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2016年7月28日 (木)

母との時間

 母の介護認定面談にそなえて、この1年間の母の変化などを記録した物を見返した。
 本当に坂道を転げ落ちるような勢いで 母の認知障碍は進んだ。
 
 幼馴染が「どんなに認知症が進んでも おばさんは花桃の事だけはわかると思ってた」と驚く。
 『私の事もわからなくなった』のを 私は不思議に抵抗なく受け入れられた。
「こんなに近くに居るのに、なんでわからなくなったの? 私よ! 思い出してよ!」って嘆く話はよく聞く。
 そういうストレスを感じずに済んだのは、幸せだね。
 
 私は日常の小さな幸せを書き留めておくノートを持ってる。
「こんな事があって嬉しかった」「○さんに褒められた」って事から「こんな素敵な夢を見た」って事まで。
 そんな嬉しい事なのに、残念ながら日常的な小さな出来事だと忘れてしまって、その時 感じた幸福感は長続きはしない。
でも書いて残しておくと、後々 読んで「ああ、そうだった~」と また思い出してちょっと幸福感を味わえるの。
 
 そのノートに書いてあった。
 
【2015年7月21日(火)】
「こんなお母さんでごめんね。 こんなお母さんの側にいなくちゃいけなくて、ゆうこは可哀相だね。ごめんね」
 ちがうよ!と 首を振って両手を握る。 母の手や頬をこんなに触れるのは 幸せなことだ。
 ちょうど一年前だ。
 グループホームへ行き、喫茶店へ連れ出した帰りのホームのエレベーターの中だった。
「こんなお母さんの側にいなくちゃいけなくて可哀相」は、私が母の面倒をみる為に結婚もしてないと思ってるんだろうな。
 エレベーターはすぐに2階に着くのでノートテイクもせず「違うんだよ。全然 可哀相じゃないんだよ」って母に伝えたくて、精一杯のジェスチャーをした。
 あの時も「これも母と私の幸せな一瞬の記憶」と思って書き留めたんだろうね。
「ゆうこ」と呼ばれる事さえ無くなった今では、本当に貴重な記憶になった。
 私が結婚してる事も忘れてたんだけれど、それでも「娘を想う母の気持ち」の発露だった。
 
 母の老いが始まった頃は、年寄り扱いされるのが嫌で、一緒に歩く時、私が背中にちょっと手を回すだけでも嫌がった。
 でも この数年は、母とのコミュニケーションは、私が触れる事しかない。
手指や足のマッサージをされるままになってる母。 気持ちいいのかどうかさえ分からない。
 時々、蹴ったり手を振り払ったりするから、その時は「不快」なんでしょうね。
 
 先日の面談では、介護保険課の職員さんと、特養の支援員さんが「この方 誰かわかりますか?」「娘さんですよ。わかりますか?」と 何度も聞いてくれて 何度目かに「わがる…」と答えた。
 『わかってない』のは 一目瞭然。 「わかりますか?」に対して浮かんだ答えが「わがる」だっただけで(苦笑)
 発音も不明瞭になってきてるけれど、母の声を聴いたのは本当に久しぶりで嬉しくて、母の顔をなでまわしてしまった。
 母は困惑するでもなく、喜ぶでもなく、照れるでもなく…無反応(苦笑)
 
 肌の手入れもしてないのに、どんどんすべすべになっていく母の頬。 赤ちゃんの ふっくらすべすべとは違うけれど、きれいだなと思って触れられる今は幸せだと思う。
 

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