 切ない事です。

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2015年3月11日 (水)

跳び上がる母

 昨日は母のいるグループホームへ。

 1時ちょっと過ぎ、昼食後の片付けも終わって、2階のリビングのテレビの前のソファーでは 数人のおばあちゃま達がくつろいでる。

 お喋りするわけでもなく、テレビを見てるようで 何も見えて無さそうな方も。

本来の母なら、こういう場所に居たら、皆を和ませようと声をかけたりしてるんだけどな…。

 母は…案の定 部屋の鍵をしめてました。

 職員さんに開けてもらって…職員さんは母が聴こえなくてもノックをしてくれる。

 私の姿を見ると 布団の中から「ゆうこ!?」と言って跳び起きた。

 なぁんとなく寝ぼけた感じで「ゆうこ~?」もあるので、この反応は珍しい。

 半身を起こした母の手をとると「ゆうこが来てくれるなんて お母さん 嬉しい!」と叫びださんばかり。  先週も来てますが…。

 

 セーターをズボンのウエストにインしている母。 どうせ上に羽織るから いっか…。

『喫茶店に行こう』と書いて、カーディガンを着せ、コートを着せる。

「嬉しい!」「喫茶店? うれしーい!」と 何度も言いながら仕度する。

 部屋を出ると 職員さん達に「娘なの!」と言って回る。

 はいはい、皆さん よーくご存知よ。

 この日の母は 特にご機嫌だったみたいで、一人の職員さんが「母桃さん、いいお顔してる~」と。

 喫茶店では小倉トーストを「美味しいねぇ~」「これ 美味しいね!」と 何度も言いながら食べる。

 でも週刊誌は開こうともしなかったなぁ…。

 そして、店から車まで…車からホーム内まで…とにかく ほんの数歩の歩行が危なっかしい。

 一人では歩けないような感じ。

 私が手を繋ぐとやっと安心して足を出す。

 勝手にどんどん歩いて行かれるより安全だからいいんだけど、でも 足が弱ってるのを実感する。

 先週 帰ってから歩行器をネットで見てみた。

 いかにもシルバーカーだと きっと嫌がるだろうけど、医療機器っぽいのならいいかも。

 と数点に目を点けた。

 清○屋さんの『きてみて帳』も始まり、店内にある介護用品売り場でも割引がある。 歩行器も目玉商品として掲載されてた。

 店で実際に見て(どうせ母のお金だから)買っちゃおうかなぁ…と。

 ホームでケアマネさんと職員さんに その旨を報告してみたところ

「高いものなので買って使わなかったらもったいないので、少しここのを使ってみてからにしませんか?」と提案してくれた。

 そりゃ その方がありがたい。

 近頃は 空の車椅子を職員さんが押して散歩に行き、途中から母が乗るんだって。

そんなに歩くのが億劫になっちゃったのかなぁ。

 転倒して傷めた腰のせいかなぁ。 

でも最近は 腰が痛いって言わないし、歩き始めの動作も『痛くて動きにくい』というよりも『怖くて踏み出せない』ように 私には見えるんだけど。

 とにかく歩行器は少し先延ばしになった。

 専属の歯科医師さんから 母の歯牙検診の報告と、治療や口腔ケアの提案が書類で渡された。

 もし同居してたとしても、母が「痛い」「不快感がある」と言わない限り、口の中まで見なかったと思うので、ここまで診てもらえて本当にありがたい。

 歯や歯茎の治療は 長期間かかるけれど、来診してくれるからお願いする事にした。

 数年前、母の認知障碍が少しずつ始まった頃、ノートテイクの為に、毎週 歯医者さんに通った時期がある。

 「なんで歯医者さんに来ないといけないの!」と 時々ののしられながら、母の認知能力の衰えを感じながら、あの時は必死だったなぁ…。

 数分前の出来事も忘れ、自分で聞いた事に私がノートテイクで答えると、質問した事を忘れるので「これ 何の事?」となる今。

 母にとっては悲しい変化だけど 母が全身で頼ってくるのは、私には精神的にはありがたい。

 もちろんグループホームあっての事だけれど。

 母と過ごすやさしい時間 あとどれくらい残っているのか分からないから、今を大切にしたい。

 

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2015年3月 7日 (土)

第一節 広島 対 甲府

【広島 対 甲府】 エディオンスタジアム

 (スカパー録画観戦)

 soccer2-0 広島勝利

 soccerゴール…寿人・ドウグラス

 毎年 ホーム開幕戦は広島に行くんだけど、今季は「言の葉ひろば」の講座を明日に控えた役員会で『私が居なくても そんなに困らないだろうなぁ…』とは思いながらも、やっぱりこちらを優先させた。

 昨日 前日練習を見学した小春ちゃんが、ミニゲームでの寿人の2ゴールをメールしてくれた。

 寿人も試合前日にもかかわらずブログを更新してたから、よほど手ごたえを感じてたんだろうなぁ…寿人は開幕戦ゴールの確率高いし…やっぱり行きたかったなぁ…でも雨かもしれないから この時期に雨に濡れたら私きっと風邪ひくしなぁ…と 無理矢理納得させてた。 

 3時半に役員会が終わり「急いでるので」と おしゃべりもそこそこに一番に出て来た。

 車に乗り込んで まず携帯チェック。

 夫からのメールがある! ワクワク♥

『青山から寿人ゴール。ナイスゴールでした』 きゃあーーーー!! やったぁーーー!

 アオちゃんからってのが また嬉しい~!

 急ぎ帰宅。

 寿人は交代した後だったけど、ゴールシーンのリプレイは何度も流れた。

 ほんとアオちゃん、あんな遠くからよくぞ寿人にピンポイントで出してくれたわ!

 寿人もヒーローインタビューで「トシのお陰」って言ってたし^^

夫が「アオちゃんは それまでも何度も寿人を見てた」って。

 あぁ~『アオちゃん&寿人』こそが元祖ホットラインなんだもん。

去年は『高萩と佐藤の…』って 実況解説が何度も言ったなぁ…。

 今季は またアオちゃんから寿人への『ありがた~い1本』が たくさん見られるといいなぁ。

 とにかく寿人がゴールしてくれると、私は俄然やる気が出てくる。

何かしてても ふと「あ~~良かったなぁ…」とつぶやき 嬉しくなる。 私も頑張るぞーーーって思う。

 この高揚感は、数日は続く。

 明日から火曜日まで連続で御用があるけど、頑張れるぞーーーー☆

 

 

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2015年3月 6日 (金)

ご報告

 1月に 母の入所してるグループホームから「検査を受けて」と言われて、K市民病院へ連れて行った事を書いた。

 その後、個人的なメールなどで数人の友達には 検査のその後(結果ではない)などを報告してたんだけど、昨日 別の友達から「あれからどうなったのかなと思って ずっと気にしてた」と言われてびっくり。

 ほんとだった~~~!

 私の不注意で転倒させて母の腰が痛くなり、グループホーム専属医師から検査を勧められて大騒ぎしたのに、その結果を ここで報告してませんでした。 ごめんなさい!

 CTの画像を当日 病院から持ちかえってホームに届け、後日、ホームの医師が見てくれたはずだけれど、私には特に何も報告が無かったの。

 そもそも検査に連れて行く時 施設長さんが「検査受けたからって 痛みが無くなるわけじゃないんだけど…」と申し訳なさそうに言ったのよね。

 その時、ちらっと思ったのは『娘の家に泊まった時に転倒した』事を別の何かで証拠に残しておいた方が良いと医師は判断したんじゃないか…って事。

 この先、母の腰骨に異常が出た時 ホームで何かあったんじゃなく、外泊時の転倒が原因って言えるように。

 それは預かる者としては当然の防衛策。

 で、もし緊急に対応しなければいけない状況だと判明すれば、すぐに私にまた何か話があったはず。

 それが無いのは『ひびが入ってるけど温存できる範囲』くらいだったのかなと。

 近頃、母は腰が痛いと言わなくなったし。

 と言うわけで、緊急に手術が必要とかではありませんでした。

 ただ、私の中で 次は歩行器を検討しています。

 歩くのが怖くなって歩かなくなったら、母の脚力はどんどん衰えちゃうからね。

歩行器につかまれば転倒の恐れは無くなるから、ちょっとは歩く気になるかも。

 …ただ 母がそれを使う気になるか?

 もしくは使いこなせるか?

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2015年3月 4日 (水)

両親の愛に感謝する日

 昨日は誕生日だと言う事を 朝まで忘れていました。

 2日の夜は「明日は病院へ行って~終わった時刻によっては 母の所へ直接行って一緒にご飯を食べて~ 紫外線が強くなる前にお墓参りも行っておくといいかなぁ~。尿蛋白はどうかなぁ~」などと考えていて、自分の誕生日はすっかり抜けてました。

 朝、起きて来た夫が「誕生日おめでと~」と言ってくれて「あ」と気づく。

 病院ではR子先生が待ち合い室まで寄ってくれて「今日 お誕生日ですね」と。

 尿蛋白は+-になっていた^^

 マイナスになったとしても すぐにはステロイドは減らさないだろう…と思ってたら、意外にも「前回は尿蛋白以外 血液検査の数値も良好だったから…よし、減らそう!」とW先生。

 え~~いいんですか~~~^^

 これから苦手な季節になっていくので、油断はできないけれど、さらなるムーンフェイスの心配だけは ここでストップできそう。

 薄曇りの空の下、母のホームへ。

「まさか、ゆうこが来てくれるとは思ってなかったわ~。遠いのに悪かったねぇ」と母。

 そんなに遠くないし、毎週来てるんですけど…。思わず吹き出してしまう。

 一年前なら『まさかって何よ』って ますます仏頂面になってただろうな。

『お父さんのお墓参りに行こうよ』と書いて見せると「わぁ~嬉しい~~~!」

 助手席の母の膝に『お父さんのお墓参りに行こうよ』が見えるようにノートテイク道具を置く。

 母が何やらせっせと書いてる。

「ありがとう。お父さんは 誰よりも ゆうこが来てくれるのが嬉しいと思います。私も ゆうこが来てくれるのが 一番嬉しいです」

 母は口で言えばいいのにね…また笑ってしまう。

 ただ霊園では 母の衰えを痛感した。

「お母さん、一人では どこへ行っていいかわからないわ~」 そうでしょう…。

 もう父のお墓の場所もわからないし、この前来た時よりも さらに足元がおぼつかなくなってる。

 でも水桶は持とうとする。

「そこ段差あるよ」「そっちじゃなくて こっちだよ」と 瞬時に伝えられないので、母の腕を自分の腕にからめて、足元に注意しながら歩く。

 それでも母は躓くし、よろけるし。

 私も荷物やノートテイク道具があるし、自分も足元は危ないので、母と二人の墓参が ちょっとずつ大変になってきたのを感じた。

 お墓の簡単な掃除を終えると「お父さん! ゆうこが連れて来てくれました。お父さん、早く 私を迎えに来てください!」 大きな声で言う母。

 3時からホームで「ひなまつり会」をすると聞いていたので、喫茶店には寄らず直帰。

 一人ずつ お雛様のショートケーキが準備され、職員さんが「今朝 ひなまつりだよと言ったら、母桃さんが ゆうこの誕生日だっておっしゃってました」と。

 当の母は そういうやり取りさえも すっかり忘れてたけど^^

 ケーキを前に、職員さんの音頭で 入所者さん達が「ハッピーバースデー」を手拍子で歌ってくれる。 

 何か分かってない母も手拍子をする。

 お礼を言ってから『今 みなさんが 私の誕生日を祝ってくれたよ』と書いたら、母はおもむろに立ち上がり「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。

 多少 タイムラグがあるので、皆さんには 分かったかなぁ~~~。

 二人の職員さんが 自分たちの分のケーキを私にくださって(お二人は半分こ)美味しいケーキタイム。

 その後、母の部屋でアルバムを見た。

 数年前、母との仲が険悪だった頃『幼い頃のアルバムを親と一緒に見るのも良い』と聞いて 実践した事がある。(その時は、それほどの心境の変化は無かった)

 母の入所時に、アルバムも持って来たので、時々 二人で見る。

 誕生日のこの日は 赤ん坊の私を抱っこする嬉しそうな父の顔や、初々しい母の姿に込み上げるものがあった。

 父も母も幸せだったなぁ…。

 母は相変わらず血圧が高く、近頃は朝の散歩も「今日は だるいから行かない」と断る事が増えてきたと職員さんが申し訳なさそうに話してくれた。

 あれほど散歩が好きだったのに。

 だから足がどんどん弱っていくんだね。

 先日は、ホーム専属の歯医者さんから 義歯が抜けた事、その治療について相談の電話があった。

 きめ細かく対応してもらえるのが本当にありがたい。

 母の血圧は、歯の不調から来てるのかもしれない。

 でも当の母は 抜けたままになってる歯も 違和感がないらしい…自覚してないと言うか、食べた時の嫌な感じも すぐに忘れてしまうんでしょうね。

 母にとっては それも幸せな事かもしれない。

 私にとっても「ここが痛い」と言い募られるより 知らずに居た方が楽だ。

 でも…着実に体は弱ってるのは 私にもわかる。

 爪の伸びるのは異常に早い…汗。

 私の爪切りも まだ怖々で、母も緊張している。

 赤ちゃんの爪を切る若いお母さん 偉いなぁ。

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2015年3月 2日 (月)

来たーーーーーーっ

 新年早々の内科受診で、蛋白尿が+2になり、ステロイドホルモン剤が2錠に増えた。

 この一年くらい、体はじわじわ肥ってるのに、顔がほっそりした(2010年のステロイド長期使用の副作用がやっと消え始めた)ので、久しぶりに会う人には「痩せた?」と聞かれてた。

 2錠くらいなら、ムーンフェイスにはならないかも…ならないといいな…と ひやひやしていた。

 2月の受診でも蛋白尿に変化はなく、当然ながらステロイドホルモン剤も2錠継続。

 そして…やっぱり来たーーーーーー。

 毎日、鏡を見る時 頬の膨らみをすごく意識はしてた。

「あら、やっぱり2錠くらいなら影響ないわ…でも副作用が出ないって事は ステロイドの必要量にまた満たないって事かなぁ」などと思ってた。

 ところが、ある日突然、ちょっとうつむいた時に、顎と首に違和感が。厚い物を巻かれているような感覚。

 来たな…。

 両手で頬を挟んでみると ん~~~ぽってりしてるぞ。

 若い頃のムーンフェイスと違って下膨れな感じ。

 明日の診察で もし蛋白尿が減っていたとしても、すぐにステロイド減量にはならない。

 蛋白尿が減ってるとは思えないし…。

 あぁ…またムーンフェイス復活だ…。

 せっかくの春なのに。

 両股関節が人工骨頭なので、骨頭壊死の心配は しなくてもいいんだけどネェ…苦笑。

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