母の老い

2019年4月17日 (水)

塞翁が馬・・・なのかな

 特養でお世話になっている大腸癌の母に、先日は肺への転移も見つかった。

母の命の終わりは着実に近づいてきている。

 もう何年も声すら聴いていない母との唯一の交流は 食事やおやつを食べさせる時間。この二ヶ月は ホームの食事を食べなくなっているので 私が行く時は 母の好きな物を買って行って食べさせる。

それすらも、近頃は母が口を閉じてしまい、一時間以上かけて二口をやっと押し込む。

お腹が張ってるのかな・・・口の中が痛いのかな・・・眠いだけかな・・・母の表情のわずかな変化を見守るけれど、わからない。

毎週通う足が重くなる。

 

 それが先週は「便を柔らかくする薬を変えたのが功を奏し、排便が増えて、今朝は食事もされましたよ」と支援員さんから報告を受け、私が買って行ったおやつも3口は食べてくれて、それだけで晴れ晴れと帰宅できた。

 飲み物以外は あまり食べなくなってしまったので、先週からは牛乳を買っていって レンジで温め、たっぷりの砂糖とインスタントコーヒーを溶かした『コーヒー牛乳』を飲ませている。少しでも栄養になる物を摂らせたくて。

 昔から母は 家では牛乳にインスタントコーヒーと砂糖を溶かして作るコーヒー牛乳が大好きだったから^^ そしてそれは私も大好き。

 

 昨日も準備して行くと、支援員さんから『一昨日39.4度の熱』が出て『今日は37.4度になったので、清潔を保つ為に入浴だけした』と報告を受けた。

「お昼はお肉を二口なんとか召し上がりました。お疲れのようなので、お部屋で休んでもらってます」

39.4度かぁ・・・平熱が低い母には40度超えのダメージだっただろうな。

入浴は機械で移動させてくれて、寝たまま浴槽にも浸かり、風呂上りも台の上で寝たまま体を拭いて着替えさせてくれるので、母の負担は少ないはず。

 下半身の清潔を保とうとしてくれて、本当にありがたい。

部屋へ行こうとしたら別の支援員さんが「今 下着を交換してます」

 下着の交換とは・・・母のホームではオムツは使わず、介護用ショーツのパッド交換で対応してくれている。 その交換だから う〇ちしたのね。

 部屋へ行くと、新人の支援員さんに指導しながら交換する顔馴染みのM支援員さん。 部屋は便と尿の匂いが充満。 それでも介助中は 利用者のプライドを守る為に 窓も扉も閉めておくのが ここのルール。

 母は股関節も膝関節も固まってしまっていて、ズボンを脱がせるのも大変。

体をあっち向けて支え、こっち向けて支え、パッドを引っ張り出し、お尻を拭いて・・・薄いゴム手袋を装着しているけれど、途中からは素手になり、新人の可愛いお嬢さんの綺麗なおててに申し訳ない。

 2人の支援員さんも汗がにじみ出す。

やっとズボンをはかせたところで、ベテランMさん(こちらもまだ若い男性だけど)が「シャツも濡れてますね。取り換えましょう」と。

 肘の関節も曲がって固まっている母のセーターとシャツを替えるのも一苦労。

三人がかりで終えた時、Mさんが「お腹がぐるぐる鳴ってますね」と。

「え~~~! またう〇ちするって事~?」と私。

「きっとそうです。う〇ちが出るのは良い事ですから」とMさんは にっこり。

パッド替えたばかりなのに・・・これ、家で自分で看てたら「今 替えたばかりじゃん!」って 絶対に怒れてくるだろうな。

私の「え~ またう〇ちするって事~?」には困惑のニュアンスがありありだったのを Mさんは察して「良い事」とにっこりしてくれたんだよね。

 

 支援員さん達が汚れ物を持って退室し、窓を開けて換気。

 温めたコーヒー牛乳を飲ませる。

 目を閉じたまま、ストローを上手く唇に挿しこめば吸う。 ごくんと飲み込む音。 何度目かにはむせた。 母の口から発する音を久しぶりに聞いた気がする。

 頬が少し赤く触ると熱を感じる。37.4度は 母には38.4度くらいで しんどいんだろうなぁ。

熱があるから水分補給はしないとね。

 

 食事量は激減してるけれど、その分を栄養ゼリーのような物で補ってくれている。

『終わっていく命』を支援員さん達も私も静かに見守る事で一致している。

 無理な延命はしない。

 

 これが10年前の母だったら・・・意思疎通もできたし、活動レベルも普通だったから、発熱でぐったりして無口になっただけで、こちらは悲壮だっただろうな。

 もう何年も『言葉を発せず ほとんど眠っている母』にも慣れているから この状況でも受け入れられるんだろうな。

 

 仕事とは言え、家族のように母を看てくれる支援員さん達にも恵まれ、母は幸せ・・・だよね?

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2019年3月22日 (金)

母との残り時間

 特養の母に大腸がんが見つかって一ヶ月が過ぎた。
 冬枯れの景色の中、駐車場の入り口の花壇にクローバーがこんもり。ちゃんと春が来てる。
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 1月の時点では食欲もあり『なんで この状態で大腸癌?』と思った。
私がスプーンを口元に持っていくと ひな鳥のように口を開ける母が愛おしかった。
近い将来、食べられなくなる時が来るのを覚悟しているから、その瞬間も幸せだと思えた。
 ・・・ここ3週続けて、母の食欲が無い。
最初は「午前中にお風呂に入っていただきました」の午後だったから、心地よい疲れで眠いのかなと思った。
好きなお菓子を口元に持っていっても口を開かない。
 ぎゅっと唇を閉じてるのは「要らない」の意思表示ではあるんだけど。
 甘酒に挿したストローを唇の間に差し込むと ちゃんと吸い上げる。
ごくんと飲み込む音を確認して、またストローを挿しこむ。
 ちゃんと飲んでるから完全に眠ってるわけじゃないのよね。
 ユニットのリーダーさんが「母桃さんとの想い出の場所なんかありませんか? ゆうこさんと一緒に私達がお連れしますよ」と言ってくれた。
 思い出の場所ねぇ・・・母とはウインドーショッピングするのが好きだったな。
母は一人でチケットも買って観劇にも行ってたので 認知障碍を発症してからは、私がチケットを買って連れて行った事もあった。
 でも 今の状態では支援員さん達が手伝ってくれても観劇は無理だ。
 3年ほど前には、グループホームから連れ出して 近所のショッピングモールへ連れて行った事がある。
失礼ながら『田舎のデパート』なんだけど、店内に入った途端 母は目を輝かせて「ここは何? すごいねぇ~」
照明や商品の陳列棚を見ただけで 母は嬉しそうだった。
 何を買うわけでも 何かを手に取って見るわけでもなく、そこに居るだけで興奮してる感じだった。
 でも・・・その興味さえ どんどん薄れてしまってた。
 グループホームでの後半は、喫茶店へ連れて行くのも 車の乗り降りや喫茶店の椅子から立ち上がるのが難しくなって(どうやって降りるのか、椅子からすり抜けるのかが分からなくなってた)連れて行く私が体力的に難しくもなった。
 特養では、車椅子ごと母と私を乗せて喫茶店へ送迎もしてくれる。
 でも、その喫茶店でさえも母にとってはもう『いつもと違う怖い場所』のようで、全然落ち着かない。
 そういう状態なので「思い出の場所へお連れしますよ」と言ってくれても 「じゃあ〇〇へ!」ってわけにはいかない。
 支援員さん達も『残りの時間』を考えてくれてるんだね。


 今週はとうとう「無理に座らせておくよりも ベッドで休んでいただいてます」と。

 先週までは車椅子やソファーに座って テレビの前に居たりしたんだけど。

 ベッドで横になってる母に いつものように「おかあさん! 来たよ! おかあさん!」と呼びかけて肩を触っても目を開かない。

 ベッドの頭を少し上げて 温かい甘酒のストローを唇の隙間に挿しこむと・・・ちゃんと吸い上げる。

 起きてるんじゃん^^

 でも目を開かない。
 昼食も全然食べなかったとの事。
 大腸の腫瘍によって便が詰まるのを恐れて 繊維質の多いものや硬いものは与え無くなってる。
食材をテリーヌ状にした食事は きっともう嫌だろうなぁ。
「ゆうこさんがみえた時だけは 母桃さんのお好きな物を食べさせてあげてください」との事なので、ここ2回は、お惣菜や海苔巻きを買っていった。
 先週の海苔巻きは、箸でつまめる量を口元に運ぶと 卵焼きやでんぷを少しだけ食べただけ。
1時間かけても 皿の上の海苔巻きは形がほとんど変わらなかった。
 眠いの? 口の中が痛いの? 歯が痛い? お腹がはって食べたくないの?
わからないの。
 今週は甘辛いタレのからんだミンチカツ。
これも唇の隙間に少しずつ押し込む。
「おかあさん! 口 開けて! 美味しいよ!」
 ぎゅっと閉じてた唇が少しだけ空いて 口元についてた甘辛い衣が口の中に入っていく。
咀嚼する音。
 ああ、ちゃんと噛んでる。
「美味しいでしょ? もっと食べて! 目を開けて! おかあさん 口を開けて!」
 一口だけで、その後は唇も歯も きっちりと閉じられたままだった。
 少し前に ユニットで一番若い支援員さん(女性)が「この前、母桃さんが にこ~っと笑って『ありがとね~』って言ってくれたんですよ。私 感動しちゃって。早く娘さんにお知らせしたくて」と話してくれた。
 母の笑顔なんて もう何年見てないだろう。 もちろん声も聞いてない。
 そして母は支援員さんに お別れのつもりでお礼を言ってるのかなぁ・・・とも思った。
 昨日は父の墓参へ。
 春をはらんだ風の中、墓石を洗いながら「お父さん、お母さんを迎えに来る時は 優しくそっとお願いね」と語りかけた。
 優しい父だったから、絶対に母を怖がらせる事なく、優しく手を引いて連れてってくれるとは思うけれど。


 なんて書きながら『来年の今頃も まだ母はこんな状態で居て え~去年 亡くなるんじゃなかったの~?と言ってるような気がする』私なのでした。

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2019年2月20日 (水)

動き出したー☆

 この前「大丈夫…じゃないかもね」とブログを書いてから10日も過ぎてた!
 一週間くらいのつもりだった。
 やっぱりおかしかったなぁ、私。
 心がフリーズしてた。 
 良くも悪くもオープンマインドの私が無意識にクローズしてた。
 
 11日早朝から熱が出て、インフルエンザかなぁと構えたけれど、高熱にはならず。
内科で処方されている数種類の薬の中から『PL顆粒』を選び、風邪対応にしてみた。
でも頭痛・鼻水・咳などの症状は一切なくて、熱も上がったり下がったり。
私の冬場の平熱は35.5度なので、37度になると ちょっとしんどい。 でもそれ以上にはならず。
 花粉症かも…と 自己診断を変えて、抗アレルギー薬にしてみた。
でも微熱は変わらず、動悸がするし、少し動くと横になりたくなって、横になると眠ってしまう。
 
 週末 とうとう「ステロイドホルモン剤大量投与」作戦に出た。
 去年12月の血液検査でドクターが「これは気に入らんなぁ」と 『プレドニン1錠を1、5錠に増量』の苦渋の決断をしたのに、自ら一挙に『4錠』に!
 功を奏し、それまで薄目で見てたような景色が多少 はっきり見えるような気がしてきた。
 母の事をさり気なく心配してくれる友達にも 泣き言も言えた。
 
 そしたら思いがけない展開が…。
 友達のお母さんのご高齢の叔母さんが、数年前に大腸がんと診断されたものの、本人の意思で治療を拒否し、今も元気でいると。
 親戚一同は「あの診断は何だったの?」と言ってるって。
 
 その情報で 私の気持ちが一気に変わった。
 先日の主治医との話し合いでは「このままだと、2~3ヶ月後に大腸が完全に詰まる。腸閉塞が起きた場合、普通なら人工肛門置換手術をするが、母桃さんには緩和ケアという選択もあり」
 施設の看護師さんや介護福祉士さん、ユニットリーダーさんとも その後 きちんと話し合って『2~3ヶ月後に腸閉塞を起こしたら、口からの栄養摂取は断念し、命が枯れていくのを見守る』事を決めた。
 母の最期を私が決めてしまった罪悪感と、何年も前から まだしっかりしていた母と私が お互いに伝え合っていた死生観にブレが無い自信。
 二つの想いの中で、私は自分を「無」にしてた気がする。
 
 ただ…腸閉塞を起こしても きっと母の心臓は動いているだろうとは思ってた。
「もう半年になるけど、まだ生きてるよ~」と苦笑する自分も想像できてた。
 
 それがね、友達のお母さんの叔母さんの話を聞いたら「まだ生きてるどころか、元気かもしれない!」と 希望が湧いて来た。
 
 大腸ファイバースコープ検査の画像で見た腫瘍。
腸管内がほぼ埋まってた。
 でも高齢の母の癌細胞の増殖はきっとゆっくりに違いない。
2~3ヶ月どころか、半年後も まだ詰まってない可能性だってある。
 先週は 母の所へも行けなかったので、昨日2週間ぶりに行って来た。
相変わらず母は食欲もあり、顔色も良い。
 支援員Uさんが「今朝もお話されましたよ」と 詳細を再現してくれる。
「ちゃんと会話になってるんですよ~」と笑顔。
 
 このUさんの声は 母の耳に一番届きやすいのか 今までも『母桃さんとの会話』の報告は彼女が最多。
 そのUさんではあるけれど、複数回の言葉のキャッチボールが増えて来たのが 私には不思議。
 最後の命の灯を燃やしてるのかなぁとも思う。
 ユニットの支援員さん達が「朝が一番 お元気で言葉が出やすいので 今度 動画を撮ろうって言ってます」って。
皆さんが 母との残された時間を大切にしてくれてる。
(…一年後も生きてる可能性あり)
 
 母の食事も 刻み食だったのが 先月の診察後からソフト食(多分 一番 高価よね)になった。
他の皆さんと同じ食材をドロドロにしてからテリーヌのように加工してある。
 白身魚にはとろみソース。
 人参と思しき柔らかいキューブにはマヨネーズ風味のソース。
味見してみると、確かにそれぞれの食材の風味はある。
スプーンで口元へ持っていくと 口を大きく開ける母。
 欲しいんだね。 たくさん食べてね。
 でも 毎回 こんな食事では満足感ないよね…。
 私が入院中、減塩食で虚しいのと同じ。
 
 昨日 介護福祉士・看護師・支援員さんと私で また話し合いの時間を作ってくれて
「母桃さんが美味しいと思ってもらえる食事も たまにはしましょう。美味しくない物を食べて寿命だけをのばすよりも、母桃さんが少しでも嬉しいと思ってほしい」と。
私の想いそのままだった。
介護してくださる人達と私の気持ちがぴったり一致してる安心感。
 私が食べさせていた塩味の薄焼き煎餅も「再開してみましょう」となった。
 便をどろどろにする薬を使って、排便の量も増えているとの事。
 …なんか、私が週に一度 会いに行く時間は 以前と何も変わらないじゃん。
 むしろ 母の反応は数ヶ月前よりもしっかりしてるもん。
 『希望の光・スポットライト』とまではいかないけれど、それまで暗転だった舞台に照明が当たり出したような感じ。
 
 そうなると 色んな事が急に上手く回り出す。
 昨日は まだ少ししんどい体に鞭打って ボランティアの会議に出てから母の所へ行った。
 市役所の音訳ボランティア 今年度は輪番制の役員だったので、年度替わりのこの時期 引継ぎや調整で何度も招集がかかる。
 私が今 倒れたらダメだ。 私の代わりは居ない。 頑張るしかない。 気が張ってるから絶対に倒れないよ。何とか この時期をやり過ごそう。
 きっと前だけを睨みつけて悲壮な顔してたと思う。
 そしたら…木曜日に予定されていた研修会には出なくても良い事になった。 あっさり(笑
 それが無くなっただけで、荷物がすごく軽くなった。
 引継ぎの為の書類作成も目処がついてきたし、急に展望が開けて来た。
 
 夜 帰宅した夫にも 久しぶりに饒舌におしゃべりした。
ずっと『ご飯作っては寝て、食べては寝て、洗い物しては寝て、入浴せずに寝る事もあり』だったもんね。
 ただし…ステロイドホルモン剤大量投与中である事を忘れてはいけない。
『なんかやる気出て来たー! 頑張れる気がするーー!』のは、ドーピング状態・ステロイドハイの可能性も高い。
 
 …って事で 今朝は プレドニン2錠にしてみました。
 そしたら「今日は これとこれをこれをやるぞーーー!!」だったうちの まだ一つしか着手していません(汗
 

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2019年2月10日 (日)

大丈夫…じゃないのかもね

 金曜日、母がお世話になっている特養の看護師さんと一緒に病院へ。
外科のドクターから病理組織検査結果の説明を受けた。
 先週 検査した内科のドクターが見せてくれた画像から 素人の私でも想像できた。
 
 で、予想通り。
 それを見越して、今後の事もドクターと相談できるよう、昔から 母と話し合ってきた事や、私が予想できる今後の展開の選択肢などを フローチャートにして持って行った。
 ドクターは 私の気持ちを汲んでくれていると感じられる。
 特養の看護師さんと3人でシンプルでも濃密な話ができた。
 
 その足で、母の待つ特養へ向かい、ユニットリーダーや社会福祉士さんも交えて報告と 今後の相談。
 皆さんが本当に一生懸命考えてくれて、寄り添ってくれて、ありがたい。
 
 子供の無い私達夫婦、私は絶対にボケるし、体の自由も早くに利かなくなるでしょうから、施設に入所する事は夫と決めているけれど、お世話になるならここがいいなぁ…。
 
 ブログを読んでくれてる友達から、全く別の要件を装いながら、さり気ない気遣いのメールやLINEが届く。
 
 なんかね…大丈夫なんだ。
 全然 大した事ないの。
 2018年12月、寿人の退団が発表された時の方がずっとずっと苦しくて辛かった。
 友達の真心に感謝しながら、いつもなら「実はさ~」と ぶちまける私なのに、それができなかった。
 説明するのが面倒だった。
 
 コンビニのビニール袋を手に夫が帰宅した。

Godiva

 GODIVAのラズベリーチョコレートケーキ(コンビニね!)
 
 『妻のトリセツ』なる本が売れてるそう。
 広告の一部に「これを読んで 突然の妻の無表情が怖くなくなった」とあるのを見た事がある。
 私の事だーーー! と その時 思った。
 夫は もしかしたら買って読んだのかも。
 
 ラズベリーチョコレートケーキが食べられるから嬉しくて元気が出るわけではないの。
 友達の真心よりも、一番身近な夫が『私を、私の母を気遣ってくれた』事が 元気の素になった。
 
 …と言う程 しんどいわけじゃないんだ。
 普通に眠れるし、食欲もあるし、普段と何も変わらない。
 
 でも 私の場合は この方が怖いのかも。
「しんどいよ」「苦しいよ」と言いまくってる時の方が 私らしくてまとも。
 大したことないと 強がってるわけじゃなく、何も感じないように麻痺させてるのかもしれない。
 それが続くと 体に「もう止まるしかないよ」って異変が現れるよね。
 
 一過性の外転神経麻痺がたびたび起きてるけど、2010年みたいに『一過性』が継続するようになったら困る~。
 
 

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2019年2月 6日 (水)

春の微粒子を集めて

 昨日は車を運転していると暑いくらいの 過ごしやすい冬の日でした。
 
 自分の内科の定期検診は、先月のステロイド剤増量の経過を見守るのみ。
2010年の外転神経麻痺の一過性の症状が近頃頻発する事を報告してきた。
 来月、血液検査をするので、外部に検査依頼を出す項目の結果が判明するのは4月…ステロイド剤の減量なるか…まだまだ時間がかかるなぁ。
 
 重い足取り(あまりの重さに笑ってしまうほど)で母の所へ。
 下血が継続する事・でも食欲はあるとのこと。
そして下剤を使用して泥状にした便は ちょっぴり量が増えている事を聞く。
あぁ、詰まってはいないんだ…と ちょっと安心する。
 「おかあさん!」と呼びかけると 私をじっと見る。
「うんこ出てるんだねぇ」と 聴こえないのを承知で尋ねると 何となく頷いてるような顔をする。
 無表情・変化なしと思う時もあるので、これは私の見間違いではなく、何らかの小さな反応があるって事。
 『良かったねぇ…』の気持ちをこめて 母のおでこに自分のおでこをくっつけると、母も力をこめてくる。
 『しゅき~~~(好き~)』の表現だと私が思ってる 母と私のコンタクト。
 
 金曜日に ホームの看護師さんも一緒に病院へ行って、この前の病理検査の結果を聞いて(もう分かってるけど)今後の事をドクターと決める事になっている。
 
「お母さん、私に任せてね」
 私が最良の決断ができるように、間違った選択をしないように、毎日 お参りしている。
 たくさんの真心に支えられている事を実感しながらの帰り道だけど、やっぱり心は晴れない。
 往路の途中にある緑道の横をスピードを緩めて走る。
水仙が咲いているのを見つけて車を止めた。

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 コートを車に残したまま降りる。

 夕刻が迫る時間帯のお日様の光を集めた水仙が輝いてる。

 2011年頃だったかなぁ…週に一度 実家へ行くのを「実家詣で」と名付けて、義務感半分で通ってた。

 認知症が進行していた母の為に 家の片づけ・食事の支度・郵便物のチェック・お金の管理などをして 認知機能が低下した母からは「有難迷惑」「ゆうこに監視されてるみたい」との言われ、毎回 泣いて帰った。

 ある年の春先、帰りに寄るスーパーでアイスクリームを買い、この緑道のベンチで食べたのが なぜかずっと忘れられずにいる。

 まだ本当の春では無かったと思うけど、でもアイスクリームを食べたいような暖かさだったんだよね。

 大好きな大事な母と ずっと仲良くできなくて、心身ともに疲れてて、でも母を見捨てる事はできなくて、無理して頑張って毎週通う自分を褒めてやりたい・慰めてやりたい…そんな気分だったと記憶してる。

 数年後、デイサービスを経てグループホームに入所して、そこでも最初は「なんでこんな所に居なくちゃいけないの?」と言う母を「弟桃が出張中で、お母さん 一人にしておくのが心配だから、弟桃が帰って来るまで ここに居てね」となだめてた。

 それも落ち着いて、自分の家がある事を忘れ、私が週に一度 グループホームから喫茶店へ連れ出すのをすごく喜んでくれて「お母さんばっかりこんなに幸せで 天国のお父さんに申し訳ないわ」と助手席で言う母。

 そんな時期もあったんだなぁ。

 この時間も永遠ではないと その時から分かっていたから、私も嬉しかったし大事にしてきた。

  あの頃は グループホームからの帰りに この緑道脇を通ると「ああ、以前 ここでアイスクリーム食べた時は辛かったなぁ…」と よく思った。

 癌発症と 母の命を左右する決断を委ねられる日が来るのは想定外だった。

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 春の微粒子を集めて輝く水仙。

 小さな風にも可憐に揺れる。

 私にも春の微粒子がたくさん注がれているはず。

 
 

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2019年1月30日 (水)

無駄な想像力

 先週金曜日に 特養の看護師さんと母と私で病院へ行き、ドクターに家族の意思を伝えた。
その上で「大腸ファイバー検査をしてください」とお願いした。
 火曜日の検査日まで、私の心にはいつも重い塊があった。
 自分の事だと 怖い検査の前は あれこれ想像して怖さを増幅させてたけれど、母の事になると それプラス『母が可哀そう…』 
 恐怖心・羞恥心が無い分、私よりも楽だとは思えたけれど、聴こえない・意思の疎通ができない母がどうやって検査を受けるのか…。
 浣腸しても 私達ならギリギリまで排便を我慢してからトイレへ行く…ってできるけど、母はどうするんだろう?
 看護師さんが肛門を抑えてるんだろうか?
 で、トイレへ行けないから ベッドの上で出ちゃうんだろうか?
 検査室は すんごい事になるんだろうなぁ…。
 看護師さんや検査技師さんや医師に申し訳ないなぁ。
「横向いて・上向いて」の指示も母には伝わらないし、どうやって検査するんだろう?
私が一緒にいる事で母が安心するのなら 手を握っててやりたいけれど、今の母には 私の存在なんて何の力にもならない。
 それでも母が辛い思いをするのを側で見ててやりたい。私も一緒に辛い思いをしたい。
 そんな事を夫に言ったら
「君が一緒に居て辛い思いをして その分 お母さんの辛さが減るのなら頑張るべきだけれど、そうじゃないんだから、君が辛い思いをするだけマイナスですよ」と。
そうだよねぇ…。
 でも…看護師さん達に迷惑かけるから 少しでも手助けできれば…。
 そんな事をあれこれあれこれ考え続けた週末。
 そして昨日、予約時刻の10分前に病院へ到着すると・・・・・・・・・・・。
 廊下にリクライニング車椅子に仰向けに寝てピンクの毛布をかけた母と 特養の看護師Nさんが居た。
 あれ?!
「もう終わったんですよ。すごくスムーズでしたよ」
 
 なんと検査予約一番の人がキャンセルで、母が繰り上げになったんだって。
私に連絡したけれど、すでに私は運転中で電話に出られず。
「お母さん…ついててやれなくてごめんねぇ…」母の肩をさすって何度も言う。
 Nさんも入室はできないので詳細は分からないけれど、数十分で終わったし、何の問題も無さそうだったとのこと。
 ほぉ…っ。
 緊張が一気に緩んだ。
 Nさんは 検査後のしんどさを想定してリクライニング車椅子に乗せて来てくれたの。
 いつもひざ掛けにしているピンクの毛布の下には、膝のしたに入れるクッションや肩が冷えないようにとのタオルがあって、母は真心に包まれてた。
 しばらく待って、検査をした医師に呼ばれて3人で入室。
「ご家族以外の方は出ていただけますか?」 金曜日とは別の女医さんの緊張した面持ち。
「私が長女ですが、特養の看護師さんも同席してほしいです」が受け入れられて 共に説明を受ける。
 肛門から16センチほど上部のS字結腸あたりが異様にふくらみただれてる写真。
「ここから出血しますね。そしてここから先はカメラが入らなかったんです」
 そっかぁ…特養の看護師Nさんと「もしかしたらカメラを入れる時に 大腸の詰まりかけてる所をぐりぐりって貫通して 便の通り道ができるかもしれないしね」と 大腸ファイバー検査をする意義を無理やり付けてたのが あっけなく砕け散った。
 
 で、見るからに悪性腫瘍らしい姿だそう。
 金曜日の外科のドクターも「CTで見る限り、お手本にしたいような写り方です」と 『癌』という言葉を使わないで 何とか説明しようとしてた。
「忌憚なく言ってください。私は癌でも何でも大丈夫なんです。母が痛い苦しい辛い思いをする事だけが一番いやなので」
 外科のドクターも 火曜日の内科のドクターも 私の落ち着きに安心したようで、そこからは話もスムーズ。
 来週、組織検査の結果が出てから、今後の事は外科のドクターと相談する事になった。
 特養のN看護師さんとは この数日で色んな話をした。
 先週は「癌でも手術はしない」と私は言ってたけれど、検査までの数日間で「人工肛門を着けたら、今まで通りの食事ができるのなら それもいいかも」と気持ちは変化している。
 リクライニング車椅子の母をNさんにお任せして、別々に特養へ。
 ユニットに着くと 支援員さん達が「母桃さん お帰りなさい!」「よく頑張ったねぇ」「お腹すいたでしょう」と 声をかけてくれる。
 検査にそなえて絶飲食していた母に「まずお茶のんで」と ぬるめのお茶を淹れてくれる。
「お昼ご飯は ちゃんとありますからね。温める間 ちょっと待っててね。パンでも食べておく? 朝からずっと食べてないもんねぇ」
 毎週 私が持って行くパンを小さく切ってお皿にのせて母の前に置いてくれると、母は身を乗り出して 自分の手でつかもうとする。
 
 母が自分で持って食べようとする姿 久しぶりに見た!
もちろん手はひどく震えて、口にパンを持っていくのに時間がかかった。
「お腹すいてたよねぇ~」 支援員さんが涙ぐみながら笑顔を浮かべる。
「娘さん 辛かったでしょう」
「それが私 検査に間に合わなかったんです」
「その方が良かったですよ。検査室に入っていくのを見送るの絶対に辛いですから」と 涙をぬぐう支援員さん。
「母桃さん、ほんとによく頑張ったねぇ」
 少し前まで母の食事は 支援員さんが細かく刻んでくれていたのが 下血があって大腸の詰まりが判明してからは『それぞれのおかずをテリーヌのように加工した物』に変えてくれた。
 人参のグラッセ・ポテトサラダ・コロッケと思われる色と形の柔らかい物をスプーンで口に口に運んでやると 一生懸命口を開ける。
 通りかかる支援員さんが「たくさん食べてよ~」「おぉ 食欲あって良かったねぇ」と 声をかけてくれる。
 皆が本当に家族のように母を心配してくれてる。
 ありがたく、嬉しく、私の重かった心が いつの間にか軽く明るくなっていく。
 
 手術しなくてもいいんじゃない?
腸閉塞のリスクは、外科のドクターも「僕たちは最悪の話をしますからね」って言ったじゃん。
 別に「このままだと腸閉塞起こします」と言われたわけじゃないじゃん。
 
 人工肛門になっても ユニットの支援員さん達が その扱いを習得して対応してくれるとのこと。
 他のユニットにはそういう利用者さんもみえるとのこと。
 ただ、母が手術や全身麻酔に耐えられるのか? 術後の入院生活をおくれるのか?
 
 私がリアルに想像する事は絶対に実現しない…のは、私自身がよく知ってる。
だから自分が恐ろしい病気の恐れや検査がある時は わざと最悪の状況をあれこれ想像しておく。
 
 だったのに、それすら忘れて 母の検査を想像して余計な心配をし続けた4日間。
そして案の定『検査終わってから到着』という 予想外の結末。
 
 無駄な想像力は 今度は『あえて最悪の状況を想像しておく』で発揮させようか。
 このままでいけるんじゃないか…? なんて甘い想像してないで、次の通院日まで 最大限の悪い想像をすべきなのかな。

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2019年1月23日 (水)

大切な人

 このところ 母の反応がすこぶる良い。
 おやつを食べさせる時、一口 飲み込むと可愛く口を開いて『もっとちょうだい』(と私は理解している)
 甘い飲み物・甘いお菓子・塩味のせんべい いつも この三種類を食べさせるんだけど、私の好みで『甘い物食べたら塩味、そして飲み物、また甘い物…』と 順序を考える。
 すると時々 母が 口をぎゅっとすぼめて『いらない』を表す。
 これじゃないのね?
 じゃあ、塩味を…と 口元へ持って行くと また可愛く口を開けるので「ああ、これが良かったんだ」
 って事は 母はちゃんと味の違いを分かってるんだよね。
 何でも食べるわけじゃなくて、好きな順序で食べたいんだ。
 私をじっと見つめる時間も長いし、近くを支援員さんが通ると 目で追うし、少し前の無反応を思うと 覚醒してるように思える。
 支援員さん達からも「今朝、ご挨拶したら返してくれましたよ」「お昼ご飯を召し上がりますか?と聞いたら 食べようかねって言われましたよ」との報告も増えて来てる。
 ここへ来て 母 ねじが少し締まった?
 嬉しく思っていたら…先週「便に少し血が混じりました」と報告があった。
『しばらく様子を見る』事にしたら、月曜日に「大量に下血があったので、火曜日に病院で診察受けます」と。
 痔かもしれないな…痔だといいな…きっとそうだよ。
 昨日 Oちゃんと母のホームの近くでランチの後、母の所へ行くと…看護師さんが「お話したい事があります」
 ん? これはただ事じゃないな。
 母がお世話になっているユニットの責任者・施設の介護福祉士・看護師と3人がテーブルについた。
 CT検査をしたところ、大腸の出口付近に腫瘍らしき物があって、便の流れを止めているので、食べる量に比べて排便が少なく、大腸には便が溜まっている…との事。
 ドクターは その腫瘍が癌である可能性も示唆。
 私は癌と聞いても驚きはない。
もし癌であれば、手術はせず このまま命が枯れていくのを見守るつもり。
 『余分な延命治療は絶対にしないで』とは、もう何十年も前(認知障碍も無い)から母が言ってる事で、私も母も死生観が同じなので同意し、お互いにそこはぶれずにきた。
 ただ…このままだと大腸に便が詰まって腸閉塞を起こす危険性がある。それがネックらしい。
 ドクターからは 大腸ファイバースコープで詳しい検査をしたいので家族と相談をと言われたそう。
 血液検査やCT検査ならいいけど、大腸ファイバーとなると…。
 看護師さんも私も同時に「どうすればいいのかしらねぇ」
「今日の検査時、母はどうでしたか?」
「採血の注射をされる瞬間は身をよじるけれど、後はじっとされてましたよ。肛門からの触診もそんな感じでした」
 そっか…。突然の痛みや違和感に 一度はびっくりして体が拒絶反応するよね。
 4人で真剣に話し合って 私も診察に同行してドクターと相談する事が決まった。
 母の命は私に委ねられてる。
私が「このまま何もしないで。腸閉塞で死ぬのなら それもいい」と言えば そうなっていくのかもしれない。
 ただ、その場合、腸閉塞で七転八倒する母を目の前にして支援員さん達は ただ見ている事はできず、きっと救急車を呼ぶ事になる。
→緊急手術→人工肛門→特養の対象外で退居
 それは私も困る。
 
 ※後日 人工肛門は特養の対象と確認。私の記憶違い。
   24時間点滴で栄養摂取するようになると対象外。
 4人での『最初の選択』を終えて、母の所へ行くと 今日もおだやかな母。
「お母さん 今日はえらかった(名古屋弁で『しんどかった』の意)ねぇ」と言うと 「ん」と頷くような(頷いてはいない)反応がある。
 痛い怖い検査…えらかったよねぇ…母の肩を抱き 頭をなでる。
幼子のようにされるがままの母。
 腕の血管では採血できず、手の甲に採血の跡の絆創膏がある。骨と皮だけの手の甲が痛々しい。
 検査前の絶食があり、昼食はたくさん食べたとの事。
いつものおやつは「煎餅はやめておいてください」と許可を得て、甘酒をストローで飲ませる。
 一口飲んだら ストローを口から外し、ごくんを確認したら またストローを入れる。
『ちょうだい』の口元が可愛らしくて愛しくて…。
 生クリームスフレを小さくちぎって口に持って行くと これも可愛く食べる。唇についた物も上手に口にとりこむ。 こういう時 本能なんだなぁ…と毎回 感心する。
 食べていると必ず鼻水が出てくるので拭き取ろうとティシュを近づけると これも可愛く口を開く。
 …口元に運ばれるものは何でも食べちゃうか…微笑。
 いつもと変わらない母。 自分の身に起きてる事も この先 しなければいけない怖い事も知らずに…。
 肩を抱いていた手で頭を抱き寄せて、二人で頭をくっつける。
 私を信頼してるのかさえも 今は確認できないけれど、私がどういう決断をしても 母は喜んでくれると思える。
 私の想いを知ってか知らずか、母は顔色がすごく良くて肌も綺麗。表情も穏やかなので写真を何枚も撮った。
 その間も 通り過ぎる支援員さんや 同じ利用者の動きを目で追う。
 便が詰まってたら 健康な人だったら「下腹が張る」など 気分も悪いだろうに、母にはそういう気配が無い。
 何よりもこうして食べてくれるじゃない。
 今はその食欲さえもが腸閉塞のリスクに繋がるジレンマ。
 
 母のホームの帰りは いつも優しい気持ちで運転しているのに、さすがに昨日は落ち込んだ。
 帰宅した夫に報告しながら 泣きそうになって言葉につまった。
「病院へ行く日 僕も行きますか?」
「ううん、私だけでいい。ありがと」
「お母さんは 怖い検査も分からないんじゃない?」
「分からないまま何かされるのも恐怖だと思う。羞恥心が無くなってるのだけは救いだけど」
 よくよく考えたら、夫の言う事に分がある。
肛門に挿入される瞬間だけは違和感で身をよじるけれど、その後は何をされてるかも分からないから力も抜けてるし、私がされるよりも ずっと楽かもしれない。
 うん。そうだ。
 で、腫瘍らしき物が古い便の塊だったら、ファイバースコープで切除できないかな。
出口付近の障害物が除去できて、排便が普通になれば問題無しじゃん。
 大量出血がどんな風だったかを尋ねたら、看護師さんは写真まで撮っててくれた。
本当に本当に施設の皆さんが 親身になって一生懸命 母を看てくれてる。
「痛い怖い事を母にさせたくない。寿命を延ばす事だけを目的にしたくない。明日 母の命が終わっても 私は後悔は無いし、支援員さん達にも感謝だけで『こうしてほしかった・ああしてくれれば死ななかったかも』との思いも無い」
 今年の私の運勢の中に「大切な人との別れ」があった。
それを見た瞬間 あぁ、母とお別れなんだなぁと自然に思った。
 できれば、私が施設を訪問中に お別れの時が来て、母の手を握りながらその瞬間を過ごしたいけれど。
 
 そんな上手くはいかないよね。

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2018年9月28日 (金)

母の声

 先日、母の居る特養に行ったら、支援員さんが
「母桃さんの声 久しぶりに聞きましたよ!」と報告してくれた。
 朝、いつものように起こしに行って 耳元で大きな声で「母桃さん おはようございます」と言いながら、体を起こしたら(聴こえなくても 何かする時は必ず声をかけてくれる)「ありがとう、ありがとう」と言ったんだって!
 続けて「朝ごはん 食べますか?」と尋ねたら「朝ごはん 食べましょうかね」と答えたって!
 もうそれを聞いた時の私の嬉しい驚き☆
「え~~~ほんとですかぁ~~~! え~~~! え~~~~!」と 両頬と口を抑えながら 顔が笑ってしまう。
 お母さん なんで? 錆びついてた頭の回路が突然クリアになったの?
 この支援員さんの声は、以前から母には聞こえやすかった。
でも こうしてちゃんと問いかけの意味を理解して答える事ができたとは!
まだ日本語をしゃべる事ができたとは!
 日常的に聞こえない母は 言葉が頭に届く機会もほぼ無い。ただでさえ記憶できなくなってるから、使わなかったらどんどん忘れてしまうはず。
 認知症になっても 昔の事は覚えてるから、そこは大丈夫なのかなぁ。
 へぇ~~~ちゃんと話せたんだ~~~☆☆☆
 そして支援員さんの話は続く。
「私も久しぶりに母桃さんの声を聴いて嬉しくなっちゃって、今日もチャレンジしたんですけど、今日はダメでした」
 
でしたか。 (*´∀`) あはは
 
 母が入所した時に居た支援員さん達も 施設内の異動で変わり、先月はSさんという男性支援員さんが別の棟へと異動になった。
 入所当時独身だったSさん、途中で結婚し、子どもが生まれ、今月は第二子が誕生した。
スラリと背が高く穏やかな話し方でいつも優しく微笑んでいる。
 ある晩、介助に入室したSさんを見上げた母が「あんた、いい顔してるねぇ」と言ったそう。
母は昔からハンサムで清潔な男性は大好き。
 ここに入所した頃には もう男女の区別もつけられなかったけれど、無意識に「好きなタイプ」は残ってたらしい。
 私がおやつを食べさせている時も Sさんがそばを通ると 目で追う事があった。
 久しぶりに母の声を聴いたUさんが話の中で 「Sさんは、母桃さんの事 大好きなんですよ~」
はい^^ 母もSさん大好きです。
 そのSさん、異動にはなったものの、自分の勤務時間の前に母の所へ来て 昼食を一緒に食べたそう。(一緒に食べると言っても 介助なんですけど)
 言葉も出ないからお礼も言えない しわくちゃの赤ちゃんみたいな母を「大好き」と思ってくれる若い男性が居てくれるのも 私は嬉しい。
 さて、この先 母の玉音を私は聞く事ができるんだろうか?

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2018年9月 4日 (火)

お気に入りのお菓子と母

 いきなりの商品写真。
 メーカーの関係者のブログじゃありませんよ~。

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 もう2年くらい これ 私のお気に入り。

備蓄お菓子の中でも 欠かしたことが無いかもしれない。

 程よい塩加減と軽い食感。 甘いものを食べた後 口の中をさっぱりさせるのに最適。

そして さっぱりした口で、また甘いものに戻る→またこれを食べてすっきり→甘いものに戻る→→→ご想像通り。

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 小袋包装されてるので、外出のお供にもぴったり。(持って行くのよ)

 これ一つ(2枚入り)で36㌔カロリーなのも、ちょっといい(…ように錯覚する)

あまりのおいしさに止められず 5袋食べても180㌔カロリーだし!(威張るとこじゃない)

 ポテトチップスよりは低カロリーなんじゃないかと思ってるんだけど…。

 さて、これは母にも好評(と 私は思っている)

 小さく割って口元に持って行くと サクサクサクサクッと 前歯で噛む。

この歯ざわりや口当たりが 多分 母には楽しいんだろうと思う。

普段 母は細かく刻んだ柔らかい食事をしているので。

 大きな赤ちゃんになってしまった母だけれど、不思議に食べる時は ちゃんと口を閉じて お上品に咀嚼する。

 サクサクサクの後は、口の中でもぐもぐして ごっくん。

そこを見計らって 甘いミルクティなどをストローで吸わせる。

 ゴクンゴクンと喉が動く。

 塩っ辛い物と甘い飲み物 美味しいよねぇ~~私も大好きだもん。

 飲み物を飲んでむせた時も 絶対に口を開かないようにこらえてくれる。

 ストローを口からはずすと 唇を軽くすぼめて突き出したり、おちょぼ口で開いたりする。

これは「もっとちょうだい」の印。

 『もっとちょうだい』は、私が嬉しい瞬間でもある。

 可愛く開いた口元に またこの煎餅を持っていくと サクサクサクッ。

親の仇に会ったかのように、眉根を寄せて噛む時もある。美味しくて夢中なんだろうと想像する。

 そんな母は、先日 私が行った時、施設に来てくれる美容師さんにカットしてもらい、その後 入浴してサッパリしてお昼寝中だった。

 めめちゃん(以前 ブログでご紹介)を抱っこして眠る姿が可愛くてパチリ。

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実は自分では寝返りも打てないし、めめちゃんを抱っこするのも無理。

支援員さんが たくさんのクッションやパッドを当てて、体の向きを何度も変えてくれてて、めめちゃんも その中で抱っこさせてくれたみたい。

 胸の上に そこそこの硬さのあるめめちゃんを乗せてると苦しくないかなと思うけど、安らかな寝顔してるし、規則的な寝息も聴こえるので大丈夫そう。

 ちょっと前には 施設のお揃いの花柄の枕と掛布団に埋もれて眠ってるのが清潔で華やかで可愛くて 撮影した写真を 従姉に送った。 

 『死んでるんじゃないからね~』と 添え書きも忘れずに。

 

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2018年6月 2日 (土)

「お母さん!」

 
 週に一度の母との時間。
 真っ先に側へ行って「お母さん」と呼びかけるも 反応が無いのはもう慣れっこ。
 
 ところが、先日は違った!
 
 正面に回った私をじっと見て
「ゆうこ~久しぶりだねぇ~」とでも言いそうな表情をした!
「どこかで見た人だねぇ~」レベルなのかもしれないけど、無表情・無反応に慣れた私には、母の声が聴こえてるくらいの衝撃だった。
 
 思わず私は 母の手を握り「お母さん! どうしたの~!」
それには答えず、でも柔らかな表情のまま 私を見る。
 今にも何か言いそう。
 支援員さん達に「今日の母はなんか違う。私が分るみたいな顔してる。こんな顔、久しく見てない」と知らせる。
 『母との魂のコンタクト』は数分間で終わり、おやつを食べさせる頃には、いつもの無表情に戻った。
 私をじっと見てくれるだけで満足なんだ。
 支援員さんが
「母桃さんは お幸せですよ。 毎週 娘さんが来てくださって」
 
毎日 ご家族がいらしてる人もいるんだけどね。
「お二人の姿を見てると微笑ましいです」
 それはとっても嬉しい!
 
 おやつを食べさせ、後片付けや部屋のチェックを済ませて帰る時の事・・・
 いつものように手を握りながら、聴こえないながらも耳に口をつけて「お母さん、また来るね!」と大きな声で言う、
 すると…母がまた私をじっと見て(これは 時々ある) 握ってた手にも若干力がこもった。
 母の目が潤んでる。
 これもアレルギーだったり、眼病だったりで、潤んでる事は時々あるんだけど。
口元をへの字にして、泣くのをこらえているように見える。
「お母さん どうしたのぉ!?」
 なんか・・・後ろ髪ひかれるよ。 無表情な事が多いから、いつもあっさり帰ってこられるのに。
 するとTさん(頭がしっかりされてる利用者さん。いつも私と会話する)までが
「もう帰られるの? もうちょっと居てあげて」と。
 え~何か感じるのかな?
 何度も母の手を握り直し、背中や肩をなでて「また来るね」と言ってみるけど、相変わらず泣くのをこらえているような母。
 支援員さんにお願いして帰って来た。
 何か母は感じてたのかもしれない。
「私を置いてくの? 一緒に連れてって」と思ってたら可哀相。
 
ずっとぼんやりしてた思考の中に『ゆうこ』が 浮かんできたのかもしれない。 刹那の事ではあっても、久しぶりに母とコミュニケーションがとれた気がした。
 それは寂しくもあり、嬉しくもあり。

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