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2019年2月

2019年2月27日 (水)

可愛い応援

 先週、ここちゃんが遊びに来てくれました。
 体のしんどさは まだ残っていて、ステロイドホルモン剤大量投与によるステロイドハイの状態をあえて作る。
 でも 動くとふわっとするし転ぶといけないので 公園までのお迎えは夫に任せて、私は室内で待つ。
 
 到着したここちゃんのおっしゃれ~なファッションを見て まず和む。
そのまま私が欲しいくらい♪
 
 夫が準備していたのは、カーリングを模したゲーム。
『カローリング』のミニチュア版だと思われる。
 フローリングに伏せるくらいに身をかがめて狙うここちゃんの姿が可愛くて♡
 この日は、私の大好物の『おでこ出しここちゃん』
そのおでこで、無心に的を狙う表情が一生懸命で可愛くて見惚れちゃう。
 たくさん撮った写真には その可愛い雄姿がいっぱいなんだけど、自粛。
う~、もったいない。

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 代わりにこれで。

 背はどんどん伸びてるし、元々しっかりしてるので、お姉ちゃんっぽくなってるんだけど、このおてての可愛さよ。

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 無意識(的に当てるのに夢中)なのに この魅力的なおてての表情。

後ろの左手の位置から、どれだけ姿勢を低くしてるかご想像ください(笑)

 

 私は身を屈める事は元々できないし、急な動きが不安なので ずっと椅子に座っての観戦。

 ここちゃんはプレーをし、得点表を書き、転がったジェットローラーを回収し、ちょこまか動き回ってる^^

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 得点表も カッカと共同で ささっと作っててびっくり☆

 アッタンマン(ここちゃんのお父さん)は、お仕事で多分 製図もするんでしょう。こういうのを自然に見てるんだろうな。

 なんか定規とペンの使い方がいっちょまえで笑える。

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 そして まあ☆ こんな綺麗な字で足し算もしながら書き上げてた!

 使った物は、ペンも鋏も箱も それぞれ元の位置に戻すし。

私がどこから持ってきたのか ちゃんと見てるんだよねぇ~(笑

 帰る頃には 私には朝には無かった元気が出て来てて、公園まで一緒に行けた。

 カッカの運転する車の助手席の窓を開けて ここちゃんは 飼ってるわんちゃんのイラストのついたクッションを一生懸命振ってくれた。

『ゆうこさん 元気だしてね!』って言ってるように感じた。

 きっと カッカが「お母さんが病気で、ゆうこさん辛いから励ましてあげようね」と お家で言ってたんだろうなぁ…涙。

 

 さて、数日後、アッタンマンの誕生日を祝った翌朝、ゆうべのケーキの残りを食べて

「なんか違う!」

「だんなさんが言ってたのは これかー」となったと カッカから報告があった。

 『だんなさんが言ってた』とは・・・

学生時代、ケーキも売る喫茶店でバイトしていて、作り立てのケーキを食べていたので、夫はケーキは味よりも『出来立てか時間がたってるか』を重視する。

 ここちゃんが来る日も ケーキは前日には買わず 当日 夫が買いに行く。

ここちゃんとのティタイムに そんな話をしてた。

 …ここちゃんは別段 反応するわけでもなかったのに、ちゃぁんと聞いてて頭に残してたんだぁ(笑

 

 『ふぅん…出来立てと次の日では味が変わるのか…』と思いながら聞いてたんだねぇ。

どんなに変わるのか興味津々だったんでしょう。

 そう思いながら食べて「あ~ほんとだ!」って なったんだね^^

 幼い頃からそうだった。

大人の話を聞いてる顔してないのに ちゃんと聞いてて自分のものにしてた。

 一生懸命ゲームしてる時の顔も 出会った2歳の時とおんなじ(笑)

背だけはどんどん伸びてる。 靴の大きさも もうすぐ追いつかれるなぁ。

 で『ここちゃんが着られなくなった服を ゆうこさんに頂戴』って話も出て来るんだけど…背は越されても幅は越えないのよねぇ…よって ここちゃんのお下がりは 私には着られない…うぅぅ残念!

 

 この日を境に 私の気持ちも上向いて来て、体のしんどさも薄らいできてる。

 プレドニン(ステロイドホルモン剤)も4錠を2錠まで減らしてます。

 まさに『おすくり☆ここちゃん』(お薬☆ここちゃん)

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2019年2月25日 (月)

受け入れる

 Jリーグが開幕しました。
 先週の「ちばぎんカップ」では、寿人はベンチ外。 ちょっとびっくりした。
 そこからの開幕戦…居ないかもとは思ってたけど、勇人お兄ちゃんまで居ないとは…。
 ダゾーン観戦の予定で、お寺の法要から間に合うように帰宅したのに、何を観てればいいのよ~。
 
土曜日は、グランパスの試合をダゾーン観戦した。前半は家事をしながらのチラ見程度だったけれど、後半はしっかり。
ジョー選手のゴールから始まり、若手選手の躍動とゴール。4-0での快勝。 安心して楽しめた。
 和泉君と考起君の連携プレーには「上手い!」と声を上げ、結果を出した若武者たちに「良かったねぇ~良かったねぇ~!」と 嬉しさがこみ上げた。
 
寿人が居なくなったから 逆にシンプルに楽しめるようになってるかもしれない。
 
さて、それでも昨日は4時からPCの前に座った。 どんな試合をするのか ちゃんと見ておかないとね。(見ても どうせわからないけど~)
 
昔 広島に居たから・一昨年グランパスに居たから知ってる選手以外は 顔も名前も背番号も知らない選手ばかり。
 それでもね、寿人の居るチームだと思うからなのか、前日 グランパスの試合を観てる時とは違う気持ち…一生懸命観てる。
 ゴール前に上手くボールが運ばれると『寿人が居たら ここでどう動いてるのかなぁ』と想像もして。
 スコアレスドロー。
 
試合当日の千葉の練習場で 寿人と勇人お兄ちゃんが練習してて、見学もファンサービスもあったとのネット投稿写真を見た。
 兄弟でボールを蹴る…何年もできなかった事。
『いつか二人でボールを蹴りたい』と何かで語ってたよね。 
 『今日は試合に出ない』日に、二人で蹴るボール。 色んな話もできたかな。 ボールと一緒に気持ちも交感してたかな。
 私は、寿人の居ない試合 不思議に『落胆』では無かった。 ん~少しだけ覚悟してたからかなぁ。
 広島時代、何年もチーム内得点王で、ある時は自分で決められるチャンスを若手に決めさせようと譲った事もあった。
 それが途中交代が増えて来て(それでもリーグ得点王とった)、そのうちスタメンから外れる事もあるようになり、ベンチのまま終える試合もでき…その過程を 私はずっと『寿人ファン』として見て来たんだもん。

Hisato


 2015年夏、監督とのすれ違いで反省謹慎(だったよね?)をした時の事を振り返って「あと2~3年は やりたいと思っていた」と語った記事があった。
 その2~3年は、2018年で終えた。
 2019年は、寿人にとっても修正された未来プランなのかな。 どう描いてるのかな。
 ファンの私は、寿人の気持ちを尊重してついていくのみ。(「ついて来て」とも言われてないけど)
 試合に出ていないプロ選手を応援するのって 正直 難しい。やり方がわからない。
 でもね、寿人が居た2年間でグランパスを好きになって『寿人が居なくなってもグランパスはグランパスとして応援できる!』と思い始めたのが、そうなってみたら やっぱり熱が全然 上がらなくて…。
 地元チームのファンにも サッカーファンにもなれない私は、やっぱり寿人ファンでしかなくて。
 「応援する」なんて大上段からじゃなく「好きだから見ていたい」「試合で見られないなら、動向をずっと見守っていたい」と変化してきてる。

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2019年2月20日 (水)

動き出したー☆

 この前「大丈夫…じゃないかもね」とブログを書いてから10日も過ぎてた!
 一週間くらいのつもりだった。
 やっぱりおかしかったなぁ、私。
 心がフリーズしてた。 
 良くも悪くもオープンマインドの私が無意識にクローズしてた。
 
 11日早朝から熱が出て、インフルエンザかなぁと構えたけれど、高熱にはならず。
内科で処方されている数種類の薬の中から『PL顆粒』を選び、風邪対応にしてみた。
でも頭痛・鼻水・咳などの症状は一切なくて、熱も上がったり下がったり。
私の冬場の平熱は35.5度なので、37度になると ちょっとしんどい。 でもそれ以上にはならず。
 花粉症かも…と 自己診断を変えて、抗アレルギー薬にしてみた。
でも微熱は変わらず、動悸がするし、少し動くと横になりたくなって、横になると眠ってしまう。
 
 週末 とうとう「ステロイドホルモン剤大量投与」作戦に出た。
 去年12月の血液検査でドクターが「これは気に入らんなぁ」と 『プレドニン1錠を1、5錠に増量』の苦渋の決断をしたのに、自ら一挙に『4錠』に!
 功を奏し、それまで薄目で見てたような景色が多少 はっきり見えるような気がしてきた。
 母の事をさり気なく心配してくれる友達にも 泣き言も言えた。
 
 そしたら思いがけない展開が…。
 友達のお母さんのご高齢の叔母さんが、数年前に大腸がんと診断されたものの、本人の意思で治療を拒否し、今も元気でいると。
 親戚一同は「あの診断は何だったの?」と言ってるって。
 
 その情報で 私の気持ちが一気に変わった。
 先日の主治医との話し合いでは「このままだと、2~3ヶ月後に大腸が完全に詰まる。腸閉塞が起きた場合、普通なら人工肛門置換手術をするが、母桃さんには緩和ケアという選択もあり」
 施設の看護師さんや介護福祉士さん、ユニットリーダーさんとも その後 きちんと話し合って『2~3ヶ月後に腸閉塞を起こしたら、口からの栄養摂取は断念し、命が枯れていくのを見守る』事を決めた。
 母の最期を私が決めてしまった罪悪感と、何年も前から まだしっかりしていた母と私が お互いに伝え合っていた死生観にブレが無い自信。
 二つの想いの中で、私は自分を「無」にしてた気がする。
 
 ただ…腸閉塞を起こしても きっと母の心臓は動いているだろうとは思ってた。
「もう半年になるけど、まだ生きてるよ~」と苦笑する自分も想像できてた。
 
 それがね、友達のお母さんの叔母さんの話を聞いたら「まだ生きてるどころか、元気かもしれない!」と 希望が湧いて来た。
 
 大腸ファイバースコープ検査の画像で見た腫瘍。
腸管内がほぼ埋まってた。
 でも高齢の母の癌細胞の増殖はきっとゆっくりに違いない。
2~3ヶ月どころか、半年後も まだ詰まってない可能性だってある。
 先週は 母の所へも行けなかったので、昨日2週間ぶりに行って来た。
相変わらず母は食欲もあり、顔色も良い。
 支援員Uさんが「今朝もお話されましたよ」と 詳細を再現してくれる。
「ちゃんと会話になってるんですよ~」と笑顔。
 
 このUさんの声は 母の耳に一番届きやすいのか 今までも『母桃さんとの会話』の報告は彼女が最多。
 そのUさんではあるけれど、複数回の言葉のキャッチボールが増えて来たのが 私には不思議。
 最後の命の灯を燃やしてるのかなぁとも思う。
 ユニットの支援員さん達が「朝が一番 お元気で言葉が出やすいので 今度 動画を撮ろうって言ってます」って。
皆さんが 母との残された時間を大切にしてくれてる。
(…一年後も生きてる可能性あり)
 
 母の食事も 刻み食だったのが 先月の診察後からソフト食(多分 一番 高価よね)になった。
他の皆さんと同じ食材をドロドロにしてからテリーヌのように加工してある。
 白身魚にはとろみソース。
 人参と思しき柔らかいキューブにはマヨネーズ風味のソース。
味見してみると、確かにそれぞれの食材の風味はある。
スプーンで口元へ持っていくと 口を大きく開ける母。
 欲しいんだね。 たくさん食べてね。
 でも 毎回 こんな食事では満足感ないよね…。
 私が入院中、減塩食で虚しいのと同じ。
 
 昨日 介護福祉士・看護師・支援員さんと私で また話し合いの時間を作ってくれて
「母桃さんが美味しいと思ってもらえる食事も たまにはしましょう。美味しくない物を食べて寿命だけをのばすよりも、母桃さんが少しでも嬉しいと思ってほしい」と。
私の想いそのままだった。
介護してくださる人達と私の気持ちがぴったり一致してる安心感。
 私が食べさせていた塩味の薄焼き煎餅も「再開してみましょう」となった。
 便をどろどろにする薬を使って、排便の量も増えているとの事。
 …なんか、私が週に一度 会いに行く時間は 以前と何も変わらないじゃん。
 むしろ 母の反応は数ヶ月前よりもしっかりしてるもん。
 『希望の光・スポットライト』とまではいかないけれど、それまで暗転だった舞台に照明が当たり出したような感じ。
 
 そうなると 色んな事が急に上手く回り出す。
 昨日は まだ少ししんどい体に鞭打って ボランティアの会議に出てから母の所へ行った。
 市役所の音訳ボランティア 今年度は輪番制の役員だったので、年度替わりのこの時期 引継ぎや調整で何度も招集がかかる。
 私が今 倒れたらダメだ。 私の代わりは居ない。 頑張るしかない。 気が張ってるから絶対に倒れないよ。何とか この時期をやり過ごそう。
 きっと前だけを睨みつけて悲壮な顔してたと思う。
 そしたら…木曜日に予定されていた研修会には出なくても良い事になった。 あっさり(笑
 それが無くなっただけで、荷物がすごく軽くなった。
 引継ぎの為の書類作成も目処がついてきたし、急に展望が開けて来た。
 
 夜 帰宅した夫にも 久しぶりに饒舌におしゃべりした。
ずっと『ご飯作っては寝て、食べては寝て、洗い物しては寝て、入浴せずに寝る事もあり』だったもんね。
 ただし…ステロイドホルモン剤大量投与中である事を忘れてはいけない。
『なんかやる気出て来たー! 頑張れる気がするーー!』のは、ドーピング状態・ステロイドハイの可能性も高い。
 
 …って事で 今朝は プレドニン2錠にしてみました。
 そしたら「今日は これとこれをこれをやるぞーーー!!」だったうちの まだ一つしか着手していません(汗
 

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2019年2月10日 (日)

大丈夫…じゃないのかもね

 金曜日、母がお世話になっている特養の看護師さんと一緒に病院へ。
外科のドクターから病理組織検査結果の説明を受けた。
 先週 検査した内科のドクターが見せてくれた画像から 素人の私でも想像できた。
 
 で、予想通り。
 それを見越して、今後の事もドクターと相談できるよう、昔から 母と話し合ってきた事や、私が予想できる今後の展開の選択肢などを フローチャートにして持って行った。
 ドクターは 私の気持ちを汲んでくれていると感じられる。
 特養の看護師さんと3人でシンプルでも濃密な話ができた。
 
 その足で、母の待つ特養へ向かい、ユニットリーダーや社会福祉士さんも交えて報告と 今後の相談。
 皆さんが本当に一生懸命考えてくれて、寄り添ってくれて、ありがたい。
 
 子供の無い私達夫婦、私は絶対にボケるし、体の自由も早くに利かなくなるでしょうから、施設に入所する事は夫と決めているけれど、お世話になるならここがいいなぁ…。
 
 ブログを読んでくれてる友達から、全く別の要件を装いながら、さり気ない気遣いのメールやLINEが届く。
 
 なんかね…大丈夫なんだ。
 全然 大した事ないの。
 2018年12月、寿人の退団が発表された時の方がずっとずっと苦しくて辛かった。
 友達の真心に感謝しながら、いつもなら「実はさ~」と ぶちまける私なのに、それができなかった。
 説明するのが面倒だった。
 
 コンビニのビニール袋を手に夫が帰宅した。

Godiva

 GODIVAのラズベリーチョコレートケーキ(コンビニね!)
 
 『妻のトリセツ』なる本が売れてるそう。
 広告の一部に「これを読んで 突然の妻の無表情が怖くなくなった」とあるのを見た事がある。
 私の事だーーー! と その時 思った。
 夫は もしかしたら買って読んだのかも。
 
 ラズベリーチョコレートケーキが食べられるから嬉しくて元気が出るわけではないの。
 友達の真心よりも、一番身近な夫が『私を、私の母を気遣ってくれた』事が 元気の素になった。
 
 …と言う程 しんどいわけじゃないんだ。
 普通に眠れるし、食欲もあるし、普段と何も変わらない。
 
 でも 私の場合は この方が怖いのかも。
「しんどいよ」「苦しいよ」と言いまくってる時の方が 私らしくてまとも。
 大したことないと 強がってるわけじゃなく、何も感じないように麻痺させてるのかもしれない。
 それが続くと 体に「もう止まるしかないよ」って異変が現れるよね。
 
 一過性の外転神経麻痺がたびたび起きてるけど、2010年みたいに『一過性』が継続するようになったら困る~。
 
 

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2019年2月 6日 (水)

春の微粒子を集めて

 昨日は車を運転していると暑いくらいの 過ごしやすい冬の日でした。
 
 自分の内科の定期検診は、先月のステロイド剤増量の経過を見守るのみ。
2010年の外転神経麻痺の一過性の症状が近頃頻発する事を報告してきた。
 来月、血液検査をするので、外部に検査依頼を出す項目の結果が判明するのは4月…ステロイド剤の減量なるか…まだまだ時間がかかるなぁ。
 
 重い足取り(あまりの重さに笑ってしまうほど)で母の所へ。
 下血が継続する事・でも食欲はあるとのこと。
そして下剤を使用して泥状にした便は ちょっぴり量が増えている事を聞く。
あぁ、詰まってはいないんだ…と ちょっと安心する。
 「おかあさん!」と呼びかけると 私をじっと見る。
「うんこ出てるんだねぇ」と 聴こえないのを承知で尋ねると 何となく頷いてるような顔をする。
 無表情・変化なしと思う時もあるので、これは私の見間違いではなく、何らかの小さな反応があるって事。
 『良かったねぇ…』の気持ちをこめて 母のおでこに自分のおでこをくっつけると、母も力をこめてくる。
 『しゅき~~~(好き~)』の表現だと私が思ってる 母と私のコンタクト。
 
 金曜日に ホームの看護師さんも一緒に病院へ行って、この前の病理検査の結果を聞いて(もう分かってるけど)今後の事をドクターと決める事になっている。
 
「お母さん、私に任せてね」
 私が最良の決断ができるように、間違った選択をしないように、毎日 お参りしている。
 たくさんの真心に支えられている事を実感しながらの帰り道だけど、やっぱり心は晴れない。
 往路の途中にある緑道の横をスピードを緩めて走る。
水仙が咲いているのを見つけて車を止めた。

Suisen1

 コートを車に残したまま降りる。

 夕刻が迫る時間帯のお日様の光を集めた水仙が輝いてる。

 2011年頃だったかなぁ…週に一度 実家へ行くのを「実家詣で」と名付けて、義務感半分で通ってた。

 認知症が進行していた母の為に 家の片づけ・食事の支度・郵便物のチェック・お金の管理などをして 認知機能が低下した母からは「有難迷惑」「ゆうこに監視されてるみたい」との言われ、毎回 泣いて帰った。

 ある年の春先、帰りに寄るスーパーでアイスクリームを買い、この緑道のベンチで食べたのが なぜかずっと忘れられずにいる。

 まだ本当の春では無かったと思うけど、でもアイスクリームを食べたいような暖かさだったんだよね。

 大好きな大事な母と ずっと仲良くできなくて、心身ともに疲れてて、でも母を見捨てる事はできなくて、無理して頑張って毎週通う自分を褒めてやりたい・慰めてやりたい…そんな気分だったと記憶してる。

 数年後、デイサービスを経てグループホームに入所して、そこでも最初は「なんでこんな所に居なくちゃいけないの?」と言う母を「弟桃が出張中で、お母さん 一人にしておくのが心配だから、弟桃が帰って来るまで ここに居てね」となだめてた。

 それも落ち着いて、自分の家がある事を忘れ、私が週に一度 グループホームから喫茶店へ連れ出すのをすごく喜んでくれて「お母さんばっかりこんなに幸せで 天国のお父さんに申し訳ないわ」と助手席で言う母。

 そんな時期もあったんだなぁ。

 この時間も永遠ではないと その時から分かっていたから、私も嬉しかったし大事にしてきた。

  あの頃は グループホームからの帰りに この緑道脇を通ると「ああ、以前 ここでアイスクリーム食べた時は辛かったなぁ…」と よく思った。

 癌発症と 母の命を左右する決断を委ねられる日が来るのは想定外だった。

Suisen2


 春の微粒子を集めて輝く水仙。

 小さな風にも可憐に揺れる。

 私にも春の微粒子がたくさん注がれているはず。

 
 

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