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2020年5月20日 (水)

母の一周忌

 もう一年たったんだなぁ…。

「大切なお母様を送って 寂しくなったでしょう」と寄り添ってくれる人もいるけれど、寂しさは一度も感じてない。

大好きな母と ちゃんとコミュニケーションがとれたのは、6年以上前だもの。

老人性難聴の母と要約筆記のノートテイクを駆使しながら会話はできても、認知症も進み だんだん会話が成り立たなくなったのは10年前くらいかなぁ。

 嬉しい事を報告すれば「良かったねぇ~」「さすが ゆうこ!」と顔をほころばせてくれた。他人なら『そんな事を自慢げに…』と苦笑されかねない事も 母は自分の事のように喜んでくれた。

 辛い報告をすれば、息をのんで絶句してから「がんばろ。お母さんも頑張るから」と。

母がそういう反応をしてくれなくなった頃から『お母さん』は、居なくなってたもの。

 

 認知症の進行と『老いへの抵抗』で 不条理な怒りをぶつけられて辛かった数年間を経て、母は大きな赤ちゃんになった。

施設のお世話になって 私の肉体的負担は無くなり、母との穏やかな時間を慈しむ事ができた。

 2019年年明けに大腸癌が見つかり『積極的な治療はせず、枯れていくのを静かに見守る』選択をした。

施設の支援員さん達と意思を確認しあい、同じ思いを持って介護していただけたのもありがたかった。

 

 最期の日…電話を貰って施設に行くと、支援員さん達に囲まれたベッドの上で母は目を見開いていた。 初めて見る母の顔だった。

でも苦しそうではなくて。

 ベッド脇に座って手を握り、母の顔に顔をくっつけて「おかあさん、ゆうこ来たよ。安心して(逝っていいよ)」と呼びかけると、母の眼が動いて私を見た。

本当に『私を見た』と思った。

 目を閉じて、数分後、いつ逝ったのかわからないくらい静かに 母は息をひきとった。

映画やドラマでよくみる『〇〇が来るのを待ってた』って 本当にあるんだなと思った。

支援員さん達が「母桃さん! もうすぐゆうこさん来ますからね。頑張って!」と ずっと声をかけてくれていたからだよね。

難聴でほとんど聴こえないはずの母だけれど、支援員さん達の真心がちゃんと聴こえてたんだろうな。

私の顔も名前も忘れてしまってた母なのに その時だけは「ゆうこが来るまでは死んではいけない」って思ってたんだろうな。

目を閉じたら死んでしまうからと 必死で目を見開いていたんだろうな。

 そして到着した私を見て『あ、ゆうこだ』と思ったのかどうかは分からないけど「お母さん! ゆうこ来たよ! 安心して」を聞いて、顔を見て確認したんだろうな。

 ほんとにゆうこかなぁ? と思ったかな。

 グループホームに入所時、私の事が分からなくなり始めた頃は「ほんとにゆうこ?」「ゆうこは そんな顔してない」って言われたもんね。 その頃の母の中では『ゆうこ』は、十代のままだったんだろうね。

 

 最期の時 「あ、ゆうこが来たんだ。もう死んでもいいんだね」と決めたんだと思いたい。

 

 最期の日から数日、サラサラの涙をたくさん流した。

 

 この一年、いろんな場面で『施設入所後の母』との事を思い出してた。

 

 この頃は もっと前の『頼れる母』の事を思い出すようになった。

母が今の私の年齢の頃は 今の私とは比べ物にならないくらい元気で活動的だった。

 私が二十歳で全身性エリテマトーデスを発症し、自宅療養中 2人で料理や買い物もしてたけれど、週末 早朝から仕事に出かけていた母を 私は それほど助けてなかった事に 今頃 気づく。

 自宅療養中とは言え、寝たきりだったわけじゃないんだから、週末の二日間くらいは『家事全般 私に任せて』ってすべきだったよねぇ。

 

 母が元気だった頃から『私は母に感謝してるし、その想いをちゃんと言葉でも伝えている』って自負があったけれど、もっともっと行動で示す事できたよねぇ。

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