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2016年11月28日 (月)

介護の心得

 新聞の介護のコーナーか投稿で「介護で一喜一憂してはいけない」と読んだ記憶がある。
 それはおそらく認知障碍が進行中の人の症状に振り回されないようにって事だろうなと理解してた。
 私は、ありがたいことに、母の認知障碍が進んでいくのを ごく自然に受け止められてきている。
 
 まだらボケの状態で、まだしっかりしている母が自分の老いを認めたくなくて(私はそれを指摘しないように気を付けてはいたけれど)不条理に私に怒りをぶつけてきていた頃が一番つらかった。
 
 頭や感情のねじが すっかり緩んで来てからは、先週できていたことができなくなっていても「ああ、やっぱり こうなるんだ」と。
 いつも「今の状態は明日には もう無くなるかもしれない。だからこの瞬間がありがたい」って先回りしてた効果かも。
 
 それでも半年単位で以前を思い出すと「こんなに進行しちゃったんだ…」とため息をつくこともある。
 
 受容できてるとは言っても、介護施設の支援員さん達に全面的にお世話になっていて、私はこれと言って手を煩わせることもないから、思い煩う事が無いんでしょうけどね。
 
 そんな日々の中にも「一喜」は、しばしば訪れる。
 10月、母の大親友のDさんの娘みーちゃんが「おばさんに逢いたいし、ゆうこちゃんにも逢いたい」と連絡をくれて、何年振りかに会って、一緒に母の所へも行った。
 Dさんは、長男を病気で亡くしたこともあって、私の病気を心から心配してくれた。
母はどれだけDさんに助けられた事だろう。
 
 そんなDさんは、認知障碍により母よりずいぶん先に施設に入所している。
みーちゃんは、母のいる施設を見て いい所だねと感動していた。
「お母さんが可哀そうになってきた。お母さんもここへ入れたい」と、帰りにはパンフレットを貰ったくらい。
 
 そのみーちゃんとの対面で、もう私の事もわからない母に『Dさんとこの みーちゃんだよ』と書いて見せると、文字を見て、みーちゃんをじっと見た。
 ちょっと難しい『Dさん』という漢字に反応して、記憶の扉が開きかけたんだろうと、みーちゃんや支援員さん達と顔を見合わせた。
 
 6月に特養に転居してから、常駐の看護師さんが ずっと服用している薬を見直してくれて「随分 落ち着いてみえるので高揚感を抑える薬をやめてみたいのですが」と言ってくれた。
 私の承諾を得、医師と相談して9月から複数の薬をやめた。
その結果、以前 無反応だった事に反応が見られるようになってきた。
おやつを食べさせて「おいしい?」と ゆっくり聞くと 「おいしい」と口の形が言ったり、うなずいたり。
 その度に、支援員さんに「今 反応したわ!」と報告し、「よかったですねぇ~」と 一緒に喜んでもらえる。
 
 またある日は、支援員のUさんが 幼稚園の子供たちが訪問してくれた日の事を話してくれた。
「母桃さん、子ども達の歌とお遊戯を すごく嬉しそうに笑って見てたんですよ。 その後、子どもたちが一人ずつ順番に入居者さん達と握手するんですけど、その時も 母桃さんは笑顔で両手を握ってて、私 母桃さんが あんなに笑うのを初めて見て嬉しくて。ゆうこさんにも見せたかった」
あぁ…母は幼い子供が大好きで、認知障碍が始まってからは、可愛い幼児に見境なく接触しようとするのでハラハラもしたけれど、その感情がまだ残っていた事に驚く。そして嬉しい。
 それを喜んでくれて、私に見せたいと思ってくれたことも嬉しかった。
 
 その支援員さんの話は まだ続きがある。
「後日、そのことをユニットで報告してたんです。 母桃さんが 子供を見てすごく嬉しそうに笑ってましたって言ったら、Mさん(支援員さん)なんて涙ぐんでしまって」
 
 UさんもMさんも 自分の親のように思って接してくれてる。私の事まで思いやってくれてる。
 新築の施設も心地よいけれど、こういう支援員さん達の元に居られる幸せをしみじみと思う。
 デイサービスもグループホームも、アットホームで穏やかで明るい職員さん達ばかりで、母は恵まれている。 私も幸せだと思う。
 
 こういうささやかな喜びに満たされる日もあるけれど、母には次々に新しい病状が現れる。
 
 口の中に出来物ができて食事が摂りにくかった時も、支援員さんが歯磨きをして気づいてくれたけれど「口の中が痛いから食べたくない」と言えない母は可哀そうだった。
 差し歯もいくつか抜けてるし、きっと日常的に口の中は痛いだろうな。
 
 今は「類天疱瘡」の疑いで、ステロイドホルモン剤を塗布・服用している。
看護師さんから「医師は疑いという事でステロイドホルモン剤を使用してみて、それでよくならなかったら、また考えるという事ですが、疑いだけで あまり長期にわたってステロイドを使うのもどうかと…」と説明を受けた。
 37年間、ステロイドホルモン剤を服用している私は 一般の人よりもずっとステロイドに抵抗感が無い事を伝えた。
 それでも「セカンドオピニオンも視野に入れて、様子をみていきます」との有難い返事。
 もし在宅で看ていたら、母を病院に連れて行く事さえ大仕事。 本当にありがたい。
 感謝で胸を熱くしながら、全身に水泡ができて痒いのに、言葉で言えない母が不憫にもなる。
 
 
 高揚を抑える薬を無くしたことで、半分夢の中に住んでいた母が覚醒した感もあったけれど、比例してイライラを行動で表すようになってきた。
 今年初め頃は グループホームで、テーブルを両手でずっと叩き続け、手のひらにあざができる程だったので、母のテーブルには薄いクッションを置いてくれるようになってたっけ。
 また私の手指を逆にひねったり、自分の口元へ持って行って噛みつこうとしたりしたっけ。
 
 それがいつごろからか無くなって おとなしくじっと座ってるおばあさんになってたのに は半月前から再開した。
 
 支援員さん達に「突然 蹴ったりするから危ない思いしてるでしょう」「シモの世話をしてもらってるのに 蹴ったり叩いたりして 本当にごめんなさい」「乱暴になってさらに迷惑かけてるよねぇ」「私が家で見てたら絶対に怒れてくるのに、ここで面倒みてもらってるから ひと時でも優しくできる。ありがとうございます」と、いつもいつも謝ってお礼を言う。
 
「母桃さんがイライラを見せるのもお元気な証拠だから 逆にうれしいですよ」
「ここが痛いから、こうしてとか、痒いからああしてとか言えないから お気の毒です」
と言ってもらったりすると本当に救われる。
 
 お任せしているから『私は介護してる』とは思ってないけれど、毎週行けば、不憫な母を目の当たりにして重い気持ちになる。
 施設から「足の爪がはがれました」「巻き爪を処置してちょっと出血しました」と電話を貰えば、さらに可哀相で気が滅入る。
 
 これも「一喜一憂」って事なのかな。

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