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2019年6月 5日 (水)

愛しい人⑤「捨てられないの~」

 私が何事も「捨てられない」性質だというのは これまでもブログに書いてきました。

 

 母の荷物を狭い我が家に運び入れて、何日もかけて片づけながら・・・あぁ やっぱり捨てられない・・・という今日のブログで『愛しい人』はおしまいです。

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 この子は めめちゃん。

以前 何かで認知症のお年寄りが赤ちゃんの人形を大事に抱っこしているのを見て、母にも抱っこさせたいと思って購入した。

退所する時「もしユニットで使ってくださるのなら置いていきます」と いくつかの物を提案した中でお断りされたもの。

母が抱っこしているのを見て意地悪言った利用者さんもいらしたようだし(亡くなった母にお別れを言いに来てくれた利用者さんが「こんな人形 捨てやぁって 私 言ったんだわ」って泣かれた。母は聴こえて無いから良かったけど、もし聴こえてたら傷ついてたよね)『母桃さんが抱っこしてた』記憶がある利用者さんは 受け入れられないかもね。

 今 寝室の入り口に仮置きしてある整理箪笥の上に座らせてある。そこを通る度に「めめちゃん!」と呼び、顔や手足に触れる。

「めめちゃん、お母さんの横にずっと居てくれてありがとうね」

「お母さん どんな夢みてたかな。めめちゃんは知ってた?」

「お母さんと どんな話してた?」

 

 グループホームから特養へ転居した時 慌ただしさの中で袋に入れたままだった母のバッグ。

服装に合わせてバッグもたくさん持っていたのに、認知症が始まった頃から いつも同じバッグを持つように。

その中の財布には、2003円が。

グループホームでは、職員さんが時々 喫茶店へ連れてってくれるので、すぐに使える数千円も 私が定期的に補填していた。

その一部と思われる千円札も 荷物の二か所から出て来た。

「ゆうこにお小遣い! 夫桃さんと何か美味しい物食べてらっしゃい」と 得意げな笑顔の母の声が聴こえた。

元気だった頃 通っていた実家の近くの喫茶店のコーヒーチケットと一緒に 尊厳死協会の登録カードも。 あぁ、そうだった! 母は尊厳死も望んでたんだった。進んだ考えを持ち 行動に移せる母だったなぁ。

側に居る私に迷惑をかけないように・・・母の根源にあるのは これだった。

お母さん ほんと すごいよ。

 

 新聞に掲載された『難病の子どもが渡米して手術をする為の募金』の記事は切り取って すぐに銀行や郵便局から募金する母だった。

募金を終えると記事は仏壇に置いて 毎日 手術の成功を祈っていた。 

私が二十歳で指定難病を発病したから『難病の子ども』は他人事では無かったんだよね。

『〇〇ちゃん募金 △△円』のメモも財布の中にあった。

 

 

 2008年頃から 難聴の母の為にノートテイクするようになり、書いた紙が20センチくらいの高さになった時 思い切って捨てた。

この3年は もうノートテイクさえ読めなくなっていたから、私も書かなくなったけれど、少し前に書いたものが溜まっていた。

それを読むと 時系列が崩壊した母とのとんちんかんな会話がよみがえってくる。

 

 グループホームに入所する時 甥っ子(母にとっては孫)と母のツーショット写真を写真立てに入れて用意した。 それはそのまま特養にも持って行き、タンスの上に置いていた。

 写真立てを拭いて裏側を見て驚く。

『おはよう ばあばです。孫桃くん』たどたどしい文字。 孫桃の名前の漢字も一字違ってる。 自分の事は「おばあちゃん」と言い「ばあば」なんて一度も言わなかったのに。

私のノートテイク用のペンが隣にあったから 思わず書いちゃったんだね。

あの頃は まだ文字も書けたんだった。

 

 グループホームでは、毎月『メイクアップ教室』があり、化粧品メーカーの女性たちが華やかに賑やかに 肌のお手入れからメイクまでを指導してくれた。

 メイク後には、季節ごとの背景シートの前で写真撮影も。

ラミネート加工された写真の初めの頃は笑顔でピースサインもしてたのが、2015年半ばから だんだん表情が無くなってる。

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 写真は、母用にブレンドしたインスタントコーヒー。 元々 甘いコーヒーが好きな母は 家では牛乳にインスタントコーヒーを溶いてカフェオレを作っていた。

 支援員さんに それを頼むのは申し訳なかったので、私が『インスタントコーヒー・グラニュー糖・粉末クリーム』を混ぜて作った物を定期的に継ぎ足してた。(真ん中の瓶)

右奥は 家でブレンドしたものを入れて持って行く容器。 奥はグラニュー糖を加えたミルクティ。

これらは もったいなくて捨てられないよねぇ~。

って事で 私がせっせと飲んでます。 甘い甘~い。

 

 母の服は お洒落で高価な物は義母に着てもらう事にした。

グループホーム・特養では 全自動洗濯機と乾燥機に耐えられる安価な物を買い足してた。 下着も靴下も その度に 一つ一つ 私が名前を書いたなぁ。

 洗濯でヨレヨレになった下着やトップスは たくさん捨てた。 

この2週間、大きなゴミ袋 いくつ出しただろう。

 

 それでも まだ 捨てられない物がいっぱい残ってる。

 

 

 今日も アルバムからの2枚をご覧ください。

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 白黒写真しか見た事が無いので、このスカートが黄色い柄だったと思うのは私の記憶なんでしょうね。

もちろん母が端切れを買って縫ってくれたもの。

白いブラウスは 還暦になった私が まだ大好きなパフスリーブ。

「こ~んなに ちっちゃくってね、ミシンがかけられないから、袖だけ お母さん手縫いしたんだよ」と 写真見ながら いつも母が説明してくれた。

 私が子供を産めたら、きっと母は孫にたくさんの洋服を縫ってくれただろうなぁ・・・認知症も発症しなかったかもしれない。

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 伊勢湾台風の被災地だった南区から 3年後 中区へ引っ越す時の写真。

丸いバッグは赤だったと思う。向こう側には黒いアップリケみたいな模様があったように思う。

 

 ひとまず「愛しい人」は 終わりますが この先も 母の事を思い出したら何か書くと思います。

 

 

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