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2017年1月

2017年1月25日 (水)

めめちゃん♥

 昨年末、自分の内科定期診察で病院へ行った時、介助者に車椅子を押してもらう母のような女性に会った。
 
 うつろな眼差しながら、彼女は腕に小さな人形を抱いていて、まるで本当の赤ちゃんに接するように大事に大事に扱っていた。
 
 自分のひざ掛けの端っこを引っ張っては、お人形さんを包むような仕草を繰り返してほほえましかった。
 
 で、私もひらめいた!
母にも 赤ちゃん人形を抱っこさせてみよう!
 
 ネットで探してみると お年寄りの癒し用人形は高価! 
幼児用のミルクのみ人形も良さげだけれど、今の母にはミルクを飲ませたり おむつを替えたり、おしゃべりする機能は不要。
 
 あれこれ探していて見つけたのが この子!

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 大型玩具店のクリアランスセールで、それまで見て来た介助用人形や幼児教育用人形の十分の一の値段。

 顔や手足はソフトビニール(?)で 人肌のような柔らかさは無いけれど、ボディは詰め物をした布製なので抱き心地は良い。

 首はくたんくたんで、首の座ってない赤ちゃんっぽい。

 横にするとお目目を閉じるのも 母には変化があって良いでしょう。

 

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 髪の毛が こんな風だったので、思い切って私がカットしてみたら、↓こんなに可愛くなりました。

Img_2521 「お転婆娘」が 一気に「よい子ちゃん」になりました~~~^^

 わたしの左肩に頭をのせて背中とお尻を支えると 本当の赤ちゃんを抱っこしてるような気分になる。(軽いけど)

 背中をとんとんしながら、つい呼びかけたくなる。

「りこちゃん」「にゅーにゅちゃん」…あれこれ呼んでいるうちに「めめちゃん」が しっくりきた。

 抱っこしながら自分の体を揺らして「めめちゃん」と呼びかける。

ソファーに座らせておいて、通り際にも「めめちゃんっ!」と呼んで頭をなでる。

 

 どんどん情が湧いてくる。

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 可愛いでしょう~~~~~涙笑。

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 こうして4日間 過ごしたら、母の所へ連れて行って毎日会えなくなるのが寂しくなってしまった。

 

 最後の日「めめちゃん・・・お母さんにかわいがってもらうんだよ」と言い聞かせた。

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鼻よりほっぺが出てるとこや、小さな顎やとんがった上唇が可愛いでしょ~~~。

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 さて、そんな風にして 母の所へ連れて行ったのですが…。

 

 最初の日は目も合わせてくれない。

「おかあさん、抱っこしてーーー」と 耳元で大きな声で言いながら、めめちゃんを母の胸に押し付けてもダメ。

 

  ネグレクト。

 

「だっこしてーーー」「おかあさーん」 と 呼びかけながら、めめちゃんを目の前で振ってアピールしたら、とうとうめめちゃんの手を掴んで…嚙みついた!!

 ぎゃぁーーーー! はい、暴力。  

 見事な虐待となりました。

 次の週に行った時は、もうすぐパパになる新婚の支援員さんが 両手で大切そうにめめちゃんを抱っこして 母のテーブルに移動させてるところだった。

 当の母は…めめちゃんには無関心。

 ふぅ…母の母性本能刺激作戦は失敗だったか。

 支援員さんの話によると、午前中は けっこう見てるし、めめちゃんの手を使って支援員さんの顔をなでたりするって。

 

 朝、起きた直後が 母が一番覚醒している時間帯らしい。 朝食後に薬を飲むから 午後になるにしたがってぼんやりするのかも。

 昨日 行った時は、めめちゃんは もう母の部屋に置き去りになってました(笑

 昨日は母の手指と足のマッサージから 手遊びを始めてみた。

母の顔の前で私の左手を開いて見せたら、そこに自分の右手を重ねてきた。

反対側の手も同様にしてみたら、同じように重ねてきた。

で、母と私の指をからめて両手を繋いだまま「いっち、にい、いっち、にぃ」と号令をかけて上下に動かしてみた。

 肩や肘の関節の運動も兼ねてね。

 あえて大きく動かして、下した時には母の太ももに触れるようにしてみる。 

「いっちーーー、に、さぁーーーーん、しぃーーー、ごっ」と、リズムもかえてみる。 左右交互にしてみたり「ばんざーい」や「ぐーるぐーる」や横開きも入れてみた。

 すると だらりと背もたれにもたれていた母の上体が だんだん真っ直ぐに!

 私の顔も見てる。

 最初は私に任せっぱなしだった動きに意思が感じられるようになってきた。

 そして、母の顔が『もうすぐ笑い出すんじゃないか』って風に見えだした。

「お母さん、これ楽しいの?」思わず聞いてしまったくらい。

 

残念ながら最後まで笑う事は無かったけれど、母が楽しんでいると思えたし、今までと違う反応は嬉しかった。

 

 そこで部屋へ戻って めめちゃんを連れて来た。

 

 母の顔の前で めめちゃんをちょっと揺らしてみたら、起こした上体からさらに顔を前に出して、めめちゃんの顔にこっつんと当てた。

 か…かわいい!

 調子に乗って抱っこさせようとしたら、それは失敗。

 手遊びと めめちゃんの顔にこっつんこを繰り返して 母と過ごす。

 おかげで私も腕の運動になりました。 息切れしたけど…。

 

 めめちゃん…お母さんをよろしくね。

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2017年1月17日 (火)

母の猫パンチ!

 去年6月にグループホームから特別養護老人ホームへ転居した。
 
 9月に、常駐の看護師さんが 服用中の薬を点検して「向精神薬を減らしてみたい」と言ってくれた。
 私の了承を得、医師と相談して減らしてもらって一か月後くらいから、それまで無かった反応が見られるようになって喜んでいたんだけれど…。
 
 11月には 類天疱瘡の疑いのある湿疹が出て 痒みを言葉で訴えられないのでイライラし始めた。
 
 支援員さん達を叩いたり蹴ったりつねったり。
 それは私にも。
 
 毎週、母の所へ行く度に、支援員さん達に「母に叩かれてるでしょう。 ごめんなさいね」と、謝りまくった。
「いいんですよ! 母桃さんがお元気な証拠だから、私たちは嬉しいくらいですから」と どの人も笑顔で言ってくれて、本当に救われてた。
 
 でも…私自身が突然 叩かれたり蹴られたりする事に嫌悪感を持つ。
 いろんな事がわからなくなっているのにも関わらず、急所を狙う事は本能でわかってるのかしら。
 
 顔をひっかかれれば傷がつくし、両目の真ん中あたりを狙ってくるから怖い。
ある時は、セーターの上から胸をつねられ、青あざが一週間消えなかった。
 
 
 グループホームの終盤の頃も、私の手指を反対側にねじったり、噛もうとしたりしたんだった。
 
 手指への攻撃は、私がしっかり拳を握っていれば、それをほどく力は母には無いので大丈夫なんだけど、そうすると今度は、私の手を掴んで車椅子のひじ掛けに打ち付ける。
 自力で叶わないとなると、物を利用して攻撃する。
 すごい知恵だ。
 
 認知障碍の人が妄想で嫌なことをされるのから逃れる為に必死で抵抗する暴力とは違う。
『こいつを痛めつけてやる』な感じ。
 
 
 支援員さん達は「痒くてどうしようもないんですよねぇ」と気遣ってくれるけれど、下の世話をしてくれてる人に そんな暴力振るうなんてね…。
 
 毎週 訪れるごとに、母の暴力はひどくなっていった。
 
 いつも口元までスプーンで食べ物を運んでたんだけど、突然の攻撃を避ける為に、私は精一杯腕を伸ばす。
 まるで『檻の外から猛獣の餌やり』
 
 飲み物も私がコップを持ち、曲がるストローをくわえさせるんだけど、ごくごく飲んでたかと思うと 次の瞬間、私の持つコップを振り払うのでこぼれる…泣。
 
  『突然の攻撃』は、本当に素早くて避けようがない。
 猛獣の餌やりの合間には、私は母の手のとどかない位置に座るようにしてるのに、突然、上半身を乗り出して猫パンチをくらわせてくる! 
 いつもじっと座ってるだけじゃ~ん、そんなに素早く上半身乗り出せるなんて 知らなかったよ~。
 
 
「すごい早業で乗り出して猫パンチだも~~ん」と 支援員さん達に声を上げる。
 
「母桃さ~~ん、娘さんが痛いって~~~」  こうやって受け止めてもらえることでも 私は救われるけど、支援員さん達が母の猫パンチ攻撃を四六時中受けていると思うと申し訳なくて。
 
 そして自宅で介護してて、自分一人で全てを受け止めなければいけない人はどんなに大変だろうと想像する。
 
そりゃ 思わず叩き返したくなるだろうな。
 
 また看護師さんと相談した。
「向精神薬を多用すると寿命が縮まるので、あまり使いたくないんですよね…」と看護師さん。
 
 そこで私は、母が元気だった頃から、母と私と夫と3人で語っていた死生観などを説明したうえで『娘としては、お世話してくださる支援員さん達に痛い思いをさせる事の方が嫌だ。寿命が縮まったとしても、亡くなった時、支援員さん達が もう少しお世話してあげたかったと思ってくれるおばあちゃんで居てほしい。母もきっとそう思うはず』という旨を文書にして渡した。
 
 看護師さんや支援員さん達の協議を経て、医師に向精神薬を再開してもらった。
 類天疱瘡(疑い)の湿疹も投薬と塗り薬(支援員さん達が 毎日 塗ってくれる)で綺麗になり、痒みからも解放されたようで、以前のような攻撃性は治まってきた。
 
 それでも…母がふいに自分の頭を掻こうとして右手を上げかけると、私は咄嗟に体をそらせて回避体勢をとってしまう(苦笑)
 
まるで虐待され続けた子供が親のちょっとした動きに恐怖を感じて逃げるみたい。
 
 2015年の秋、グループホームで撮った写真は まだ笑っている。
 
ああ、こんな時があったんだなぁ…。
 
よく「認知症になってしまった親は もうそれまでの親とは違う人と受け止める」「宇宙人だと思う事にしている」などと 介護の話を聞く。
 
 私はちょっと違う。
 
 今の母も間違いなく私の母なんだ。
 
 そして、数年前のしっかり者で朗らかで穏やかな母は『母の姉妹』みたいな感じかなぁ。
 
 甥っ子と嬉しそうに写る写真を見ると ああ、綺麗でおしゃれなおばあちゃまだなぁ~と思う。
 あ、私のお母さんだった…と気づく。
 
いろんな話をしたね。
もうそんな事はできないんだ。
 
私の名前を呼んでくれることもないんだ。
 
でも 母と私の思い出は絶対に消えないよ。
 …と、センチメンタルな気分にひたりつつ、猫パンチは かわさなければ。

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2017年1月10日 (火)

寿人の移籍④ 「予知夢だったのか!?」

 花桃ブログを長く読んでくださっている方はご存知ですが…。
私は外出予定の無い平日は、夫を送り出し洗濯を済ませると昼近くまで寝ます。
朝の昼寝なので「アヒル寝」と呼んでいます。
 
 今日は 11月17日木曜日のアヒル寝の時の夢の話です。
(注;私の夢には色がついてる事が多い。普通は色がついてないって事を大人になるまで知らなかった)
 
 
【アヒル寝の夢】
 
 車を運転してたら、タクシーに乗り込もうとしてる寿人と千葉ちゃん(二人とも いつもの黒いジャージ着用)に遭遇した。
 寿人が私に気づいて、タクシーを断って 二人で私の車の後部座席に笑顔で乗り込んで来た。
 そして「名古屋駅まで」って。
うわぁ~私 運転苦手なんだよ。
おまけに名古屋駅なんて すごく怖いよ。自分で運転して行った事ないし、行けるかどうかも怪しい。
 でも寿人の頼みだから行くよね。
 
 …ここが夢ですねぇ。
 
 もし現実なら、たとえ千載一遇の寿人の乗車であっても、絶対に引き受けない。
名古屋駅まで運転する自信ないし、道も間違いそうだし、もし事故でもあったら責任とれないし。
 
 もっと言えば、どうやら名古屋市内を運転中だったらしい夢の中の私、現実なら、市内を運転中に、タクシー捕まえてる寿人の事なんて絶対に見つけられない。
進行方向や前後左右を必死に見てるからね。
 
 そんな私だけれど、夢の中では…緑色のレゴブロックみたいな坂道を上がって下りたら いとも簡単に名古屋駅に到着。
 
 「こんな玩具みたいな道あったんだなぁ…」の直後に「へぇ~名古屋駅って こんなに簡単に行けるんだ~」と思った。
 
 寿人を降ろし
私「あっち側ですよね」
寿人「うん、そう」
これは 選手バスの事。
 
 何が『あっち側』よ…(笑) 夢ですからね。
 
 そして この時点で 千葉ちゃんの存在は消滅してた。
夢の中でも 目覚めた時も「千葉ちゃんは どうした?」って認識は全くなかった。
 当時は、ドーピングの嫌疑をかけられていた千葉ちゃんの将来を全然予測できなくて ごめん…。
(12月には、身の潔白が証明されました)
 
 私は車を置いて(実際は、名古屋駅で車停めようと思ったら色々大変で、どこかの駐車場へ入れて歩いて戻るのにどれほど時間かかることやら…)あっち側へ行こうとしたら、寿人が待っててくれて おしゃべりしながら歩く。
 私が若くて美しい女性じゃなく、おばちゃんだから誰かに見られても問題なく、寿人も安気なんだろうなって思いながら。
 
 寿人が乗り込んだ選手バスの色は、なんと残念な事に色がついてなかった…。(これが私の予知力の限界…笑)
 
 紫でも赤でもなかったけど、座る位置はサンフレッチェ広島の選手バスのいつもの位置。
 見送っていると、バスが走り出したとたん、急ブレーキをかけた!
つんのめる選手達。
その反動で、選手全員が足の方へズルッと滑って 窓から全員の姿が見えなくなり、私はヒヤッとする。
 
 すると寿人だけが体を起こし、手話で「大丈夫」と私に伝えてくれた。
私も手話で「よかった」と返した。
 
 ここで目覚めた時「寿人が近くにいる」ような錯覚を覚えて ほんわか幸せな気分だった。
 
 そしてトイレに行き、ついでに携帯電話(いつも手元に置いてないの)を見ると…
「ゆうさん、寿人 名古屋だって!」 広島のCちゃんからの第一報が届いていたのでした。
 
 Cちゃんの『一刻も早くゆうさんに知らせてあげたい』想いがみせてくれた夢だったのかな。
(この辺りの経緯は12月14日のブログ「寿人の移籍②」をご覧ください)
 
 あまりの偶然に すぐさま小春ちゃんに夢の内容をメールした。
そして4日後 名古屋グランパスへの移籍が正式発表されたのでした。
 
 
 さて、残念な補足をしなければいけません。
今回、小春ちゃんへのメールを元に夢を再現しましたが、念のため、手話の表現を検索してみたら…
 私の記憶の「寿人が大丈夫と手話で伝えた」の『大丈夫』は、手で胸をなでおろすみたいな動きだった。
それは手話では『わかりました』の意味。
 正しい『大丈夫』は、手を胸の前で左から右へ移動させるような動き。
 今となっては夢の中で、寿人がどういう所作をしたのか、はっきりとは思い出せない。
ただ、私は「大丈夫」と理解し「良かった」と返事したんだんだよね。
 
 
 これが本当に予知夢だったとしたら、名古屋グランパスのJ1昇格に向けて、バスの急ブレーキや寿人だけが体を起こして「大丈夫 or わかった」なのは何を意味するのかなぁ。
 
 
 さて、④まで続いた「寿人の移籍」
 
 名古屋グランパスへの入団会見もあって「名古屋グランパスの佐藤寿人」になり、もう「移籍」を語る必要は無いのかも。
 
 15日には『新体制発表会』が開催され、一般の入場も可能。
会場は、私が要約筆記の講座や会合の為に、ほぼ毎月通った『運転できる数少ない名古屋市内の特定エリア』
 
 さあ! 名古屋に移籍してきた寿人を見られるぞーーー! のはずなんですが、わたくし、その日は信仰している総本山へのお参りツアーに早朝から出かけますの。
 
 ええ、ええ、寿人よりもお参りですわよ。
 
 よって、未だ「寿人移籍の恩恵ゼロ」のままでです。
 
 
 広島関係の友達から「名古屋の寿人をよろしく」的なメッセージが届くようになってきた。
 
 「よろしく」託されても何の力も無い私なので せめて『この1年、寿人がケガや病気や事故をしないように』 まずは総本山でご祈念し、朝晩には その日一日の寿人の無事を祈ります。
 
  バスが急ブレーキかけても大丈夫なように!

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2017年1月 5日 (木)

2017年の年賀状

 今年最初のブログです。
 
 旧年中 読んでくださって ありがとうございました。
 今年も 週一くらいのペースでの更新になりますが、時折覗いてくださると嬉しいです。
 
 さて、毎年 11月から始まる私の年賀状作成。
 去年はハプニングがあった割に、早く完成させました。

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 11月に入ったと同時に、PCでレイアウト図をいくつも作っておいた。
 
 その中には『2016年の寿人とのツーショット』を入れたものも。
2016年のお正月に(作ったのは2015年) 寿人とのツーショット入り年賀状を試しに10枚だけ作って出してみたところ、2人から嬉しい反応があったので、2017年用は 私の友達全員 それにしちゃおうかな・・・と思った。
 
 でも30枚だけにとどめた。
 正解でした。
 11月15日に印刷し終わった『ツーショット30枚』には 『サンフレッチェ広島の佐藤寿人選手』と文字も入れてある。
 これに手書きで『今年から名古屋グランパスに移籍』と書き加えなくてはいけなくなった。
 
 下地こそPCで作って印刷するけれど、そこに花弁や縁取りを貼り絵して、それぞれの相手に向けた言葉を手書きし、宛名も手書きするのが私の流儀。
 書く作業は少ない方がはかどるのよね・・・。
 
 ツーショット年賀状30枚にしておいて良かった。
 友達全員宛だったら何枚 追加の文言を手書きしなくちゃいけなかったでしょう。
 
 『もう夫関係の貼り絵は簡潔にする!』と割り切って 2~3年前から区別して作ってたら、花弁を8枚貼ろうが3枚だろうが、それ一枚だけ見る分には遜色は無いと気づいた。
 
 特別な友達(私の年賀状を期待してくれてる)以外は 以前のような花弁いっぱいはやめた。
 
 よって随分、早くに完成し、12月17日には175枚の最後の分を投函し終えた。
いつも20日過ぎまで貼り絵をしてるので、早すぎて気が抜けた。
 
 さて、私に届いた年賀状には「子どもが結婚」の報告が増えて来た。
この前まで『入学』『運動会』・・・『成人します』『社会人になります』・・・当然の流れなんだけど え? もう結婚?!と驚く。
 
 自分も歳をとるはずだわ。
 
 毎年、年賀状を書きながら
「いつまで私の苗字を間違えてるんだ!(難しい漢字ではないんだけど、うろ覚えの音では変換できず、こうなっちゃうよね・・・というケースが多い)」
「私は時間をかけて作ってるのに、こんなダイレクトメールみたいな年賀状(宛名も本文も印刷のみ)しかくれないんだよねぇ~。一言くらい書き加えてよ。来年は、もうこの人には同じようにダイレクトメール風にするぞ!」
「苗字どころか、私の名前の漢字まで違うじゃん! 何年付き合ってるのよ!」と 怒れてくる事が多い。
 
 それでも結局、毎年、前年にもらった年賀状を見ながら、一枚一枚 手をかけ手書きして出してしまう。
 
 それができるのが幸せなんだよね・・・と思った事でした。
 体の衰えは著しくて毎年、年齢以上に機能が老化しているけれど、今年の年末も ぶーぶー言いながらも「ああ、元気で書けて幸せだな」と思えるといいな。

 

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