母の老い

2018年9月28日 (金)

母の声

 先日、母の居る特養に行ったら、支援員さんが
「母桃さんの声 久しぶりに聞きましたよ!」と報告してくれた。
 朝、いつものように起こしに行って 耳元で大きな声で「母桃さん おはようございます」と言いながら、体を起こしたら(聴こえなくても 何かする時は必ず声をかけてくれる)「ありがとう、ありがとう」と言ったんだって!
 続けて「朝ごはん 食べますか?」と尋ねたら「朝ごはん 食べましょうかね」と答えたって!
 もうそれを聞いた時の私の嬉しい驚き☆
「え~~~ほんとですかぁ~~~! え~~~! え~~~~!」と 両頬と口を抑えながら 顔が笑ってしまう。
 お母さん なんで? 錆びついてた頭の回路が突然クリアになったの?
 この支援員さんの声は、以前から母には聞こえやすかった。
でも こうしてちゃんと問いかけの意味を理解して答える事ができたとは!
まだ日本語をしゃべる事ができたとは!
 日常的に聞こえない母は 言葉が頭に届く機会もほぼ無い。ただでさえ記憶できなくなってるから、使わなかったらどんどん忘れてしまうはず。
 認知症になっても 昔の事は覚えてるから、そこは大丈夫なのかなぁ。
 へぇ~~~ちゃんと話せたんだ~~~☆☆☆
 そして支援員さんの話は続く。
「私も久しぶりに母桃さんの声を聴いて嬉しくなっちゃって、今日もチャレンジしたんですけど、今日はダメでした」
 
でしたか。 (*´∀`) あはは
 
 母が入所した時に居た支援員さん達も 施設内の異動で変わり、先月はSさんという男性支援員さんが別の棟へと異動になった。
 入所当時独身だったSさん、途中で結婚し、子どもが生まれ、今月は第二子が誕生した。
スラリと背が高く穏やかな話し方でいつも優しく微笑んでいる。
 ある晩、介助に入室したSさんを見上げた母が「あんた、いい顔してるねぇ」と言ったそう。
母は昔からハンサムで清潔な男性は大好き。
 ここに入所した頃には もう男女の区別もつけられなかったけれど、無意識に「好きなタイプ」は残ってたらしい。
 私がおやつを食べさせている時も Sさんがそばを通ると 目で追う事があった。
 久しぶりに母の声を聴いたUさんが話の中で 「Sさんは、母桃さんの事 大好きなんですよ~」
はい^^ 母もSさん大好きです。
 そのSさん、異動にはなったものの、自分の勤務時間の前に母の所へ来て 昼食を一緒に食べたそう。(一緒に食べると言っても 介助なんですけど)
 言葉も出ないからお礼も言えない しわくちゃの赤ちゃんみたいな母を「大好き」と思ってくれる若い男性が居てくれるのも 私は嬉しい。
 さて、この先 母の玉音を私は聞く事ができるんだろうか?

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2018年9月 4日 (火)

お気に入りのお菓子と母

 いきなりの商品写真。
 メーカーの関係者のブログじゃありませんよ~。

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 もう2年くらい これ 私のお気に入り。

備蓄お菓子の中でも 欠かしたことが無いかもしれない。

 程よい塩加減と軽い食感。 甘いものを食べた後 口の中をさっぱりさせるのに最適。

そして さっぱりした口で、また甘いものに戻る→またこれを食べてすっきり→甘いものに戻る→→→ご想像通り。

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 小袋包装されてるので、外出のお供にもぴったり。(持って行くのよ)

 これ一つ(2枚入り)で36㌔カロリーなのも、ちょっといい(…ように錯覚する)

あまりのおいしさに止められず 5袋食べても180㌔カロリーだし!(威張るとこじゃない)

 ポテトチップスよりは低カロリーなんじゃないかと思ってるんだけど…。

 さて、これは母にも好評(と 私は思っている)

 小さく割って口元に持って行くと サクサクサクサクッと 前歯で噛む。

この歯ざわりや口当たりが 多分 母には楽しいんだろうと思う。

普段 母は細かく刻んだ柔らかい食事をしているので。

 大きな赤ちゃんになってしまった母だけれど、不思議に食べる時は ちゃんと口を閉じて お上品に咀嚼する。

 サクサクサクの後は、口の中でもぐもぐして ごっくん。

そこを見計らって 甘いミルクティなどをストローで吸わせる。

 ゴクンゴクンと喉が動く。

 塩っ辛い物と甘い飲み物 美味しいよねぇ~~私も大好きだもん。

 飲み物を飲んでむせた時も 絶対に口を開かないようにこらえてくれる。

 ストローを口からはずすと 唇を軽くすぼめて突き出したり、おちょぼ口で開いたりする。

これは「もっとちょうだい」の印。

 『もっとちょうだい』は、私が嬉しい瞬間でもある。

 可愛く開いた口元に またこの煎餅を持っていくと サクサクサクッ。

親の仇に会ったかのように、眉根を寄せて噛む時もある。美味しくて夢中なんだろうと想像する。

 そんな母は、先日 私が行った時、施設に来てくれる美容師さんにカットしてもらい、その後 入浴してサッパリしてお昼寝中だった。

 めめちゃん(以前 ブログでご紹介)を抱っこして眠る姿が可愛くてパチリ。

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実は自分では寝返りも打てないし、めめちゃんを抱っこするのも無理。

支援員さんが たくさんのクッションやパッドを当てて、体の向きを何度も変えてくれてて、めめちゃんも その中で抱っこさせてくれたみたい。

 胸の上に そこそこの硬さのあるめめちゃんを乗せてると苦しくないかなと思うけど、安らかな寝顔してるし、規則的な寝息も聴こえるので大丈夫そう。

 ちょっと前には 施設のお揃いの花柄の枕と掛布団に埋もれて眠ってるのが清潔で華やかで可愛くて 撮影した写真を 従姉に送った。 

 『死んでるんじゃないからね~』と 添え書きも忘れずに。

 

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2018年6月 2日 (土)

「お母さん!」

 
 週に一度の母との時間。
 真っ先に側へ行って「お母さん」と呼びかけるも 反応が無いのはもう慣れっこ。
 
 ところが、先日は違った!
 
 正面に回った私をじっと見て
「ゆうこ~久しぶりだねぇ~」とでも言いそうな表情をした!
「どこかで見た人だねぇ~」レベルなのかもしれないけど、無表情・無反応に慣れた私には、母の声が聴こえてるくらいの衝撃だった。
 
 思わず私は 母の手を握り「お母さん! どうしたの~!」
それには答えず、でも柔らかな表情のまま 私を見る。
 今にも何か言いそう。
 支援員さん達に「今日の母はなんか違う。私が分るみたいな顔してる。こんな顔、久しく見てない」と知らせる。
 『母との魂のコンタクト』は数分間で終わり、おやつを食べさせる頃には、いつもの無表情に戻った。
 私をじっと見てくれるだけで満足なんだ。
 支援員さんが
「母桃さんは お幸せですよ。 毎週 娘さんが来てくださって」
 
毎日 ご家族がいらしてる人もいるんだけどね。
「お二人の姿を見てると微笑ましいです」
 それはとっても嬉しい!
 
 おやつを食べさせ、後片付けや部屋のチェックを済ませて帰る時の事・・・
 いつものように手を握りながら、聴こえないながらも耳に口をつけて「お母さん、また来るね!」と大きな声で言う、
 すると…母がまた私をじっと見て(これは 時々ある) 握ってた手にも若干力がこもった。
 母の目が潤んでる。
 これもアレルギーだったり、眼病だったりで、潤んでる事は時々あるんだけど。
口元をへの字にして、泣くのをこらえているように見える。
「お母さん どうしたのぉ!?」
 なんか・・・後ろ髪ひかれるよ。 無表情な事が多いから、いつもあっさり帰ってこられるのに。
 するとTさん(頭がしっかりされてる利用者さん。いつも私と会話する)までが
「もう帰られるの? もうちょっと居てあげて」と。
 え~何か感じるのかな?
 何度も母の手を握り直し、背中や肩をなでて「また来るね」と言ってみるけど、相変わらず泣くのをこらえているような母。
 支援員さんにお願いして帰って来た。
 何か母は感じてたのかもしれない。
「私を置いてくの? 一緒に連れてって」と思ってたら可哀相。
 
ずっとぼんやりしてた思考の中に『ゆうこ』が 浮かんできたのかもしれない。 刹那の事ではあっても、久しぶりに母とコミュニケーションがとれた気がした。
 それは寂しくもあり、嬉しくもあり。

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2018年2月 9日 (金)

甘酒を母に

 ここ数年、甘酒が静かなブームのよう。
 私はあまり好きじゃないので買った事が無かった。
 
 先日、ふと思いついて特養の母に缶入りの甘酒を買って行った。
 小さめのコーヒーカップに半分くらいを移してレンジでチン、熱すぎてもいけないので、ちょっと味見して火傷しないのを確認してからストローを入れて 母の口元へ。
 
 不思議にストローを口にするとちゃんと吸うのよねぇ。
 程よく熱い液体が母の口に吸い込まれていくのがストローを支える私の指にも伝わる。
おぉ 良い勢い。
 母も喉をごくごくと鳴らす。
 むせると困るので、ちょっとストローを外す。 ごくんとしてから、母が口を可愛く開く。
ああ、もっと頂戴って事だ。
 用心深くストローをまた母の口に。
 
 カフェオレなどを飲ませると3分の1から半分くらいしか飲まないのに、甘酒はあっという間に小さなカップを飲み干した。
 
 母は、甘酒が好きだったなぁ…。
 昔 母は酒粕を買って来て、(多分)ご飯粒を入れて小さな鍋で煮てた。父も好きだったのかもしれない。 ご飯粒を入れるのは 父の発想のような気もする。
残念ながら子どもの私は 全然好きじゃなくて、ストーブの上に甘酒の小鍋が載ってると「うぇ…今日のおやつは これか…」な感じだったと思う。
 
 母の記憶は衰えても、甘酒が好きだったのは まだ残ってたんだね。
その後、続けて缶入り甘酒を持って行き、先日は、固形の素を買ってみた。 フリーズドライの素をカップに入れてお湯を注ぐだけ。
味は同じだし、この方が鮮度が保てていいかな。
 甘い物の後には塩辛い物が欲しくなるから 小さな塩味の米煎餅をさらに小さく割って口に運ぶと これまたポリポリサクサクと良い音を立てて噛み砕く。
 そして甘酒をこくこく。
 
 うん、この組み合わせは良いわ。
 
 2年前なら「ゆうこぉ~ これ 美味しいねぇ」と言ってくれたかな。
・・・2年前だと「おいし! おいし!」だけだったかな。
 
  その日は、母のバッド交換にも立ち会った。
母の居る特養はオムツは無しで、施設が準備した伸縮性の高いパンツをはいて 支援員さんがパッドを交換してくれる。
 慣れた手つきで汚物を処理し清拭してくれる。
 本当にありがとう。
 
  その時 母の膝が曲がらなくなっている事に気づく。
それまでは、寝てる時や車椅子やソファーに座ってる時 母はいつも膝をきゅっとくっつけてて『お上品だこと』と 娘は呑気に思っていた。
 そしたらね…「膝の拘縮が始まってるんですよねぇ…仰向けに寝てる時 無理して伸ばせば伸びなくは無いんですけど」と支援員さん。
 そっと足を伸ばしてみたら・・・完全には伸びなかった。
 
 私も股関節の手術後、動きを規制されてるので、動かし始めた時は 手術とは無関係な関節が固まってて動かすと痛かった。
 
 ああ、母はずっと寝てるか座ってるか…だったから、膝の関節も固まってしまったんだなぁ…。
 
 認知症が始まりかけた頃でさえ「歩かないとボケるから」「歩かないと足腰が弱るから」「今日は40分歩いて来た」と 近所の散歩を欠かさなかった母だったのに…。
 
 手指のマッサージだけじゃなく、次からは膝を温めて動かしてやらないと。
 
 …自分の股関節が思うようにならないのに 母の心配ができるなら、私もまだ大丈夫かな。

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2017年12月11日 (月)

「しゅき~♥」

 先週は、母の特養の大掃除で、いつもは週に一度のところ2度 行ってきました。
 
 近頃、母は 薬を減らしたお陰で 夢の中から多少 覚醒しているようす。
 
 私がキッチンで洗い物をしたり、洗濯物を畳んだりしていると、じっと見てる^^
 ちょっと離れた所から、パッと母を見ると目が合う。 
 私を見てたんだ~~~♪と 嬉しくなる。
 
 おやつを食べさせたり、手足をさすったりしている時、上半身をぐ~っと近づけてくる事は 前から時々あった。
 そして頭を寄せてきて、おでこをくっつける。 それは すっごく可愛い・・・と私は思うんだけど 親馬鹿ならぬ娘馬鹿かしら。
 
 その『おでこくっつけ』が 近頃 頻度を増して来た。
母が頭を寄せて来ると、私もおでこをくっつけやすいように構えてじっとしている。
果たして母のおでこがくっついてくる。
2人でおでこをくっつけたまま じっとしている。
 支援員さんに「これ、なんか可愛いんです~」と言うと「あ~母桃さん、よくそうやってくれるんですよ」と。
 
 あら、私だけじゃないんだ。
 でも 支援員さん達にするって事は もしかしたら母の親愛の表現なのかもしれない・・・と気づく。
 支援員さん達が シモの世話から日常の何もかもをしてくれて、ありがとうって気持ちを表してるのかも(一番 覚醒してる朝は、着替えの時に「ありがと」と言う事もあるそう)
 で、私の事もその一端を担っていると認めてくれたんじゃないか・・・。
 
 そう都合よく解釈すると、おでこをくっつけてくるのは 母の「好き~♥」というボディランゲージに思えてくる。
 
 この半月、元気な母の夢を2度みた。
 
 一度目は実家に居て、少々 頼りなさげではあるものの、母はちゃんと歩いてた。
『あ~家に帰れば歩けるんだ~』と思った。
 二度目は、特養の母の部屋へ行くと、母が「ゆうこ? 久しぶりだねぇ~」とほほ笑んだ。
『あ~私の事 わかったんだ~』 すごくすごく嬉しくて こんなにしっかりしてるなら、車椅子で買い物にも連れ出せるなぁと思った。
 元気な母・・・と言っても、本当の昔の母ではなく、グループホームに入所してアルツハイマーの症状が進行しつつあった頃の姿。
 
 施設に入れなければ、足は弱らなかったかも・・・と思うけれど、グループホームに入所しなければ同居の弟が壊れただろうし、私も通うのが大変だった。
 
 母の足をダメにし、もしかしたら認知障碍の進行を早めたのかもしれないけれど、施設入所を私は後悔していない。
 弟と私の日常を守る為に きっと母は望んでくれた・・・と思ってる。
 勝手な思い込みかな。
 でも 何一つ自分でできなくなり、私の事さえわからない母を愛おしい可愛いと思えるのは、施設でお世話になってるからこそ。
 
 都合良く解釈した「しゅき~♥」を信じてる。
 
 

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2017年11月17日 (金)

母の表情

 特養に入居して1年半が過ぎようとしている。
 
 もうこの2年くらいは、母とコミュニケーションをとる事が無い。
 いつも無表情で動かない母に慣れてしまった。
 
 それでも じっと母を見つめていると微妙な表情の変化を感じる時がある。
 ある日は『ゆうこ、なんで こんなところへ入れたの!』って怒ってるのかな・・・と思った。
 また、別の日は 泣きたいのを必死でこらえてるように見えた。
 可哀相で切なくて私が泣けてきた。
 私自身のその日の心理状態が そう感じさせるのかなぁ。
 
 泣きたいのをこらえてるように見えた日は、昼食時間だった。
 多くの入居者さん達は、テーブルにつき、多少の助けを借りながらご自分で食事されている。
 母は 刻み食で全介護なので、皆さんが食事を終えてから・・・となるらしい。
 皆が食べてるところから ちょっと外れたテレビの前で座って、何もわかってないだろうとは思うけれど、もしかしたら『みんなご飯を食べてるのに私だけもらえない』と思ったのかもしれない。
 もしそうだったら・・・可哀相でたまらない。
「私だけ ご飯まだよ」とも言えず、このまま貰えないのかもしれないと思ってるんだとしたら・・・。
 テーブルが空いて、私が刻み食を食べさせたけれど、口をぎゅっとすぼめて『食べない』意思を見せる。
 かぼちゃの煮たのなんて、味見してみたらすごくおいしいんだけど。
 デザートのプリンは食べたので『食べたい物は食べる』だとしたら それはそれで嬉しくもある。
 帰宅して「もしかしたらご飯やおかずが冷めてたから嫌だったのかもしれないな」と思い至る。
 
 薬が効きすぎてぼんやりしているのかもしれないので、支援員さんや常駐の看護師さんと相談して、薬を減らしてもらった。
 二週間くらいすると 薬を減らした効果が表れる。
 先日は「ご自分で動かれましたよ」「食欲も出てきましたよ」と 教えてくれた。
 
 この日は、少しでも温かいものを食べさせたくて。焼き芋を買って行った。
 キッチンの電子レンジで更に温めて、小さく切り、母の口元へ運ぶと・・・食べた。 もぐもぐしてる。
 もぐもぐしてるだけで嬉しい。
「おいし~い?」 大きな声で聞いてみるけれど、当然 返事は無い。
 でも 次の一口を持っていくと 口を開くので 美味しかったんだね。
 
 そのうち、母が目を大きく見開いて私を見た。
私を見てくれてるなぁ・・・。 誰かはわかってないでしょうけど。
 
 そして ふと気づく。
 
 ああ、この顔は「ゆうこ~ これ美味しいねぇ~!」と 二人で美味しい物を食べてご機嫌に言う時の母だ!
 そこまではっきりした『嬉しい顔』では無いんだけれど、怒ってるみたいや泣きそうに見える顔ではない。
 
  笑った顔が見たい。 声が聴きたい。 「ゆうこ」と呼んでほしい。
 時々、そんな思いが湧くけれど、親身になってくれる支援員さん達に 何もかもお任せできて、綺麗な施設で栄養のある食事をとらせてもらえる今が幸せなんだ・・・とも思う。
 母を任せておけるから、私も母に優しくできるんだしね。
四六時中 母を見てたら、私が壊れてる。
 

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2017年10月18日 (水)

母のお仲間

 
 母が去年6月からお世話になっている特別養護老人ホームは、要介護3以上の人が対象。
 
 中には運動機能の衰えで入居されている方もみえるけれど、ほとんどは認知機能が低下してらっしゃる。
 
 それでも個人差があり、お部屋に冷蔵庫やテレビも入れて『食事の支度や洗濯・掃除をしなくて良くて私も入居したい』くらいの 優雅な生活をしてる方もみえる。
 
 大勢のお年寄りが一緒に暮らせば起こりそうな入居者同士の諍いが無い(私は見た事がない)のは、やっぱり皆さん、認知機能が低下していて人様の事が気にならないからかなぁ・・・とも思う。
 
 そんなお仲間さん達の中で、Tさんは 私の事を認識してくれている。
 支援員さんと区別がつかなくて「お姉ちゃん、トイレに行きたいんだけど」と声をかけられる事もある中で、Tさんは 私を見るとにこっと笑って
「よぉ 来てくれたねぇ。この方はお幸せだねぇ」と いつも言ってくださる。
 支援員でなく家族だって認識してくれてる。
 
 母におやつを食べさせていると、いつも隣に来て(普段から、食事の時は母の向かい側に座って、母のお世話をしてくれると支援員さんから聞いている)おしゃべりをする。
 
Tさんが私にかけてくれる言葉。
①毎日 よくやってくれるわねぇ。
(週一でしか来てないんだけど、毎日来てると思われてる)
②貴女は親孝行の優しい娘さんだねぇ。
(でも時々「この方は 貴女のお姉さん?」と尋ねられる事も)
③親は一人しかいないから、命ある限り、来てあげてね。
④失礼だけれど、貴女はご結婚は?
→結婚してると答えると
⑤ご主人も優しい人なんだねぇ。 ご主人の理解がなければ、貴女もここには来られない。
(毎日来てると思ってるからね)
⑥ご主人は素晴らしい人。 失礼だけれど、こんなお母さんがいるのを承知で結婚されたんだから。
(結婚した時は、母はまだ認知症じゃなかったけどね^^)
⑦ご主人にも感謝してね。 ご主人のご両親も大事にしてあげてね。
⑧お母さん、こんな風になってしまって・・・可哀相で・・・と泣く。
 
これらの組み合わせが変化しつつ、ほぼ毎回 こういうやり取りをする。
矛盾したり、実際とは違う事も、私は「はい」「そうですよね」「ありがとうございます」と 毎回 答える。
 
  Tさんの眼差しや笑顔や言葉が 私には嬉しい。
 
 そして、数年前の母だったら、Tさんとは とても良いお付き合いができただろうと思う。
 そんな想いをTさんに伝えるんだけど、少々 難聴も進んでいる様子で 長いセンテンスは通じてないのがわかる。
 
 それで先日 お手紙を渡した。
「読んでいいかしら?」
「はい、読んでください」
 
 読み終わると涙ぐみながら「ありがとうねぇ」と 手紙を封筒にしまった。
その封筒を膝の上のタオルに挟む。
 あ~忘れちゃわないかな・・・タオルと一緒に洗濯されちゃわないかな・・・と、一瞬思うけれど、すぐにタオルから封筒を出して
「これ、読ませてもらっていい?」と。
 私が手紙を渡した事は覚えてるけど、今 読んだ事は忘れてるのね。
 
「はい、読んでください」
「まぁ・・・」と感嘆の声を漏らしながら読み終えて 2回目の「ありがとうねぇ」
 
 以前から、母の名前、私の名前は おしゃべりの中で何度も口にしてたけれど、手紙を読んで初めて
「私の妹とお母さんは同じ名前」
「私の上の娘は あなたと同じ名前」と教えてくれた。
「すごく不思議なご縁ですねぇ!」と また会話が弾む。
 
 一週間後、支援員さんが「ゆうこさんがTさんにくださったお手紙を娘さんが読まれて、感謝してましたよ。 お会いしたいって おっしゃってました」と。
 あぁ…ちゃんと娘さんにも見せてくれたんだ。 支援員さんが無くさないようにして渡してくれたのかもしれない。
 
 ここ3週間続けて母におやつを食べさせることができてない。
一度はずっと寝ていて、どうしても起きなかった。
二度目は、車椅子でリビングのテレビの前に居たけど、おやつを口元に持って行っても どうしても口を開いてくれなかった・・・。
 支援員さんから「お昼から開いてくれないんですよ・・・」と聞かされた。
今までにも時々こういう事はあった。
 歯が痛いとか、喉が痛いとか、何か食べたくない事情があるんだろうな。
でも表現できない・・・可哀相な母。
 
その後、施設に問い合わせて「ちゃんと食事されるようになりました」と聞いて安心したけど、昨日は また車椅子に座ったまま 目も口も開いてくれなかった。
 ストローでお茶を飲ませようとしても、吸い上げなくなった・・・。
「お昼はお好み焼きを一枚 召し上がりましたよ」なので、お腹がいっぱいだったのかなぁ。
 こうして『おやつを食べさせる』事さえもが どんどんできなくなっていくのかもしれない。
 
 目をつぶっていても、眠っているわけでも無さそうなので、手指をマッサージしたり、腕を上げ下げさせたりする。
 触れている私の指を急に握る・・・ああ、まだこれくらいの力はあるんだ。
 アルツハイマーを発症して、まだらボケだった頃、母は私が触れると
「年寄り扱いしないで」と嫌がったけれど、今はされるがまま。
 それを良い事に、私は母にいっぱいいっぱい触れる。
 嚥下障害を起こさないように、歯医者さんが定期的にケアに来てくれるので、私も母の頬や口元をマッサージする。
 母の頭を抱きしめて、もう一方の手で母の手を握る。
 
 Tさんが そんな私たちを見て また「こんな風になってしまって可哀そうに。だけどあなたが来てくれるから この方はお幸せ」と涙ぐむ。
 
「もう私の事もわからないんですけどね」と答えると、Tさんも支援員さんも
「絶対に分ってますよ」と口をそろえる。
 
 聴こえないであろう母の耳に口を寄せて
「お母さん また来るね」と大きな声で言い、Tさんにも手を握って「お元気でいてくださいね。お邪魔しました」と伝える。
 「ご苦労様でしたね。また来てやってくださいね」とTさん。
 母との時間は あとどれくらい残されているんだろう。

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2017年8月29日 (火)

刹那の幸せを重ねて

 
 
  母が「要介護5」になりました。
 
今は 特養でお世話になっているので、私自身の負担は 数年前の要介護2の頃の方が大きかった。
 
母に認知障碍の兆しが見え始めたのが平成8年頃。
 
 老化による衰えと それを認めたくない母のプライドと向き合って 『母大好き』な私は 何度も何度も泣いた。
 
毎週、実家を訪れて片づけや郵便物の整理、食事の世話、歯医者と内科の通院などをし
「私はそんなにボケてない」(ボケてるなんて言った事ないんだけど)
「ゆうこに監視されてるみたい」
「有難迷惑」と 毎回 言われた。
 
 以前の母なら ちゃんと説明して話し合えただろうし、納得すれば感謝さえしてくれただろうに、もうそれは無理だと思うから反論もせず帰宅する車中で泣き、仕事から帰った夫に話して泣き…。
 
そんな数年間を経て、デイサービス→グループホーム→特養と お世話になる施設がステップアップ(?)していった。
 
 2015年末には 私の事もわからなくなった。
 
 それでも、私の『覚書帳』の中には、母とのささやかな嬉しいコミュニケーションの記録が残されている。
 
グループホームに入所して、実家の家事から解放されてからは、私に 母との時間を楽しむ心の余裕もできた。
 本来の『仲良し母娘』の再現もあった。
 ホームのリビングにいる母は私を見つけると満面の笑みで手を振り、職員さん達に「これ、私の娘なの!」と自慢気に紹介してくれたなぁ。
 車に乗せて喫茶店へ毎週行った。
「私ばっかり幸せで お父さんに申し訳ない」と助手席で言う母。
「こんなお母さんでごめんね。ゆうこに苦労かけるねぇ」とも。
 
数年前までの しっかりした母と比べたら『なんでこんな風になってしまったの』と思いたくなる状況だったはずだけれど、私は一度もそう思わなかった。
 
 『この状態が最高なんだ』と いつも思ってたから。
 
 認知障碍は どんどん進んでいくから、ノートテイクの会話が何とか成り立つ事も、自分で食事ができる事も、グループホームのお仲間の悪口(自分が聴こえない自覚が無いので「あの人は挨拶しない」など)を言う事も、全部がありがたかった。
 
 予想通り、私の事を忘れ、母の口から意味のある言葉が出なくなり、歩けなくなり、食事も口まで運んでやらないと食べなくなり、表情が無くなり・・・枯れ木のような大きな赤ちゃんになってしまった。
 
それでもね、毎週 母の所へ行き、おやつを食べさせる時 『いつか寝たきりになって、流動食しか摂取できなくなる時がくるかも』と思うから、スプーンに噛みつかないように絶妙なタイミングで抜き取りながら それができる事が幸せだと思える。
 
 母が愛しく可愛らしく思える。
 
無表情で何を見てるのかもわからない母が 時々、私をじっと見る瞬間がある。
『見てる』のか『たまたま視線が向いた』だけなのか定かではないけれど、私には『私を見た』と思える。
 「おかあさん!」と思わず呼びかけてしまう。
もちろん反応は無いけれど…。
 
母の手をとって手遊びをしていると、車椅子から そっと上半身を傾けてくる事もある。
そんな瞬間がたまらなく嬉しい。
 
上半身を傾けてきた母に私が顔を近づけると、そのまま顔を寄せて来る。
 
 私のおでこに 自分のおでこをそっとくっつけてくる。
 
 おでこをくっつけたまま、私も焦点の合わない目で母を見ると、無表情ながら母の目も私を見てる。
 「おかあさん、なに? なぁに?」
 もちろん答えは無い。
 
特養で母と過ごす時間の中の ほんの数秒間のふれあい。
 これも次回にはあるかどうか分からないから大切な出来事。
 
刹那の幸せを重ねて、母の認知障碍は間違いなく進行していく。
だから私は『今の幸せ』を大事にしたい。
 
『刹那の幸せ』も 一年後、もしかしたら数ヶ月後には『温かい大切な思い出』になるんだから。
 
 
 
 
 

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2017年5月12日 (金)

母の魂

 
 いつものように 特養を訪問して 母に、おやつを食べさせていた最中 母がふいに上体を傾けて、私の顔に自分の顔を寄せて来た。
 
 昔、ちょっとした内緒話をする時 こんな感じだったなぁ。
 
 思いがけない行動に驚きと懐かしさを感じ、私も手を自分の耳に添えて『内緒話を聴く』動作をしてみた。
 母の口から出たのは「ごあん」  久々に聴く母の大きな声。
 
 私が怖い夢をみて大声で叫ぶ時みたいに 言葉は不明瞭だけど、必死さだけは感じる。
 
「ご飯」なのかなぁ…「ごめんね」と言いたいのかもしれない。
 
 母と一緒に過ごす時、母の眼尻からよく涙が滲んでいる。
透明な目ヤニなのかもしれないけれど、もしかしたら母の涙なのかもしれないと想像する時もある。
 
 支援員さん達は「いつも娘さんが来てくださるから、母桃さんは お幸せですよ」と言ってくれるから、母は不幸では無いんだと思うけれど…。
 
 先日は、隣の棟から異動(施設内では定期的に異動がある)してきた新しい支援員さんが
「母桃さんは、ここの支援員にすごく好かれてますよ」と教えてくれた。
 
 シモの世話から食事の介護、何から何までお世話にならないといけなくて、耳も聴こえないし、言葉の理解ができなくなってて会話も成り立たないし、お礼も言えない母が『好かれている』とは…。
 
 どの方にも平等に親身にお世話をしてくださる支援員さん達。
 
 私が居る短時間にも『あんな偉そうな言い方するお年寄り 可愛くないなぁ』
『認知障碍とわかっていても、あんな態度されたら、私ならもうやってられない!』と感じる場面に遭遇する事もある。
 
 それでもにこやかに穏やかに対応してるのを見て 母にもきっとそうしてくれてるだろうと思えて感謝していた。
 
 
 件の支援員さんは「みんな 母桃さんに一生懸命 話しかけるんですよ」と続けた。
 
 聴こえない無反応な母に話しかけてくれるなんて…。
 
 私が行くと「今朝 起こしに行って 挨拶したら返事してくれましたよ」とか「母桃さん! おはようございます!って しつこく言ったら『わかっとるわ!』って返してくれましたよ」と 毎回 誰かが報告してくれる。
 
 目覚めた時が 薬が影響が少なくて一番覚醒しているから。 
 
「わかっとるわ!」なんてひどい言い方をされた事さえ 愉快な反応として楽しそうに報告してくれる。
 
 …手はかかるけれど、嫌われてはいないんだなと思うと しみじみ嬉しい。
 
 
 そしてお仲間のTさんは この日も私を見るなり満面の笑みで
「よく来てくれてご苦労様だねぇ。 一生懸命 やってあげてね」と おっしゃる。
私が支援員じゃなくて定期的に来てるのを ちゃんと認識してらっしゃるんだよね。
 
 でも ちょっと長く会話してると
「この方は、おたくのお姉さん?」 ひぃぃ…私 何歳に見えるんだろう?
「いいえ、母なんですよ」
「ああ、お母さん。 そうすると おたくはお父さん似だねぇ。 そういえば、この辺りがお父さんにそっくりだわ」 父 知らないよねぇ~(笑
 
「この方は何年生まれ?」
「昭和6年です」
「じゃあ 私の方が上だねぇ。 私 大正15年だから」 母よりは年上だろうと思ったけれど、大正生まれにしては若々しい。
 
 でも すぐに続けて
「干支は?」
「ひつじです」
「私より この方の方がお姉さんだねぇ」と 未年から数える。
そこからしばらくは 母が年上になったり年下になったりの繰り返し。
 
 そしてまた「失礼だけど、おたくは結婚はしてみえるの?」と。 私が未婚かどうか 毎回 気にしてくださる(笑)
 
 Tさんと そんな微笑ましいやり取りをしている時も 母の手をさすり、目尻の涙をぬぐってやる。
 すべすべ(つるつる…かな)の頬を何度も撫でる。
 
 
 シミとしわのある赤ちゃんみたいな母…目尻の涙は母の心なんだろうか…母に叱られた事 一緒に喜んでくれた事 泣いてくれた事 私を愛してくれた事 私は忘れない。
 
 母の魂もきっと忘れてないはず。
 
 切なくて 私も涙が滲む。
 悲しいのとは違う涙。

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2017年3月30日 (木)

やさしさの微粒子

 昨秋、向精神薬を止めた事と類天疱瘡の痒みで、母が暴力的になった。
 支援員さんや 常駐の看護師さんと相談して、薬を再開してもらった。
 お陰で 近頃は すっかり落ち着いた。
 もう私の事もわからないし、声を発する事もない。 
大きな赤ちゃんになった母のところへ 相変わらず毎週通っている。
たまに母が私をじっと見ると、それだけで嬉しい。
 
 車椅子かリビングのソファーに座っている母。 自分で動くことがないので、関節が拘縮するだろうと考え、膝や腕を動かす運動を始めてみた。
 
 私が股関節の手術後、リハビリ室で理学療法士さんにしてもらったように、母の太ももを持ち上げて膝の関節を曲げる。
 
 聞こえてないけど「いっち にー いっち にー」と声をかけながら。
 
 
 続いて、向かい合った両手を繋いで 上下に動かしたり「開いて~ 閉じて~」や「ぐ~る ぐ~る ぐ~る」と回す。
 なんとなく 母がこれを気に入ってるような気がするの。
 
 同じリズムで左右交互に動かしておいて、ちょっとリズムを変えると 最初のリズムのつもりで母の手が動き始める瞬間がある。
 ああ、ちゃんと母もやってるんだ^^ と 嬉しくなる。
 
 ただ、これを数回やると 私が息切れする…とほほ。
箸より重いもの持った事ありませんから~~~笑。
 
 息切れしたら 母の手指のマッサージをして 自分の息を整える。
 そして再開。
 
 入居のお仲間が「いつも ご苦労様だねぇ」と 私に声をかけてくださる。
 
 この施設の入居は要介護3以上。 
おそらく病気などによる身体機能の低下で要介護度が上がってるんでしょう、認知機能に衰えが無さそうな方もみえる。
 
 毎週 リビングでお会いする人には「こんにちは~」「お邪魔します」「お世話になります」と挨拶をする。
 
 
 無反応の人や、支援員さんと区別がつかない人もいるけれど、しっかり対応してくれるのは、認知機能に異常が無い人なんでしょうね。
 
 支援員さんが「Tさんが、母桃さんがパンを食べるのを手伝ってくれたんですよ」とか
「母桃さんのおでこに黒いあざ(真っ白な頭髪の根元に黒い毛が生えてきた)があると Tさんが心配してくれました」とかって 教えてくれる。
 
 このTさん、入居当初から 私によく話しかけてくれた。
「実の娘さん?」
「はい、そうです。そっくりでしょう」
「実の娘はいいわねぇ」
 
 ある時は
「失礼な事を聞くけれど、あなたは結婚はされてるの?」
「はい、してます」
「ああ、それならよかった」
 
 グループホームに居る時も、他の入居のお仲間に「結婚してるの?」と よく聞かれたなぁ。
 母の介護をしてて婚期を逸したんじゃないかと心配してくれてるのかな。
 
 もう一人Nさんも、テレビの前に座る母とよく並んでいて、私がマッサージなどをしてるのを見ながら「この方は幸せだわ」と言ってくださる。
 
 テレビ体操が始まったら、私がNさんを促して 一緒に体操の真似事をする。
それまで「年取ると、できない事ばかりになってしまって、もう嫌になるわ」と 言ってたのが  お顔が 生き生きとする。
 
 小中学校の同級生のお母さんもいらして、この方はお元気お元気。 そして明るい。
私が「○君の同級生」だという事もちゃんと認識してる。
 
 母の事は「この人は 一番おとなしいおばあさん。 いつも じ~っと座っとらっせる」ユーモアたっぷりに紹介してくれる。
 
  病院の個室にいるように、自分の部屋でテレビを見てる人も多いらしい。
なのでリビングでお会いする人は数人で、私は顔と名前を覚えてしまう。
 
 皆さん、穏やかな方ばかりで、母の頭のねじが錆びてなければ きっと良いお付き合いができたでしょう。
 
「すみません。母は耳が聞こえないし、認知障碍でいろんな事がわからなくなってるので、挨拶もできないし、きっと失礼な事をしてると思いますが 許してくださいね」と いつも謝っておく。
 多少は物忘れはあるようで「ああ、この人は聞こえんのかね」と、毎回 新鮮に納得してくださる。
 
 
 母のお世話までしてくださるTさんに、お礼を言いつつ、手を握ったら泣き出された事があった。
 背中をさすったら「ありがとね、ありがとね」と 更に泣かれた。
 
  きっとお寂しいんだろうな…。
 
 施設内は 複数の棟に分かれていて、各棟の玄関の下駄箱の上に 訪問者を書く紙が置いてある。
 
 私が書いて籠に入れる時は すでに数枚が入っているので、複数のご家族が面会にはいらしてる。
 
  毎日みえる方もいらっしゃると聞いた。
 
 TさんやNさんのご家族が どれくらいの頻度でいらしてるのか知らないけれど、もしかしたら私との触れ合いを嬉しいと思ってくださってるのかもしれない。
 
 母と会話が成り立たなくなった今、Tさん達とのちょっとした会話が 私も楽しい。
 
 支援員さん達も いつも明るく元気で感じよくて、母のちょっとした事を報告してくれる。
 
 
 昨日は、常駐の看護師さん(久しぶりに逢えた)が 類天疱瘡の治療に使ったステロイドホルモン剤の減量について、細かい説明をしてくれた。
 
 そして、以前、私が『母への投薬が寿命を縮めても、母が穏やかに過ごせることの方を選ぶ』旨を文書にして渡した事で「私たちとご家族が同じ方向を向けて、良い対応ができます。母桃さんは このところ すごく穏やかなお顔をされてます。 こうして娘さんが来てくれるのがわかるんですね」と言ってくれた。
 
 母の周りには やさしい気持ちが充満している。
 
 
 頑張り屋だった母の末路が認知障碍なんて、不条理だなぁと思う事もあるけれど、こういう環境に居られる事は 母の今までの頑張りへのご褒美なのかもしれない。
 
 
 そして、私も施設からの帰途、やさしい気持ちに包まれているのを感じる。
 
 
 以前 友達が「お母さんの面会に行く事が あなたの癒しになるといいね」と言ってくれたけれど、それを実感する。
 
 
 春の柔らかな日差しの中、やさしいきらきらの微粒子が私の車に降り注いでるような気がする。
 
 
 自分の体の痛みや異常以外にも 気がかりな事・気が滅入る事もあるんだけれど、やさしい微粒子のお陰で 眉間のしわが消え、鼻歌を歌いたいような気分になる。
 
 本格的な春になって、気温が上がると やさしさの微粒子が『暑い熱い悪魔』に変身してしまうだろうけど…。
 
 
  一日でも長く『やさしい春』が続きますように。
 
 
 
 
 

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