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2017年3月

2017年3月30日 (木)

やさしさの微粒子

 昨秋、向精神薬を止めた事と類天疱瘡の痒みで、母が暴力的になった。
 支援員さんや 常駐の看護師さんと相談して、薬を再開してもらった。
 お陰で 近頃は すっかり落ち着いた。
 もう私の事もわからないし、声を発する事もない。 
大きな赤ちゃんになった母のところへ 相変わらず毎週通っている。
たまに母が私をじっと見ると、それだけで嬉しい。
 
 車椅子かリビングのソファーに座っている母。 自分で動くことがないので、関節が拘縮するだろうと考え、膝や腕を動かす運動を始めてみた。
 
 私が股関節の手術後、リハビリ室で理学療法士さんにしてもらったように、母の太ももを持ち上げて膝の関節を曲げる。
 
 聞こえてないけど「いっち にー いっち にー」と声をかけながら。
 
 
 続いて、向かい合った両手を繋いで 上下に動かしたり「開いて~ 閉じて~」や「ぐ~る ぐ~る ぐ~る」と回す。
 なんとなく 母がこれを気に入ってるような気がするの。
 
 同じリズムで左右交互に動かしておいて、ちょっとリズムを変えると 最初のリズムのつもりで母の手が動き始める瞬間がある。
 ああ、ちゃんと母もやってるんだ^^ と 嬉しくなる。
 
 ただ、これを数回やると 私が息切れする…とほほ。
箸より重いもの持った事ありませんから~~~笑。
 
 息切れしたら 母の手指のマッサージをして 自分の息を整える。
 そして再開。
 
 入居のお仲間が「いつも ご苦労様だねぇ」と 私に声をかけてくださる。
 
 この施設の入居は要介護3以上。 
おそらく病気などによる身体機能の低下で要介護度が上がってるんでしょう、認知機能に衰えが無さそうな方もみえる。
 
 毎週 リビングでお会いする人には「こんにちは~」「お邪魔します」「お世話になります」と挨拶をする。
 
 
 無反応の人や、支援員さんと区別がつかない人もいるけれど、しっかり対応してくれるのは、認知機能に異常が無い人なんでしょうね。
 
 支援員さんが「Tさんが、母桃さんがパンを食べるのを手伝ってくれたんですよ」とか
「母桃さんのおでこに黒いあざ(真っ白な頭髪の根元に黒い毛が生えてきた)があると Tさんが心配してくれました」とかって 教えてくれる。
 
 このTさん、入居当初から 私によく話しかけてくれた。
「実の娘さん?」
「はい、そうです。そっくりでしょう」
「実の娘はいいわねぇ」
 
 ある時は
「失礼な事を聞くけれど、あなたは結婚はされてるの?」
「はい、してます」
「ああ、それならよかった」
 
 グループホームに居る時も、他の入居のお仲間に「結婚してるの?」と よく聞かれたなぁ。
 母の介護をしてて婚期を逸したんじゃないかと心配してくれてるのかな。
 
 もう一人Nさんも、テレビの前に座る母とよく並んでいて、私がマッサージなどをしてるのを見ながら「この方は幸せだわ」と言ってくださる。
 
 テレビ体操が始まったら、私がNさんを促して 一緒に体操の真似事をする。
それまで「年取ると、できない事ばかりになってしまって、もう嫌になるわ」と 言ってたのが  お顔が 生き生きとする。
 
 小中学校の同級生のお母さんもいらして、この方はお元気お元気。 そして明るい。
私が「○君の同級生」だという事もちゃんと認識してる。
 
 母の事は「この人は 一番おとなしいおばあさん。 いつも じ~っと座っとらっせる」ユーモアたっぷりに紹介してくれる。
 
  病院の個室にいるように、自分の部屋でテレビを見てる人も多いらしい。
なのでリビングでお会いする人は数人で、私は顔と名前を覚えてしまう。
 
 皆さん、穏やかな方ばかりで、母の頭のねじが錆びてなければ きっと良いお付き合いができたでしょう。
 
「すみません。母は耳が聞こえないし、認知障碍でいろんな事がわからなくなってるので、挨拶もできないし、きっと失礼な事をしてると思いますが 許してくださいね」と いつも謝っておく。
 多少は物忘れはあるようで「ああ、この人は聞こえんのかね」と、毎回 新鮮に納得してくださる。
 
 
 母のお世話までしてくださるTさんに、お礼を言いつつ、手を握ったら泣き出された事があった。
 背中をさすったら「ありがとね、ありがとね」と 更に泣かれた。
 
  きっとお寂しいんだろうな…。
 
 施設内は 複数の棟に分かれていて、各棟の玄関の下駄箱の上に 訪問者を書く紙が置いてある。
 
 私が書いて籠に入れる時は すでに数枚が入っているので、複数のご家族が面会にはいらしてる。
 
  毎日みえる方もいらっしゃると聞いた。
 
 TさんやNさんのご家族が どれくらいの頻度でいらしてるのか知らないけれど、もしかしたら私との触れ合いを嬉しいと思ってくださってるのかもしれない。
 
 母と会話が成り立たなくなった今、Tさん達とのちょっとした会話が 私も楽しい。
 
 支援員さん達も いつも明るく元気で感じよくて、母のちょっとした事を報告してくれる。
 
 
 昨日は、常駐の看護師さん(久しぶりに逢えた)が 類天疱瘡の治療に使ったステロイドホルモン剤の減量について、細かい説明をしてくれた。
 
 そして、以前、私が『母への投薬が寿命を縮めても、母が穏やかに過ごせることの方を選ぶ』旨を文書にして渡した事で「私たちとご家族が同じ方向を向けて、良い対応ができます。母桃さんは このところ すごく穏やかなお顔をされてます。 こうして娘さんが来てくれるのがわかるんですね」と言ってくれた。
 
 母の周りには やさしい気持ちが充満している。
 
 
 頑張り屋だった母の末路が認知障碍なんて、不条理だなぁと思う事もあるけれど、こういう環境に居られる事は 母の今までの頑張りへのご褒美なのかもしれない。
 
 
 そして、私も施設からの帰途、やさしい気持ちに包まれているのを感じる。
 
 
 以前 友達が「お母さんの面会に行く事が あなたの癒しになるといいね」と言ってくれたけれど、それを実感する。
 
 
 春の柔らかな日差しの中、やさしいきらきらの微粒子が私の車に降り注いでるような気がする。
 
 
 自分の体の痛みや異常以外にも 気がかりな事・気が滅入る事もあるんだけれど、やさしい微粒子のお陰で 眉間のしわが消え、鼻歌を歌いたいような気分になる。
 
 本格的な春になって、気温が上がると やさしさの微粒子が『暑い熱い悪魔』に変身してしまうだろうけど…。
 
 
  一日でも長く『やさしい春』が続きますように。
 
 
 
 
 

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2017年3月22日 (水)

勇人お兄ちゃん ありがとう!

 まずは こちらをご覧くださいませ。
 
【勇人と寿人の眼は、まだ死んでない】
 
J2で実現した8年ぶりの双子対決。
http://number.bunshun.jp/articles/-/827651
 
 二人の強い絆や、Jリーガーとしての苦悩や喜びや、たくさんの記録にも触れられた 良い記事でした~。
 
 その中でも特に、ヒサ婆が注目したのは…ここ。
 
 勇人さんのインタビューの中の一節。
 
「今日の名古屋は、いつかの自分たちを見ているようでしたね。自分たちはその難しさを知っているから、決して嫌味じゃなく『寿人も大変だな』と思いました」
 
 敵チームとは言え、寿人を思う勇人さんの気持ちが感じられて嬉しく 胸に迫りました。
 
 
 そしてここ!
 
「確か、1本ありましたよね。寿人がほぼ完璧な動き出しで裏を狙った瞬間。でも、出し手は足下につけようとした。広島だったら間違いなく裏。あれを合わせるのに、寿人は少し苦労するかも」
 
 そうだったのかーーーーー!
 
 寿人がゴールを決められなかった場面について 私はブログで「素人には分らない理由があったのかも」と書いた。
 
 
 やはり『サッカー素人、運動音痴には見えない』厳然たる理由があったんですねぇ。
私には『ゴール前の寿人に、ちゃんとパスが通った!』としか思えなかったもん。
 
 寿人は『裏へ抜ける』のを得意として ゴールを積み重ねて来たんだもんね。
そのつもりで構えていたら(心と動きの準備をしてたら)足元に来ちゃった!…だったのね。
 
 
  広島で初優勝した年の前後は『サンフレッチェでプレーするなら、ボールを持ったらまず寿人を見る!』が暗黙の鉄則。
 
 その上で、寿人が「このタイミングで ここへ出してほしい」と要求を伝え、練習を重ね、寿人のゴールをアシストできるようになる事で、成長した選手も多かったと思う。(…と 無知の私が偉そうに語ります…汗)
 
 広島時代と同じように パスの出し手と阿吽の呼吸ができるまで練習するにも、ポジションが流動的だからコンビを組む相手が絞れない。
 
 だったら、自分が『足元だろうが、裏だろうが、受けてシュートする』技術を磨くしかないんだよね。
 
  一週間やそこらで変われるもんじゃないよ…。
 
 ヒサ婆は「お願いだからパスを出す人、寿人の足元じゃなく、裏を狙ってくださいよ。狙う的をちょっとずらすだけじゃん、寿人が長年の得意パターンを捨てて 新しい技術を習得するより簡単でしょ」って思っちゃう(苦笑)
 
  いや、それだって 単純に狙いをずらすだけじゃなく 寿人の動き出しのタイミングや速さに合うようにしなければいけないから難しいよね…。
 
 永井龍君も裏抜けが得意と言ってるから、寿人の気持ち わかるでしょ? 
二人でお互いをアシストできるように微調整してくださいよ~(懇願) 
 
 龍くんの目標「J2得点王」を 寿人も支援するからさぁ…龍くん30ゴール(寿人アシスト15本)、寿人20ゴール(龍くんアシスト10本)でお願いしますよぉ。
 
 ちなみに、ヒサ婆は龍くん(寿人と同じように今季移籍加入)も大好きです。
 
 公式の記事で『中学生の頃、寿人選手が憧れで同じスパイクを探し回った』ってあったから^^
 
 『尊敬してるけれど、今季はチーム内でのライバルとして負けたくありません』とも。 
正直で率直でいい子だなぁ~と思った。
 
 試合中でも『俺が俺が!』になっても良さそうなのに、寿人にチャンスくれるし(寿人 決められなかったけど~)
 
 
 龍君は 上半身と比べて足が細くて長くて 顔つきが精悍で でも笑顔が多い。
『人懐っこいドーベルマン』
 
 地元出身の考起くんも やっぱり応援したくて『人見知りの柴犬』
 
 こういう『ただただヒサ婆の個人的好意』から 3人でコンビネーション完成させてゴールに迫ってくれるといいのになぁと 思うのであります。
 
 寿人がゴール決められない原因が 勇人さんの言葉で ちょっとわかったような気がして、ヒサ婆は明るい気持ちになれました。
 
 それまでは『気が済むまでやって来い』と涙をのんで送り出してくれた広島の人達に申し訳なく、寿人の心情も勝手に想像して 私が悲壮になり…辛かった。
 
 原因の一つがわかったからと言って すぐに解決にはつながらないんだけどね。
 
 でも勇人さんが 上記の「あれを合わせるのに、寿人は少し苦労するかも」 に続けて こう言ってました。
 
「ただ、それはアイツにとってモチベーションにもなる」
 
 
 根性無しで運動音痴の私なんかには想像もできない負けん気で努力を続けて『新しい寿人』を見せてくれると信じています。
 
 シーズン後半、ホームで千葉と対戦する時までに『寿人らしいプレー』を見せられるようになり ゴールを重ねていられますように。
 
 グランパス ファン・サポーターの皆様、どうか もうしばらく寿人を信じて見守ってくださいませ。
 

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2017年3月16日 (木)

ヒサ婆のささやか過ぎる願掛け

 グランパスの寿人…開幕3戦が終わり、未だゴール無し。
 
 開幕戦の勝利以来、引き分け→負け  と、優勝してJ1に戻る目標が霞んでいくような状態。
 
 何かのインタビューで、寿人が「FWでキャプテンは大変。5試合ゴールなかったら、チーム内でも説得力無くす(私の意訳)」的な事を語ってた。
 
 そうだよね…と その時も思った。
 
 新生チームで連係は未完成に違いない。
寿人は個の力で得点するのではなく、チームの連携によってゴールするタイプ。
だから急造チームでゴールするのは確かに難しい。
 
 
 でも3試合で、3回はチャンスがあった。 無知の私が見てもあった。
ちゃんとパスが通り(寿人の受け方も、相手DFをかわすのもうまかった)後は寿人が決めるだけ。
 
 枠をそれたのが2回。 ポストに当たったのが1回。
 
 ここはサッカー無知の私にはわからない『決められなかった理由』があるのかもしれないけれど、観客の誰もが「あーーーーーーーっ!」とため息をついたに違いない。
 
 実際にスタンドでため息の渦の中に居たもん。
 
 期待が大きかっただけに失望も大きいだろうな…。
 期待や好意の裏返しで、厳しい言葉もネット上で目にするようになった。
 
 寿人 しんどいだろうな…と ヒサ婆も 一緒にしんどくなっています。
 
 先日の短いOFFに 広島へ帰って宮島(寿人のパワースポット)へ行ったとブログの更新があった。
 
 その中に

 

やるしかない。

覚悟をもって。

 

と、あり、寿人の心情が想像できる。

 

 ヒサ婆も何かしなくては。

 

 移籍してから 勝手に「愛知の母」として、家族と離れて暮らす寿人が 怪我しないように、病気しないように、車の事故に遭わないようにと 毎日 仏壇に祈って来た。

 

 広島での全盛期と同じように ファンサポーターの心を掴み、信頼や期待を集め、生き生きと練習してる姿を見聞きするだけで、ヒサ婆は嬉しかった。

 2016年の苦悩が一気に晴れたような気がしてた。

 

 でも もうその段階は終わったよね。 それだけで満足してちゃいけないよね。

 

 

 次はゴールで勝利に貢献して 名実ともに「グランパスの救世主」にならないとね。

 

 いつも全力の寿人。 手抜きなんて絶対にしないで ずっとずっと努力を続けている。

 それでもゴールと言う誰の眼にもわかりやすい結果が出せない。

 神様は どこまで意地悪なんだろう。

 

 ヒサ婆にできる事は無いかしら。

 

 昨日の夕食後、大福もちに手を伸ばしかけて ハッとした。

寿人が頑張ってるんだから、私も何か断つくらいすべきじゃん。

 

 お茶断ちよりスイーツ断ちの方が私の為にも良い。

「今日は食べないぞ」  今日は…なんですけどね。

 

 寝るまでの数時間、テーブルの上の大福もちを何度見つめたことか。

「私が大福を我慢したところで、寿人がゴールできるわけじゃないし…」

「一晩おくと 風味が落ちるよね」

 その度に「いや! 今夜 これを食べたら、次の試合もゴール無いぞ」と良心が叫ぶ。

 

 大福を我慢したところでゴールできるわけじゃないけれど、食べたらゴールは無い…ってのは効いた。

 夜11時を過ぎたら なんだか空腹感まで起きてくる。

(いつも夕食は普通の量を食べて、それから寝るまでの間にアイスクリームなどの甘いものを食べるのが日課)

 食べたらゴール無いんだからね!

 こうして夕べは食べずに寝ました。

 やればできるじゃん。

 

 ただ…今朝、朝食後に大福もち お腹におさまりました。

 あぁ、本当に願掛けするなら『ゴールするまでスイーツ断ち』だよねぇ。

 それすら決断できない(多分 守れないと思うから やると宣言もできない)私が 寿人に頑張れなんて言えないよ。

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2017年3月 9日 (木)

同窓会にて

きゃぴきゃぴの・ぴちぴちの・イケイケの
騒々しい元気な女子高生だった頃
 
 3月4日(土)にグランパスの試合観戦、翌日 高校の同窓会。
 会費はすでに振り込んであるので、体力的に無理だったらドタキャンしようと思ってた。
 
 少々 無理をしながらも 同窓会 行って良かった!
 
 ホテルの入り口で、早速「ゆうこ!」と声をかけられ、連れ立って2階の受付へ行くと あちこちから「ゆうー!」「ゆ~う!」と 笑顔とひらひらする手が迎えてくれる。
 最後の大規模同窓会からは7年半ぶり。
 この同窓会でしか会わない友達もいるし、卒業以来 もう年十年も会ってない子もいる。
 会場で、クラスごとの円卓に座り、いつものメンバーに、久しぶりな子も加わって談笑しながら、他のテーブルを観察して「あの子は誰?」
 
 
 さすがに還暦間近の同窓会なので、全体的に華やかさには欠ける(苦笑)
でも 粋に着物を着こなしてる人が3人もいた。
シックな着物が似合うんだわ~。
自分で着付けて、髪も自分でアレンジしたって。 素敵~~~!
 
 若い頃の同窓会は 『昔 地味だった子が 綺麗になってた!』って驚きがあるけど、この年齢になると『昔 地味だった子が 味のある素敵な女性になってた』や『可愛かった子が かっちょいいおばさんになってた』となる。
 
 男子も 『さほど目立たなかった子が立派な紳士』に。
『不良だったのが、おしゃれな中年』に。
 
 近しい友達は、昔から『美人』『いい女』だったのを維持してるし。
全体的に色合いは地味だけれど、レベル高いぞ。
 
 食事が進むうちに、テーブルを移動する人も増え、私も 別のクラスのMの隣が空いたのを見て飛んでいった。
 Mと話していると、その席の人が戻って来たので「ごめんなさい」と立ち上がる。
 ここは同級生とは言え、在校時にも全く接点の無い人とは(1学年400人だから、知らない人も多い)初対面な感じで礼儀正しく控え目に。
「どうぞどうぞ」と、その人。
「いえいえ、もう話は終わったんで戻ります。勝手に座っててごめんなさい」
「もっと座っててください」
一瞬の間があって、彼女が「ゆう?」 
ん~~~私は 彼女の顔に見覚えが無いぞ。旧姓の名札を見ても思い出せない。
「そう、ゆうだけど」と答えつつ「えっと~~なんて呼ばれてたっけ?」
「○ド」
「!!! 思い出した! ○ド!」
1年の時 同じクラスでした。 真面目でおとなしくて いつもにこにこしてる子だった。
その○ドが言うの。
「ゆう、ちょっと印象が変わったね。だからわからなかった」
え? 私 ずっと変わらないと言われ続けてるけどなぁ…。
「どう変わった? …太ったけど」
「う~ん そうじゃなくて~」と 口ごもる○ド。
「あ、もしかして…おとなしくなった?」
「そう!! おとなしくなった!」
そっかぁ…そうだったんだぁ。
 
 二十歳で膠原病を発症し、37歳で両股関節壊死になり、40歳で鬱病もやって、確かに『おとなしく』なったわ。
 定期的に逢う友達は、その流れも知ってるので、経年変化くらいに捉えてるんでしょうけど、高校生から一気に飛んで会うと すごくおとなしくなったように見えるんでしょうね。
 
 ここ数年、体力も落ち、歳も重ね、新しい社会で『昔の私なら ここででしゃばるけど、さすがにもう出ていくパワーは無いわ』と一歩引いたり、元気で活動的な若い友達を見て『私も20年若かったら、一緒に走ったかもなぁ』と傍観する事が増えた。
 
 一歩引いたポジションに居るようになると ふと思う事がある。
『怖いもの無しだった高校生の頃、今でいうスクールカーストなんて意識してなかったけど、それは自分のグループが頂点に居たからで、きっと虐げられてた子達が居ただろうな』と自責の念が湧く。
 
 ○ドとの こんな短いやり取りで「おとなしくなった」と思われた昔の私って…。
彼女の記憶の私なら、この場面で「ごめーん! ここ座らせてね~」だったのかも。
…いや「もうここ 私の席だもんね!」だったね。
 
 すると○ドから意外な話が。
「ゆう達のグループが 毎日 面白い事しててね、私『高校生活って こんなに楽しいんだ~』って思ったの。 ゆう達と同じクラスになった事が 私の人生のターニングポイントだったんだよ。ゆう達は、私の憧れだったもん」
え~~~そうなんだ~~~!?
 
 確かに毎日「きゃあー!(ドタドタ!)」「ひぇーーーー!(バタバタ!)」「ぎゃーー!(ジタバタ!)」してた。
箸が転んでも…ならぬ、鉛筆が落ちても笑い転げてたもんね。
 「早弁するー」「今日はマッハで帰るー」いちいち不必要な大声でアナウンスしてたわ。
 耳年増で、実際何も知らないから羞恥心も無く下ネタが大好きで、男子に「ホーケーって何?」「ねえ、○君ってソーローなの?」と聞くのも平気だった。
 
 1年のクラス担任が若い青年教師で、先生をからかおうと『担当授業の始まる前に、クラス全員が机につっぷす』というイタズラをした事がある。
 
 あの時、誰一人として「いやだ」「やめようよ」と言わず、全員がつっぷしてた。
真面目な子達は 本当は嫌だったけど、嫌とも言えなかったんだろなぁ…と 大人になってからも 時々 思い出してたんだけど、どうやら○ドは そういうのも『高校生活ってこんなに楽しいんだ~』の一つだったよう。
 
 彼女がいつもにこにこしてたのは 憧れてくれてたからなのかな。 
少なくとも『怖いから逆らえない』とは思われてなかったよう。
 
 前回の同窓会でも、1年の時 同じクラスだったKから「私 昔、ゆうが『Kは可愛い』と言ってくれたのが すごく嬉しくて今も忘れてない」と言われたなぁ。
 うん、浅田美代子ちゃんみたいな髪型してて可愛かったから、そう言ったかもしれない。
 
 今でいう『いじり』みたいな事もあったし、嫌な思いをさせた子も きっといるとは思うんだけど、楽しかったと思ってくれる子もいたんだねぇ。
 
  …私も随分 常識的になり、おとなしくなりましたよ。
 
 一方で「ゆう、元気になったんだねぇ!」「元気そうでよかったぁ!」と すごく驚いてくれる子が居て「うん、病気だけど元気だよ」「健康な人の6割の元気だけどね」と答えるけど、実は困惑。
 
 二十歳の発病(『あのゆうが 不治の病だって』と衝撃的なニュースだったらしい)や、車椅子使用が 広範囲に知られてる。 
メールなんて存在しない時代に すごいネットワーク。
 
 
 そう…思い起こせば、第一回の同窓会は、骨頭回転手術の直後で、松葉杖だったし、2回目は、鬱病から回復した途端 激太りし、なんとか人に会えるくらいには体重が落ちたので出席したけれど 杖を付き、おしゃれも手抜きだったわ。
 
 
 3回目の今回は『おばさん』を通り越して『おばあさん』の顔になってきてるけれども、自分が好きなぶりっこ服を着て、折り畳み杖をバッグに入れて、歩きやすいブーツも持ってハイヒールを履いて同窓会に出席できた。
 
 これは本当に幸せな事なんだなぁ。
 
 同じホテル内で会場を移動しての二次会も ホテル側が慌てて椅子を運び入れないといけない程の大盛況。
 あちこちのテーブルから笑い声が上がる。
 
 合計4時間の会を終えて、体調優先の私は、同じ方向のPと一緒に 挨拶もそこそこに帰って来たけれど、きっと 三次会・四次会と行ったんだろうね。
 
 
 次の同窓会に、私はどんな姿で どんな気持ちで行けるんだろうか。
病気でも元気で ささやかでも幸せだと思える自分でいたいな。
 
 幸せな高校生活は、この先 いくつになっても色あせる事はない。
大切な宝物。
 
  一緒に紡いだ友達 みんなが これからも ずっと仲良く幸せでありますように。

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