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2019年6月

2019年6月28日 (金)

白まんま

 昨秋、夫が何かのポイントか ふるさと納税か 忘れたけれど「お米」を取り寄せてくれた。

 その頃 食べかけだった米びつの中の白米を数日かけて食べ終え「新米♪ 新米♪」と 歌いながら、届いた米を米びつに移す・・・あれ? なんか茶色いなぁ。

 その日の夕方、茶色い米を洗うも なんかいつもと感じが違う。

そして炊き上がると・・・なんじゃこれは?! 硬い! 食べられたもんじゃない。

 

 う~ん、なんでこんなに変なお米なんだろう? 

眼鏡をかけて あらためて袋を見てみると・・・「玄米」と書いてある。 

もっとよく見てみると、洗ってから炊くまでに一晩つけておくって。

ひぃーーー。

 いつもの白米のつもりで洗ってすぐ炊いたらダメなわけだ。

 

 翌日は、説明通り洗うのは白米より簡単に、でも炊くまでに6時間おいた。

炊き上がりは・・・うん、香ばしい。昨日のような硬さは無くて なんだか体に良さそうな味わい。

 

 数日 玄米を食べていた。 ちょうど 寿人が移籍したジェフ千葉では 選手の食事が玄米だとも知った。

 

 だが・・・しかし・・・我が家は「玄米通」には なれなかった。

二週間ほど玄米を食べ続けると『ああ、今日も玄米かぁ・・・』となり、三週間目には『うっぷ・・・もう食べたくないよ』となる。

 で、スーパーで白米3キロを買って来た。

久しぶりの白米を炊く。 匂いからして違う。 炊き上がって炊飯器の蓋を開けると・・・おぉ~懐かしい白米! 白く輝いてる。

「今日は白まんまですよー」

「おー」夫も嬉しそう。

特別なおかずじゃないのに「あぁ、やっぱり白まんまは 美味しいねぇ~」

「そうだねぇ~」

 

 でも玄米は食べなくてはいけない。

玄米を数日続けたら「今日は白まんま♪」を挟む。

玄米はたくさん炊いて 翌日はチャーハンにするなどして味を誤魔化す。 カレーライスもしてみた。 

 あぁ・・・白まんまが食べたい。

時々 白米を挟み込みながら 玄米一袋は食べ終わった。

あと一袋だ・・・。うぅ・・・辛い。

 

 健康食として玄米は注目されてるし、主食にしている人もいるのは知ってるけど、我が家では無理でした・・・。

二袋をやっと食べ終えて、晴れて白米を買った日の解放感♪

 

 あぁ、今日から白まんまだーーー♪

 

 白米再開から もう2ヶ月過ぎたけれど、今でも夕飯を食べながら 時々「あ~ やっぱり白まんまは美味しいねぇ~」とつぶやいてしまう。

 

 ありがたい、ありがたい白まんまなのでした。

 

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2019年6月22日 (土)

ぴっちー号(マイ車椅子)頑張った!・・・けど

 先週 土日、単独ぴっちー号で千葉へ観戦に出かけた。

 最初は夫が同行、2回目からは一人で。 4回目ともなればルートも頭に入り、無駄な移動はどんどん減って効率的になり、不安も無くなってきてる。

 単独車椅子だと、あちこちで見知らぬ人が親切にしてくれる。 ありがたく甘えさせてもらいつつ、自分で頑張れるところは極力頑張って、周りに迷惑をかけないように気を配る。

 

◆混み合う駅での衝突◆

3回目に行った時、人の行き交う駅で急ぎ足のサラリーマンと衝突する事 2回。(同じ人だったような気さえする)

不慣れな駅は 上の表示板を見て歩く人が多い。 で、ただでさえ視界に入りにくい低い位置の車椅子が近くに居るのに気づかず、突然 方向転換して来た人がぶつかる・・・というわけ。

2回とも その人の足元をぴっちー号が払う形になり、サラリーマンはつんのめった。 なんとか踏ん張ってくれたので転倒はしなかったけれど、どこか打ってるだろうなぁ・・・。 これくらいの衝撃だとこちらが倒れる事は無さそう。

お互いに「すみません!大丈夫ですか?」「ごめんなさい!大丈夫ですか?」と 同時にいたわり合えたのは良かった。

でも3回目は気をつけなきゃ・・・と、急ぎ足の人を見かけたら 同じ方向へ進んでいても なるべく距離をとる。

車椅子だとどうしてもスピードが出ちゃう。 別に暴走したいわけじゃない。リムの一回転でたくさん走った方が力が要らないので、どうしてもスピードが出てしまうの。

腕をできるだけ後ろに回してリムを掴み、一回転で出たスピードに乗れば惰性で進む。長距離を移動する時は ある程度スピードに乗った方が楽なの。

でも これは急に方向転換して来た人とぶつかる可能性も高い。 前回学んだ事を活かして、4回目は衝突無し。

 

◆エレベーター◆

小さなエレベーターに乗る時は 私が一番に乗るのが理想。 自動車の車庫入れ・幅寄せは苦手なのに、ぴっちー号だと後ろ向きでも狭い所へちゃちゃっと切り返して隅っこに寄せる事ができる。

隅っこに寄せて『開』のボタンを押して 後の人が乗るのを待ち、降りる時も私が『開』のボタンを押していて、最後にスルーッと出る。

皆さん どうしても『車椅子の人だからお世話してあげなくちゃ』と思ってくれちゃうようで「どうぞお先に」と譲ってくれた時は、ありがたく一番に乗り込んで、先述の方法をとってスペースを作り「まだ乗れますよ」と 次を待とうとした人を誘導する。

降りる時も 私を先に行かせようとしてくれるので「私が開ボタン押してる方が確実なので どうぞ降りてください」と仕切る(笑

 

◆列車の乗降◆

全然歩けないわけではないので、列車への乗降は車椅子から降りて自分で車椅子を押す。

列車とホームの隙間も 車椅子をヘッドアップさせてクリアする。 ここは けっこう神経を使う。 ここで私が転倒したら困るし、後ろの人を待たせるのは悪いし。

たまに駅員さんが手伝ってくれるんだけど、ヘッドアップできなくて力づくで持ち上げてくれたりして すごく申し訳ない。

新幹線は席に向かわず、ドアの奥側で一旦待機。 全員が乗り込んだのを見てから、車内に向かう。車椅子を置く為に車両の後方の指定席を買うので 出入口付近でもたもたすると 後の人が詰まっちゃうもんね。

これが在来線になると 更に面倒。 座席指定は無くても車椅子に座っていられるのはありがたいんだけど、荷物を載せて自分で押して乗せた車椅子から 荷物を下して自分が座るには ちょっとスペースが必要。

千葉では在来線に45分間 乗らなければいけないので、これがネック。

 

◆タクシー◆

ぴっちー号は セミオーダーでコンパクトなので トランクに載せられる。 運転手さんが戸惑うので 自分で折りたたんでおいて「倒して載せてください」とお願いする。

 

 こんな工夫を重ね、スロープやエレベーターを利用する為に遠回りもしながら『ひと昔前なら車椅子で外出なんてできなかったよね。ありがたい世の中になったわ』と感謝をする。

 でもね・・・やっぱり 色々 不便なのよ。

 

 試合終了後、タクシーを呼ぶのが難関。

1回目は 寿人も出てないし、雨だったから後半途中で出て来たのに、結局 タクシーが来たのは試合終了して皆がぞろぞろ出て来る頃だった。

新幹線指定席は いつも時間に余裕を持って買ってある。

2回目は 覚悟してた分、早くタクシーが来たものの、在来線の事故で列車が遅れ、おまけに東京止まりとなり、そんなアクシデントも『東京駅から新幹線に乗る』と決断して無事乗り越えた。

3回目は すぐにタクシーが来て、ホテル泊だったので 優雅な千葉の夜を満喫できた。

 

ところが! 今回は ここで大きく躓いた。

いつものようにタクシー会社に電話をかけると「全車 出払ってます」 2つ目の会社も「今 車が無いんですよ」 3つ目も同じ。

雨模様だったし、土曜の夜だしね。しばらく待って 最初の会社に再度電話。 同じ返事。

スタジアムも どんどん明かりが消えていく。 昔 広島でもあったなぁ・・・。

5回目の電話で「待つので予約はできませんか?」

「一時間以上かかりますよ。無理です」

え? 無理です? 

交差点で観客の誘導をしてる警備員さん達が困っている私を見て「タクシー通るのを 皆で見てあげて」と声をかけあってくれるけれど、一台も通らない。

警備員さん達も 柵の撤収を始めた。

どうする?

仕方ない! 皆が歩いて行く最寄りの駅まで車椅子で走るしかない。駅ならタクシーいるかもしれない。ここで待つよりは確立高そう。

雨が止んでたのが幸い。

最初に観戦に行くと決めた時、最寄り駅からスタジアムまで徒歩10分(だったかな?)が車椅子では無理だから、わざわざ遠い駅で降りてタクシーを利用するルートにしたのに、こんな事になるとは・・・涙。

暑い時や寒い時じゃなかったのも良かった。

人通りも無くなった歩道は暗い所もあり、歩道橋のエレベーターなんて道路からは死角になってるし。

この時の私は「とにかく駅まで行かなくちゃ!」と必死で、怖いのを忘れてた。

駅にはタクシーが2台留まってて 運転手さんが白馬の王子様に見えたわよ。

でも乗ってから 2社目に電話した会社のタクシーだと気づき「こんな近くに2台もあるのに なぜ無線でつかまらないのか?」と聞かずにはいられなかった。

・・・よくわからない説明だった。

分かったのは「予約も1日前とかだと 当日 車があるかどうかわからないので、試合が終わる20分くらい前に電話するのがベストです」ということ。

えええーーー? 一日前の予約はダメなの? 私の住む地域では1日前だろうが1週間前だろうが 予約したら間違いなく その5分前に来るよー。

と言ったら「きっと車がたくさんあるんでしょうね」 

恵まれていたのね、私の住む地域(笑

 

 こうしてホテルには何とかたどり着けた。

 

 さて翌日、練習場でのトレーニングゲームの見学。

広い練習場の向こう側半分で試合がありそうなのは分かっていたけれど、ぴっちー号では その向こう側の観客席には入れない。

しばらくこちら側で様子を見てたら、絶対に寿人を判別できないのが分かった。これじゃせっかくゴールしても それすら見逃す。

意を決して向こう側に行ってみる事にした。

屋根も無いので紫外線さんさん。膠原病で紫外線が大敵な私は長時間はいられない。帰りの体力を残しておかないといけないからね。

舗道を走って移動してみたら、小屋の陰があるのを発見。そこに身を寄せる。

正規の観覧席ではないけれど、車椅子だから許してね・・・と 思ってたら けっこうな人数が同じ日陰に立ったわ。

 見慣れたはずの寿人の『ボールを呼び込む仕草』を久しぶりに見た。

寿人アシストで勇人お兄ちゃんがゴールしたように見えたけど、私の目では確信が持てず。(後で公式サイトで確認できた)

日陰がどんどん狭くなっていくので、寿人が交代したら向こう側に戻るつもりだったのに、フル出場!(笑

 待望の寿人ゴールは無いまま試合は勝利。

 

 観客席の人達も 向こう側のファンサービスゾーンに移動し始める。

うぅぅ・・・かなりの人数だ。 

ユニフォームにサイン まだ貰ってないんだけど、今回は諦めようかな・・・。 でもせっかく来たんだから 様子だけでも見てみよう。

奥の方へ移動すると、人だかりに完全に埋もれる。 サインは ま いっか。 

諦めてたら、近くにいた同世代と思われる(年下でも50代だと同世代だと思ってしまう還暦の私)女性が「誰を待ってますか? 呼んであげますよ」と。

「寿人選手です」

「あ、私も これにサイン貰うから ちょうど良かった! 呼んであげます!」

お喋りしながら待ち、その女性のアシストで無事に寿人のサインを貰い、写真も撮らせてもらった。

車椅子じゃなかったら、こんな風に声かけてもらえなかったよね。 ぴっちー号に感謝。

 女性にもお礼を言って別れる。

 

 目的を果たせて、タクシーを呼ぶ・・・。 さすがにこの時間帯は「20分かかります」と言われて 10分くらいで来た。 その待ち時間でさえ電柱の細い日陰に身を隠す私(汗)

 

 そして最後の難関、在来線。

日曜日の午後を甘く見ていた。

 通勤ラッシュ程ではないでしょうけれど、車椅子をやっと押し込んだら身動きできない。座る事もできない。荷物を載せてるからたたむ事もできない。立ってる私と車椅子・・・すごいスペースとってる。 身の細る思い(細らないけど!)で2駅ほど過ごす。

 人が降りて少し隙間が出来たので奥へ移動して荷物を下し自分が座る。(荷物は自分の膝の上)

早く品川駅に着いてーーー(祈

 

 

 ・・・あぁ、いろいろ大変だった。

 

 2回目と3回目が わりとスムーズだったので気軽に出かけたけれど、今回のこれを経験してしまうと ちょっと怯むなぁ。

これから苦手な季節だし、広島時代も「夏はお休み」だったんだから、秋まではダゾーン観戦かなぁ。

 でもね、広島時代と違って、寿人のプレーが観られるのは あとわずかだろうと思うから 一回でも多く観ておきたいんだよね。

ダゾーンで観た方が 私の目にはよく見えるんだけど、それでも近くで応援したいんだよね。

何の力も無いって分かってるけど、応援の一粒になりたいんだよね。

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2019年6月12日 (水)

寿人の居ない練習場

 8日(土)は グランパスの「プラチナ見学会」でした。

 

 早期申し込みで 寿人の退団が発表になる前に プラチナ会員を継続した我が家・・・千葉へ移籍後は 優先で参加できるグランパス新体制発表会の申し込みすらしなかった。

 6万円、グランパスに投資したと思えば良い・・・と納得しつつ、ちょっぴりもったいなかったなぁ・・・と。

それで プラチナ見学会には行く事にした。

目的はスタッフさんに会う事、顔見知りになったファンの方に会う事。

去年のプラチナ見学会は『寿人を観るのに必死・練習後のファンサービスを受けるのにワクワクドキドキ』だったけれど、今回は気楽なもの(苦笑)

 2018年の新体制発表会で初めて言葉を交わして、プラチナ見学会で再会して親しくなったCちゃんご夫妻とも ゆっくり話ができた。

逢いたかったスタッフさんとも逢えて、話もできた。 これで見学会の目的は達成。

 心配された雨もなく、曇ったり晴れたり。スタンドには 時折、ひんやりした風が吹き抜けて気持ちいい。

 

 2017年早春、トヨタスポーツセンターの練習場で寿人を見て喜びを感じながらも『いつか ここに居なくなる日が来るんだな』と覚悟をしたんだったなぁ。

 2018年の初冬には それが現実となった。

千葉への移籍が発表になり、共に千葉に移籍した私は 心配してた「寿人ロス」にはならなかった。

スポーツニュースなどで、グランパスの練習場の映像が流れると「あ~懐かし~い」と思う程、遠い出来事・遠い場所になっていた。 

もちろん過去の映像だと どこかに寿人が映ってないかと必死で探すけれど。

 

 プラチナ見学会は 特別にピッチ内に入るのを許される。

でも特別に見たい選手がいるわけでもないので、スタンドに座る。 あぁ・・・なんか良いなぁ~^^

時々「あ、寿人」と思う。

 広島時代から 服部公太選手を 時々 寿人と見間違えた私は、この数年 視力の衰えと共に 近頃は二桁の背番号は全部<11>に見えちゃうし『なんで この選手を見間違える?』と思うくらい体形の違う選手を寿人と思い込んで目で追ったりすることが増えた。

 この日も 絶対に居ないはずの寿人が一瞬 見えちゃう(笑

 

 練習が終わり、ファンサービスタイム。

去年よりも会員増加で 見学者も500人越えらしい。 去年とは違うスタイルで運営するスタッフさん達の準備も工夫も素晴らしい。

あぁ~グランパス やっぱりすごいなぁ。 ビッグクラブなんだなぁ~と実感する。

 

 昨秋のプラチナパーティで同じテーブルだった女性とも偶然再会。

「私、寿人について千葉へ移籍したの」と こっそり(笑

「でもプラチナ会員の恩恵は味わいたいので、また会う機会あるよね~」と握手。

こういう出会いは楽しい。

 地元チームを応援してスタジアムや練習場やイベントに足を運べば、自然に顔見知りは増え、好ましいと思う人とは自然に言葉も交わすようになる。

 

 6つのグループに選手を分けて、ファンサービス。

1巡目には選手との写真撮影、2巡目にサインなど。

夫と私は2巡目には並ばずに帰って来た。 写真だけで 十分 満足だったもん。

 

 最後まで居なかったのは、お昼ご飯をうなぎ屋さんで食べる予定もあったから。

2017年春 一人で見学した帰りに 夕飯作るのしんどいなぁ~、あ、うなぎ屋さんがある、買って帰ろ~と飛び込んだ店。

持ち帰りのうな重が夫にも好評で、数ヶ月後、夫と一緒に見学した帰りに食べに寄った。 持ち帰りでも美味しかったのが お店で食べると更に美味しい! 以来、私達夫婦は『練習見学+うなぎ屋さん』が楽しみに。

 そしてこの日も「あぁ~ほんとに美味しかったねぇ~~~」と満足して会計をした後、店主と話していたら・・・どうやらグランパスの選手がお客として来るらしい事がわかった。

 サッカーにあまり興味の無い店主は「監督さん・・・名前なんだったかな」

「風間さんですか」

「そうそう!風間さん! その風間さんも 時々 みえるよ」 

そうなんだ~。

「最初 知らなくて 体格のいい男前揃いの団体だなぁと思ってたら、息子がグランパスの選手だって教えてくれて」

ひゃあ~~~!

「移籍しちゃったけど、キャプテンだった人・・・ええっと・・・」

「佐藤寿人選手ですか! 私達 その選手のファンなんです!!」

「そうそう! 佐藤さん。ジープみたいな大きな車に乗ってる」

ええぇえええーーー寿人も来てたのねぇ。

去年 教えて欲しかったわ。

 でも、店主さん「キャプテンの佐藤さん」が 話の中で「加藤さん」になるし、もしかしたら数年前のキャプテンの事かもしれない。

 

 グランパスの練習場、寿人はもう居ないけれど、それでも気持ちの良い場所だった。

そしてうなぎ屋さんに寄るプランで、プラチナ見学会にはまた行きたいな。

会釈だけはするけれど、まだしっかり話したことが無く でも 一度 話してみたいサポーターさんも居るし。

ご縁があれば きっとまた逢えるはず。

 

 

 

 

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2019年6月 5日 (水)

愛しい人⑤「捨てられないの~」

 私が何事も「捨てられない」性質だというのは これまでもブログに書いてきました。

 

 母の荷物を狭い我が家に運び入れて、何日もかけて片づけながら・・・あぁ やっぱり捨てられない・・・という今日のブログで『愛しい人』はおしまいです。

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 この子は めめちゃん。

以前 何かで認知症のお年寄りが赤ちゃんの人形を大事に抱っこしているのを見て、母にも抱っこさせたいと思って購入した。

退所する時「もしユニットで使ってくださるのなら置いていきます」と いくつかの物を提案した中でお断りされたもの。

母が抱っこしているのを見て意地悪言った利用者さんもいらしたようだし(亡くなった母にお別れを言いに来てくれた利用者さんが「こんな人形 捨てやぁって 私 言ったんだわ」って泣かれた。母は聴こえて無いから良かったけど、もし聴こえてたら傷ついてたよね)『母桃さんが抱っこしてた』記憶がある利用者さんは 受け入れられないかもね。

 今 寝室の入り口に仮置きしてある整理箪笥の上に座らせてある。そこを通る度に「めめちゃん!」と呼び、顔や手足に触れる。

「めめちゃん、お母さんの横にずっと居てくれてありがとうね」

「お母さん どんな夢みてたかな。めめちゃんは知ってた?」

「お母さんと どんな話してた?」

 

 グループホームから特養へ転居した時 慌ただしさの中で袋に入れたままだった母のバッグ。

服装に合わせてバッグもたくさん持っていたのに、認知症が始まった頃から いつも同じバッグを持つように。

その中の財布には、2003円が。

グループホームでは、職員さんが時々 喫茶店へ連れてってくれるので、すぐに使える数千円も 私が定期的に補填していた。

その一部と思われる千円札も 荷物の二か所から出て来た。

「ゆうこにお小遣い! 夫桃さんと何か美味しい物食べてらっしゃい」と 得意げな笑顔の母の声が聴こえた。

元気だった頃 通っていた実家の近くの喫茶店のコーヒーチケットと一緒に 尊厳死協会の登録カードも。 あぁ、そうだった! 母は尊厳死も望んでたんだった。進んだ考えを持ち 行動に移せる母だったなぁ。

側に居る私に迷惑をかけないように・・・母の根源にあるのは これだった。

お母さん ほんと すごいよ。

 

 新聞に掲載された『難病の子どもが渡米して手術をする為の募金』の記事は切り取って すぐに銀行や郵便局から募金する母だった。

募金を終えると記事は仏壇に置いて 毎日 手術の成功を祈っていた。 

私が二十歳で指定難病を発病したから『難病の子ども』は他人事では無かったんだよね。

『〇〇ちゃん募金 △△円』のメモも財布の中にあった。

 

 

 2008年頃から 難聴の母の為にノートテイクするようになり、書いた紙が20センチくらいの高さになった時 思い切って捨てた。

この3年は もうノートテイクさえ読めなくなっていたから、私も書かなくなったけれど、少し前に書いたものが溜まっていた。

それを読むと 時系列が崩壊した母とのとんちんかんな会話がよみがえってくる。

 

 グループホームに入所する時 甥っ子(母にとっては孫)と母のツーショット写真を写真立てに入れて用意した。 それはそのまま特養にも持って行き、タンスの上に置いていた。

 写真立てを拭いて裏側を見て驚く。

『おはよう ばあばです。孫桃くん』たどたどしい文字。 孫桃の名前の漢字も一字違ってる。 自分の事は「おばあちゃん」と言い「ばあば」なんて一度も言わなかったのに。

私のノートテイク用のペンが隣にあったから 思わず書いちゃったんだね。

あの頃は まだ文字も書けたんだった。

 

 グループホームでは、毎月『メイクアップ教室』があり、化粧品メーカーの女性たちが華やかに賑やかに 肌のお手入れからメイクまでを指導してくれた。

 メイク後には、季節ごとの背景シートの前で写真撮影も。

ラミネート加工された写真の初めの頃は笑顔でピースサインもしてたのが、2015年半ばから だんだん表情が無くなってる。

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 写真は、母用にブレンドしたインスタントコーヒー。 元々 甘いコーヒーが好きな母は 家では牛乳にインスタントコーヒーを溶いてカフェオレを作っていた。

 支援員さんに それを頼むのは申し訳なかったので、私が『インスタントコーヒー・グラニュー糖・粉末クリーム』を混ぜて作った物を定期的に継ぎ足してた。(真ん中の瓶)

右奥は 家でブレンドしたものを入れて持って行く容器。 奥はグラニュー糖を加えたミルクティ。

これらは もったいなくて捨てられないよねぇ~。

って事で 私がせっせと飲んでます。 甘い甘~い。

 

 母の服は お洒落で高価な物は義母に着てもらう事にした。

グループホーム・特養では 全自動洗濯機と乾燥機に耐えられる安価な物を買い足してた。 下着も靴下も その度に 一つ一つ 私が名前を書いたなぁ。

 洗濯でヨレヨレになった下着やトップスは たくさん捨てた。 

この2週間、大きなゴミ袋 いくつ出しただろう。

 

 それでも まだ 捨てられない物がいっぱい残ってる。

 

 

 今日も アルバムからの2枚をご覧ください。

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 白黒写真しか見た事が無いので、このスカートが黄色い柄だったと思うのは私の記憶なんでしょうね。

もちろん母が端切れを買って縫ってくれたもの。

白いブラウスは 還暦になった私が まだ大好きなパフスリーブ。

「こ~んなに ちっちゃくってね、ミシンがかけられないから、袖だけ お母さん手縫いしたんだよ」と 写真見ながら いつも母が説明してくれた。

 私が子供を産めたら、きっと母は孫にたくさんの洋服を縫ってくれただろうなぁ・・・認知症も発症しなかったかもしれない。

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 伊勢湾台風の被災地だった南区から 3年後 中区へ引っ越す時の写真。

丸いバッグは赤だったと思う。向こう側には黒いアップリケみたいな模様があったように思う。

 

 ひとまず「愛しい人」は 終わりますが この先も 母の事を思い出したら何か書くと思います。

 

 

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