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2017年8月29日 (火)

刹那の幸せを重ねて

 
 
  母が「要介護5」になりました。
 
今は 特養でお世話になっているので、私自身の負担は 数年前の要介護2の頃の方が大きかった。
 
母に認知障碍の兆しが見え始めたのが平成8年頃。
 
 老化による衰えと それを認めたくない母のプライドと向き合って 『母大好き』な私は 何度も何度も泣いた。
 
毎週、実家を訪れて片づけや郵便物の整理、食事の世話、歯医者と内科の通院などをし
「私はそんなにボケてない」(ボケてるなんて言った事ないんだけど)
「ゆうこに監視されてるみたい」
「有難迷惑」と 毎回 言われた。
 
 以前の母なら ちゃんと説明して話し合えただろうし、納得すれば感謝さえしてくれただろうに、もうそれは無理だと思うから反論もせず帰宅する車中で泣き、仕事から帰った夫に話して泣き…。
 
そんな数年間を経て、デイサービス→グループホーム→特養と お世話になる施設がステップアップ(?)していった。
 
 2015年末には 私の事もわからなくなった。
 
 それでも、私の『覚書帳』の中には、母とのささやかな嬉しいコミュニケーションの記録が残されている。
 
グループホームに入所して、実家の家事から解放されてからは、私に 母との時間を楽しむ心の余裕もできた。
 本来の『仲良し母娘』の再現もあった。
 ホームのリビングにいる母は私を見つけると満面の笑みで手を振り、職員さん達に「これ、私の娘なの!」と自慢気に紹介してくれたなぁ。
 車に乗せて喫茶店へ毎週行った。
「私ばっかり幸せで お父さんに申し訳ない」と助手席で言う母。
「こんなお母さんでごめんね。ゆうこに苦労かけるねぇ」とも。
 
数年前までの しっかりした母と比べたら『なんでこんな風になってしまったの』と思いたくなる状況だったはずだけれど、私は一度もそう思わなかった。
 
 『この状態が最高なんだ』と いつも思ってたから。
 
 認知障碍は どんどん進んでいくから、ノートテイクの会話が何とか成り立つ事も、自分で食事ができる事も、グループホームのお仲間の悪口(自分が聴こえない自覚が無いので「あの人は挨拶しない」など)を言う事も、全部がありがたかった。
 
 予想通り、私の事を忘れ、母の口から意味のある言葉が出なくなり、歩けなくなり、食事も口まで運んでやらないと食べなくなり、表情が無くなり・・・枯れ木のような大きな赤ちゃんになってしまった。
 
それでもね、毎週 母の所へ行き、おやつを食べさせる時 『いつか寝たきりになって、流動食しか摂取できなくなる時がくるかも』と思うから、スプーンに噛みつかないように絶妙なタイミングで抜き取りながら それができる事が幸せだと思える。
 
 母が愛しく可愛らしく思える。
 
無表情で何を見てるのかもわからない母が 時々、私をじっと見る瞬間がある。
『見てる』のか『たまたま視線が向いた』だけなのか定かではないけれど、私には『私を見た』と思える。
 「おかあさん!」と思わず呼びかけてしまう。
もちろん反応は無いけれど…。
 
母の手をとって手遊びをしていると、車椅子から そっと上半身を傾けてくる事もある。
そんな瞬間がたまらなく嬉しい。
 
上半身を傾けてきた母に私が顔を近づけると、そのまま顔を寄せて来る。
 
 私のおでこに 自分のおでこをそっとくっつけてくる。
 
 おでこをくっつけたまま、私も焦点の合わない目で母を見ると、無表情ながら母の目も私を見てる。
 「おかあさん、なに? なぁに?」
 もちろん答えは無い。
 
特養で母と過ごす時間の中の ほんの数秒間のふれあい。
 これも次回にはあるかどうか分からないから大切な出来事。
 
刹那の幸せを重ねて、母の認知障碍は間違いなく進行していく。
だから私は『今の幸せ』を大事にしたい。
 
『刹那の幸せ』も 一年後、もしかしたら数ヶ月後には『温かい大切な思い出』になるんだから。
 
 
 
 
 

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