母の老い

2017年8月29日 (火)

刹那の幸せを重ねて

 
 
  母が「要介護5」になりました。
 
今は 特養でお世話になっているので、私自身の負担は 数年前の要介護2の頃の方が大きかった。
 
母に認知障碍の兆しが見え始めたのが平成8年頃。
 
 老化による衰えと それを認めたくない母のプライドと向き合って 『母大好き』な私は 何度も何度も泣いた。
 
毎週、実家を訪れて片づけや郵便物の整理、食事の世話、歯医者と内科の通院などをし
「私はそんなにボケてない」(ボケてるなんて言った事ないんだけど)
「ゆうこに監視されてるみたい」
「有難迷惑」と 毎回 言われた。
 
 以前の母なら ちゃんと説明して話し合えただろうし、納得すれば感謝さえしてくれただろうに、もうそれは無理だと思うから反論もせず帰宅する車中で泣き、仕事から帰った夫に話して泣き…。
 
そんな数年間を経て、デイサービス→グループホーム→特養と お世話になる施設がステップアップ(?)していった。
 
 2015年末には 私の事もわからなくなった。
 
 それでも、私の『覚書帳』の中には、母とのささやかな嬉しいコミュニケーションの記録が残されている。
 
グループホームに入所して、実家の家事から解放されてからは、私に 母との時間を楽しむ心の余裕もできた。
 本来の『仲良し母娘』の再現もあった。
 ホームのリビングにいる母は私を見つけると満面の笑みで手を振り、職員さん達に「これ、私の娘なの!」と自慢気に紹介してくれたなぁ。
 車に乗せて喫茶店へ毎週行った。
「私ばっかり幸せで お父さんに申し訳ない」と助手席で言う母。
「こんなお母さんでごめんね。ゆうこに苦労かけるねぇ」とも。
 
数年前までの しっかりした母と比べたら『なんでこんな風になってしまったの』と思いたくなる状況だったはずだけれど、私は一度もそう思わなかった。
 
 『この状態が最高なんだ』と いつも思ってたから。
 
 認知障碍は どんどん進んでいくから、ノートテイクの会話が何とか成り立つ事も、自分で食事ができる事も、グループホームのお仲間の悪口(自分が聴こえない自覚が無いので「あの人は挨拶しない」など)を言う事も、全部がありがたかった。
 
 予想通り、私の事を忘れ、母の口から意味のある言葉が出なくなり、歩けなくなり、食事も口まで運んでやらないと食べなくなり、表情が無くなり・・・枯れ木のような大きな赤ちゃんになってしまった。
 
それでもね、毎週 母の所へ行き、おやつを食べさせる時 『いつか寝たきりになって、流動食しか摂取できなくなる時がくるかも』と思うから、スプーンに噛みつかないように絶妙なタイミングで抜き取りながら それができる事が幸せだと思える。
 
 母が愛しく可愛らしく思える。
 
無表情で何を見てるのかもわからない母が 時々、私をじっと見る瞬間がある。
『見てる』のか『たまたま視線が向いた』だけなのか定かではないけれど、私には『私を見た』と思える。
 「おかあさん!」と思わず呼びかけてしまう。
もちろん反応は無いけれど…。
 
母の手をとって手遊びをしていると、車椅子から そっと上半身を傾けてくる事もある。
そんな瞬間がたまらなく嬉しい。
 
上半身を傾けてきた母に私が顔を近づけると、そのまま顔を寄せて来る。
 
 私のおでこに 自分のおでこをそっとくっつけてくる。
 
 おでこをくっつけたまま、私も焦点の合わない目で母を見ると、無表情ながら母の目も私を見てる。
 「おかあさん、なに? なぁに?」
 もちろん答えは無い。
 
特養で母と過ごす時間の中の ほんの数秒間のふれあい。
 これも次回にはあるかどうか分からないから大切な出来事。
 
刹那の幸せを重ねて、母の認知障碍は間違いなく進行していく。
だから私は『今の幸せ』を大事にしたい。
 
『刹那の幸せ』も 一年後、もしかしたら数ヶ月後には『温かい大切な思い出』になるんだから。
 
 
 
 
 

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2017年5月12日 (金)

母の魂

 
 いつものように 特養を訪問して 母に、おやつを食べさせていた最中 母がふいに上体を傾けて、私の顔に自分の顔を寄せて来た。
 
 昔、ちょっとした内緒話をする時 こんな感じだったなぁ。
 
 思いがけない行動に驚きと懐かしさを感じ、私も手を自分の耳に添えて『内緒話を聴く』動作をしてみた。
 母の口から出たのは「ごあん」  久々に聴く母の大きな声。
 
 私が怖い夢をみて大声で叫ぶ時みたいに 言葉は不明瞭だけど、必死さだけは感じる。
 
「ご飯」なのかなぁ…「ごめんね」と言いたいのかもしれない。
 
 母と一緒に過ごす時、母の眼尻からよく涙が滲んでいる。
透明な目ヤニなのかもしれないけれど、もしかしたら母の涙なのかもしれないと想像する時もある。
 
 支援員さん達は「いつも娘さんが来てくださるから、母桃さんは お幸せですよ」と言ってくれるから、母は不幸では無いんだと思うけれど…。
 
 先日は、隣の棟から異動(施設内では定期的に異動がある)してきた新しい支援員さんが
「母桃さんは、ここの支援員にすごく好かれてますよ」と教えてくれた。
 
 シモの世話から食事の介護、何から何までお世話にならないといけなくて、耳も聴こえないし、言葉の理解ができなくなってて会話も成り立たないし、お礼も言えない母が『好かれている』とは…。
 
 どの方にも平等に親身にお世話をしてくださる支援員さん達。
 
 私が居る短時間にも『あんな偉そうな言い方するお年寄り 可愛くないなぁ』
『認知障碍とわかっていても、あんな態度されたら、私ならもうやってられない!』と感じる場面に遭遇する事もある。
 
 それでもにこやかに穏やかに対応してるのを見て 母にもきっとそうしてくれてるだろうと思えて感謝していた。
 
 
 件の支援員さんは「みんな 母桃さんに一生懸命 話しかけるんですよ」と続けた。
 
 聴こえない無反応な母に話しかけてくれるなんて…。
 
 私が行くと「今朝 起こしに行って 挨拶したら返事してくれましたよ」とか「母桃さん! おはようございます!って しつこく言ったら『わかっとるわ!』って返してくれましたよ」と 毎回 誰かが報告してくれる。
 
 目覚めた時が 薬が影響が少なくて一番覚醒しているから。 
 
「わかっとるわ!」なんてひどい言い方をされた事さえ 愉快な反応として楽しそうに報告してくれる。
 
 …手はかかるけれど、嫌われてはいないんだなと思うと しみじみ嬉しい。
 
 
 そしてお仲間のTさんは この日も私を見るなり満面の笑みで
「よく来てくれてご苦労様だねぇ。 一生懸命 やってあげてね」と おっしゃる。
私が支援員じゃなくて定期的に来てるのを ちゃんと認識してらっしゃるんだよね。
 
 でも ちょっと長く会話してると
「この方は、おたくのお姉さん?」 ひぃぃ…私 何歳に見えるんだろう?
「いいえ、母なんですよ」
「ああ、お母さん。 そうすると おたくはお父さん似だねぇ。 そういえば、この辺りがお父さんにそっくりだわ」 父 知らないよねぇ~(笑
 
「この方は何年生まれ?」
「昭和6年です」
「じゃあ 私の方が上だねぇ。 私 大正15年だから」 母よりは年上だろうと思ったけれど、大正生まれにしては若々しい。
 
 でも すぐに続けて
「干支は?」
「ひつじです」
「私より この方の方がお姉さんだねぇ」と 未年から数える。
そこからしばらくは 母が年上になったり年下になったりの繰り返し。
 
 そしてまた「失礼だけど、おたくは結婚はしてみえるの?」と。 私が未婚かどうか 毎回 気にしてくださる(笑)
 
 Tさんと そんな微笑ましいやり取りをしている時も 母の手をさすり、目尻の涙をぬぐってやる。
 すべすべ(つるつる…かな)の頬を何度も撫でる。
 
 
 シミとしわのある赤ちゃんみたいな母…目尻の涙は母の心なんだろうか…母に叱られた事 一緒に喜んでくれた事 泣いてくれた事 私を愛してくれた事 私は忘れない。
 
 母の魂もきっと忘れてないはず。
 
 切なくて 私も涙が滲む。
 悲しいのとは違う涙。

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2017年3月30日 (木)

やさしさの微粒子

 昨秋、向精神薬を止めた事と類天疱瘡の痒みで、母が暴力的になった。
 支援員さんや 常駐の看護師さんと相談して、薬を再開してもらった。
 お陰で 近頃は すっかり落ち着いた。
 もう私の事もわからないし、声を発する事もない。 
大きな赤ちゃんになった母のところへ 相変わらず毎週通っている。
たまに母が私をじっと見ると、それだけで嬉しい。
 
 車椅子かリビングのソファーに座っている母。 自分で動くことがないので、関節が拘縮するだろうと考え、膝や腕を動かす運動を始めてみた。
 
 私が股関節の手術後、リハビリ室で理学療法士さんにしてもらったように、母の太ももを持ち上げて膝の関節を曲げる。
 
 聞こえてないけど「いっち にー いっち にー」と声をかけながら。
 
 
 続いて、向かい合った両手を繋いで 上下に動かしたり「開いて~ 閉じて~」や「ぐ~る ぐ~る ぐ~る」と回す。
 なんとなく 母がこれを気に入ってるような気がするの。
 
 同じリズムで左右交互に動かしておいて、ちょっとリズムを変えると 最初のリズムのつもりで母の手が動き始める瞬間がある。
 ああ、ちゃんと母もやってるんだ^^ と 嬉しくなる。
 
 ただ、これを数回やると 私が息切れする…とほほ。
箸より重いもの持った事ありませんから~~~笑。
 
 息切れしたら 母の手指のマッサージをして 自分の息を整える。
 そして再開。
 
 入居のお仲間が「いつも ご苦労様だねぇ」と 私に声をかけてくださる。
 
 この施設の入居は要介護3以上。 
おそらく病気などによる身体機能の低下で要介護度が上がってるんでしょう、認知機能に衰えが無さそうな方もみえる。
 
 毎週 リビングでお会いする人には「こんにちは~」「お邪魔します」「お世話になります」と挨拶をする。
 
 
 無反応の人や、支援員さんと区別がつかない人もいるけれど、しっかり対応してくれるのは、認知機能に異常が無い人なんでしょうね。
 
 支援員さんが「Tさんが、母桃さんがパンを食べるのを手伝ってくれたんですよ」とか
「母桃さんのおでこに黒いあざ(真っ白な頭髪の根元に黒い毛が生えてきた)があると Tさんが心配してくれました」とかって 教えてくれる。
 
 このTさん、入居当初から 私によく話しかけてくれた。
「実の娘さん?」
「はい、そうです。そっくりでしょう」
「実の娘はいいわねぇ」
 
 ある時は
「失礼な事を聞くけれど、あなたは結婚はされてるの?」
「はい、してます」
「ああ、それならよかった」
 
 グループホームに居る時も、他の入居のお仲間に「結婚してるの?」と よく聞かれたなぁ。
 母の介護をしてて婚期を逸したんじゃないかと心配してくれてるのかな。
 
 もう一人Nさんも、テレビの前に座る母とよく並んでいて、私がマッサージなどをしてるのを見ながら「この方は幸せだわ」と言ってくださる。
 
 テレビ体操が始まったら、私がNさんを促して 一緒に体操の真似事をする。
それまで「年取ると、できない事ばかりになってしまって、もう嫌になるわ」と 言ってたのが  お顔が 生き生きとする。
 
 小中学校の同級生のお母さんもいらして、この方はお元気お元気。 そして明るい。
私が「○君の同級生」だという事もちゃんと認識してる。
 
 母の事は「この人は 一番おとなしいおばあさん。 いつも じ~っと座っとらっせる」ユーモアたっぷりに紹介してくれる。
 
  病院の個室にいるように、自分の部屋でテレビを見てる人も多いらしい。
なのでリビングでお会いする人は数人で、私は顔と名前を覚えてしまう。
 
 皆さん、穏やかな方ばかりで、母の頭のねじが錆びてなければ きっと良いお付き合いができたでしょう。
 
「すみません。母は耳が聞こえないし、認知障碍でいろんな事がわからなくなってるので、挨拶もできないし、きっと失礼な事をしてると思いますが 許してくださいね」と いつも謝っておく。
 多少は物忘れはあるようで「ああ、この人は聞こえんのかね」と、毎回 新鮮に納得してくださる。
 
 
 母のお世話までしてくださるTさんに、お礼を言いつつ、手を握ったら泣き出された事があった。
 背中をさすったら「ありがとね、ありがとね」と 更に泣かれた。
 
  きっとお寂しいんだろうな…。
 
 施設内は 複数の棟に分かれていて、各棟の玄関の下駄箱の上に 訪問者を書く紙が置いてある。
 
 私が書いて籠に入れる時は すでに数枚が入っているので、複数のご家族が面会にはいらしてる。
 
  毎日みえる方もいらっしゃると聞いた。
 
 TさんやNさんのご家族が どれくらいの頻度でいらしてるのか知らないけれど、もしかしたら私との触れ合いを嬉しいと思ってくださってるのかもしれない。
 
 母と会話が成り立たなくなった今、Tさん達とのちょっとした会話が 私も楽しい。
 
 支援員さん達も いつも明るく元気で感じよくて、母のちょっとした事を報告してくれる。
 
 
 昨日は、常駐の看護師さん(久しぶりに逢えた)が 類天疱瘡の治療に使ったステロイドホルモン剤の減量について、細かい説明をしてくれた。
 
 そして、以前、私が『母への投薬が寿命を縮めても、母が穏やかに過ごせることの方を選ぶ』旨を文書にして渡した事で「私たちとご家族が同じ方向を向けて、良い対応ができます。母桃さんは このところ すごく穏やかなお顔をされてます。 こうして娘さんが来てくれるのがわかるんですね」と言ってくれた。
 
 母の周りには やさしい気持ちが充満している。
 
 
 頑張り屋だった母の末路が認知障碍なんて、不条理だなぁと思う事もあるけれど、こういう環境に居られる事は 母の今までの頑張りへのご褒美なのかもしれない。
 
 
 そして、私も施設からの帰途、やさしい気持ちに包まれているのを感じる。
 
 
 以前 友達が「お母さんの面会に行く事が あなたの癒しになるといいね」と言ってくれたけれど、それを実感する。
 
 
 春の柔らかな日差しの中、やさしいきらきらの微粒子が私の車に降り注いでるような気がする。
 
 
 自分の体の痛みや異常以外にも 気がかりな事・気が滅入る事もあるんだけれど、やさしい微粒子のお陰で 眉間のしわが消え、鼻歌を歌いたいような気分になる。
 
 本格的な春になって、気温が上がると やさしさの微粒子が『暑い熱い悪魔』に変身してしまうだろうけど…。
 
 
  一日でも長く『やさしい春』が続きますように。
 
 
 
 
 

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2017年2月14日 (火)

母への想い・・・姥捨て山

 先日、年下の友達(結婚して独立している)から『実家でずっと飼っていた犬が天に召された』と 知らされた。
 
 彼女のお父さんは 数年前に亡くなっていて、お母さんがお婆ちゃんと二人で暮らしていたのが、去年、お婆ちゃんが亡くなり、わんちゃんも居なくなってしまった事で『お母さんが本当に一人になってしまったので心配です』と メールはつづられていた。
 
 その一文を見た瞬間、私は涙がこみあげてしまった。
 
 お母さんが本当に一人になってしまった・・・
 大きなお家に一人で暮らすお母さんを想像して切ないだろうな。
 
 そのお母さんは、私よりちょっと年上なだけで、テニスを趣味にし、お友達とランチをしに遠出ドライブもするし、明るくお元気で溌剌とした方。
 
 それでも・・・娘は心配なんです。
 
『できるだけ連れ出したいと思います』とメールは続いていた。
うん、優しい娘家族が近くにいるから大丈夫よね!
 
 朗読教室(ちょっとお休みしてますが)の新しい教材「おばすて山」をお姉さまが届けてくださった。
 
 よく知られている『年寄りを山に捨てに行く話』で、殿様の言いつけに従って 年老いた母親を一度は山に置いてきたものの、すぐに連れ帰り家の床下に匿う。
 
 その直後、殿様からの難題を何度も母親の知恵で解決し「実はこれは自分の知恵でなく、母親が考えた事でした」と白状したところ、殿様も『年寄りを大切にしよう』と心を入れ替えて めでたしめでたし。・・・という流れ。
 
 この朗読劇の脚本を読んだ時も 大体のストーリーを知っているにも関わらず、若者が母を置いて帰って来た夜『姥捨山にかかる月を見て・・・あの月を母も見ているに違いない』のところで、ぐっとつまってしまった。
 
 そして山を駆け上ると『洞穴の前に座って月を見ている母がいた・・・』 もうここで嗚咽。
 
 昔 「楢山節考」という映画を観た。 
同じく姥捨て伝説がもとになっていて、こちらは朗読劇とはずいぶん違う展開だったはずだけれど、細かい事はあまり覚えてなくて、ただ、雪の中に年老いた母親(当時は本当はまだ若かった女優さんが演じてた)が ちんまりと座って両手を合わせて拝んでる姿だけが記憶に残ってる。
 
 それを思い出して また胸をつまらせる。
 
 6年くらい前だろうか・・・母がまだらに認知障碍を発症してた頃、毎週、実家へ行って、母の食事の世話や家の片づけをしていた。
 
 そして老いを受け入れられない母はいつも怒っていた。
 
「ゆうこに監視されてるみたい!」
「ありがた迷惑!」
 
 母を傷つけないように気を遣いながら、自分の家の掃除もいい加減なくせに、実家の掃除をし、郵便物のチェックをし、内科へ、歯医者へ連れて行き・・・そして ののしられる。
 
 以前の母なら ちゃんと説明すれば納得してくれたのが、その頃はもう『どう言っても無駄・・・』 筆談しても読んだ先から忘れていくので、会話が成り立たない。
 
 だから私はいつもいつも我慢して 帰りの車で泣いてた。
 
 そんなある日、また母の怒りに接して 溜まっていたものが溢れ 持ってきた昼ご飯も食べすに『今日はもう帰るね』と書いて母に見せ、返事も聞かずに家を出た。
 
 車に乗ると、いつものように母は玄関まで見送りに来たけれど、私がいつもと違うのを何となく察してたんでしょう・・・心細い顔をしていた。
 
 もう今日は我慢できないんだもん! 心の中で叫んで私は車を発進させ、バックミラーで母の姿が小さくなるのを見ていた。
 
 数分走って・・・引き返したんだよね。
 
 心細げな母の顔・・・バックミラーに映る小さな姿・・・母が可哀そうで可哀相で、泣きながら引き返した。
 家に戻ると、母は 数分前の決裂の事をわすれていた。
でも何となく気まずく二人で昼ご飯を食べたんだった。
 
 結局、私の心はめでたしめでたしでは終わってないんだけど、あの時の母を思い出すと、やっぱり可哀相で 今でも胸が締め付けられる。
 特養に入居した事は 世間の一部では「姥捨て山」なのかもしれない。
でも、温かい食事が出て、綺麗なお風呂・寝具があり、排泄の世話もしてもらい、笑顔の支援員さん達が側にいてくれる・・・んだよね。
 
 決して、母は一人で月を見てはいない。 ん~今の母には月を見る事さえ無いけど。
雪の中で合掌して正座もしてない。
 
 そんな事を次々に考えて、何度も涙がこみあげるのでした。
 お母さん・・・今 私は何もしてあげてないけれど、大事なお母さんなんだ。大好きだよ。
 
 

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2017年1月25日 (水)

めめちゃん♥

 昨年末、自分の内科定期診察で病院へ行った時、介助者に車椅子を押してもらう母のような女性に会った。
 
 うつろな眼差しながら、彼女は腕に小さな人形を抱いていて、まるで本当の赤ちゃんに接するように大事に大事に扱っていた。
 
 自分のひざ掛けの端っこを引っ張っては、お人形さんを包むような仕草を繰り返してほほえましかった。
 
 で、私もひらめいた!
母にも 赤ちゃん人形を抱っこさせてみよう!
 
 ネットで探してみると お年寄りの癒し用人形は高価! 
幼児用のミルクのみ人形も良さげだけれど、今の母にはミルクを飲ませたり おむつを替えたり、おしゃべりする機能は不要。
 
 あれこれ探していて見つけたのが この子!

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 大型玩具店のクリアランスセールで、それまで見て来た介助用人形や幼児教育用人形の十分の一の値段。

 顔や手足はソフトビニール(?)で 人肌のような柔らかさは無いけれど、ボディは詰め物をした布製なので抱き心地は良い。

 首はくたんくたんで、首の座ってない赤ちゃんっぽい。

 横にするとお目目を閉じるのも 母には変化があって良いでしょう。

 

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 髪の毛が こんな風だったので、思い切って私がカットしてみたら、↓こんなに可愛くなりました。

Img_2521 「お転婆娘」が 一気に「よい子ちゃん」になりました~~~^^

 わたしの左肩に頭をのせて背中とお尻を支えると 本当の赤ちゃんを抱っこしてるような気分になる。(軽いけど)

 背中をとんとんしながら、つい呼びかけたくなる。

「りこちゃん」「にゅーにゅちゃん」…あれこれ呼んでいるうちに「めめちゃん」が しっくりきた。

 抱っこしながら自分の体を揺らして「めめちゃん」と呼びかける。

ソファーに座らせておいて、通り際にも「めめちゃんっ!」と呼んで頭をなでる。

 

 どんどん情が湧いてくる。

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 可愛いでしょう~~~~~涙笑。

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 こうして4日間 過ごしたら、母の所へ連れて行って毎日会えなくなるのが寂しくなってしまった。

 

 最後の日「めめちゃん・・・お母さんにかわいがってもらうんだよ」と言い聞かせた。

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鼻よりほっぺが出てるとこや、小さな顎やとんがった上唇が可愛いでしょ~~~。

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 さて、そんな風にして 母の所へ連れて行ったのですが…。

 

 最初の日は目も合わせてくれない。

「おかあさん、抱っこしてーーー」と 耳元で大きな声で言いながら、めめちゃんを母の胸に押し付けてもダメ。

 

  ネグレクト。

 

「だっこしてーーー」「おかあさーん」 と 呼びかけながら、めめちゃんを目の前で振ってアピールしたら、とうとうめめちゃんの手を掴んで…嚙みついた!!

 ぎゃぁーーーー! はい、暴力。  

 見事な虐待となりました。

 次の週に行った時は、もうすぐパパになる新婚の支援員さんが 両手で大切そうにめめちゃんを抱っこして 母のテーブルに移動させてるところだった。

 当の母は…めめちゃんには無関心。

 ふぅ…母の母性本能刺激作戦は失敗だったか。

 支援員さんの話によると、午前中は けっこう見てるし、めめちゃんの手を使って支援員さんの顔をなでたりするって。

 

 朝、起きた直後が 母が一番覚醒している時間帯らしい。 朝食後に薬を飲むから 午後になるにしたがってぼんやりするのかも。

 昨日 行った時は、めめちゃんは もう母の部屋に置き去りになってました(笑

 昨日は母の手指と足のマッサージから 手遊びを始めてみた。

母の顔の前で私の左手を開いて見せたら、そこに自分の右手を重ねてきた。

反対側の手も同様にしてみたら、同じように重ねてきた。

で、母と私の指をからめて両手を繋いだまま「いっち、にい、いっち、にぃ」と号令をかけて上下に動かしてみた。

 肩や肘の関節の運動も兼ねてね。

 あえて大きく動かして、下した時には母の太ももに触れるようにしてみる。 

「いっちーーー、に、さぁーーーーん、しぃーーー、ごっ」と、リズムもかえてみる。 左右交互にしてみたり「ばんざーい」や「ぐーるぐーる」や横開きも入れてみた。

 すると だらりと背もたれにもたれていた母の上体が だんだん真っ直ぐに!

 私の顔も見てる。

 最初は私に任せっぱなしだった動きに意思が感じられるようになってきた。

 そして、母の顔が『もうすぐ笑い出すんじゃないか』って風に見えだした。

「お母さん、これ楽しいの?」思わず聞いてしまったくらい。

 

残念ながら最後まで笑う事は無かったけれど、母が楽しんでいると思えたし、今までと違う反応は嬉しかった。

 

 そこで部屋へ戻って めめちゃんを連れて来た。

 

 母の顔の前で めめちゃんをちょっと揺らしてみたら、起こした上体からさらに顔を前に出して、めめちゃんの顔にこっつんと当てた。

 か…かわいい!

 調子に乗って抱っこさせようとしたら、それは失敗。

 手遊びと めめちゃんの顔にこっつんこを繰り返して 母と過ごす。

 おかげで私も腕の運動になりました。 息切れしたけど…。

 

 めめちゃん…お母さんをよろしくね。

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2017年1月17日 (火)

母の猫パンチ!

 去年6月にグループホームから特別養護老人ホームへ転居した。
 
 9月に、常駐の看護師さんが 服用中の薬を点検して「向精神薬を減らしてみたい」と言ってくれた。
 私の了承を得、医師と相談して減らしてもらって一か月後くらいから、それまで無かった反応が見られるようになって喜んでいたんだけれど…。
 
 11月には 類天疱瘡の疑いのある湿疹が出て 痒みを言葉で訴えられないのでイライラし始めた。
 
 支援員さん達を叩いたり蹴ったりつねったり。
 それは私にも。
 
 毎週、母の所へ行く度に、支援員さん達に「母に叩かれてるでしょう。 ごめんなさいね」と、謝りまくった。
「いいんですよ! 母桃さんがお元気な証拠だから、私たちは嬉しいくらいですから」と どの人も笑顔で言ってくれて、本当に救われてた。
 
 でも…私自身が突然 叩かれたり蹴られたりする事に嫌悪感を持つ。
 いろんな事がわからなくなっているのにも関わらず、急所を狙う事は本能でわかってるのかしら。
 
 顔をひっかかれれば傷がつくし、両目の真ん中あたりを狙ってくるから怖い。
ある時は、セーターの上から胸をつねられ、青あざが一週間消えなかった。
 
 
 グループホームの終盤の頃も、私の手指を反対側にねじったり、噛もうとしたりしたんだった。
 
 手指への攻撃は、私がしっかり拳を握っていれば、それをほどく力は母には無いので大丈夫なんだけど、そうすると今度は、私の手を掴んで車椅子のひじ掛けに打ち付ける。
 自力で叶わないとなると、物を利用して攻撃する。
 すごい知恵だ。
 
 認知障碍の人が妄想で嫌なことをされるのから逃れる為に必死で抵抗する暴力とは違う。
『こいつを痛めつけてやる』な感じ。
 
 
 支援員さん達は「痒くてどうしようもないんですよねぇ」と気遣ってくれるけれど、下の世話をしてくれてる人に そんな暴力振るうなんてね…。
 
 毎週 訪れるごとに、母の暴力はひどくなっていった。
 
 いつも口元までスプーンで食べ物を運んでたんだけど、突然の攻撃を避ける為に、私は精一杯腕を伸ばす。
 まるで『檻の外から猛獣の餌やり』
 
 飲み物も私がコップを持ち、曲がるストローをくわえさせるんだけど、ごくごく飲んでたかと思うと 次の瞬間、私の持つコップを振り払うのでこぼれる…泣。
 
  『突然の攻撃』は、本当に素早くて避けようがない。
 猛獣の餌やりの合間には、私は母の手のとどかない位置に座るようにしてるのに、突然、上半身を乗り出して猫パンチをくらわせてくる! 
 いつもじっと座ってるだけじゃ~ん、そんなに素早く上半身乗り出せるなんて 知らなかったよ~。
 
 
「すごい早業で乗り出して猫パンチだも~~ん」と 支援員さん達に声を上げる。
 
「母桃さ~~ん、娘さんが痛いって~~~」  こうやって受け止めてもらえることでも 私は救われるけど、支援員さん達が母の猫パンチ攻撃を四六時中受けていると思うと申し訳なくて。
 
 そして自宅で介護してて、自分一人で全てを受け止めなければいけない人はどんなに大変だろうと想像する。
 
そりゃ 思わず叩き返したくなるだろうな。
 
 また看護師さんと相談した。
「向精神薬を多用すると寿命が縮まるので、あまり使いたくないんですよね…」と看護師さん。
 
 そこで私は、母が元気だった頃から、母と私と夫と3人で語っていた死生観などを説明したうえで『娘としては、お世話してくださる支援員さん達に痛い思いをさせる事の方が嫌だ。寿命が縮まったとしても、亡くなった時、支援員さん達が もう少しお世話してあげたかったと思ってくれるおばあちゃんで居てほしい。母もきっとそう思うはず』という旨を文書にして渡した。
 
 看護師さんや支援員さん達の協議を経て、医師に向精神薬を再開してもらった。
 類天疱瘡(疑い)の湿疹も投薬と塗り薬(支援員さん達が 毎日 塗ってくれる)で綺麗になり、痒みからも解放されたようで、以前のような攻撃性は治まってきた。
 
 それでも…母がふいに自分の頭を掻こうとして右手を上げかけると、私は咄嗟に体をそらせて回避体勢をとってしまう(苦笑)
 
まるで虐待され続けた子供が親のちょっとした動きに恐怖を感じて逃げるみたい。
 
 2015年の秋、グループホームで撮った写真は まだ笑っている。
 
ああ、こんな時があったんだなぁ…。
 
よく「認知症になってしまった親は もうそれまでの親とは違う人と受け止める」「宇宙人だと思う事にしている」などと 介護の話を聞く。
 
 私はちょっと違う。
 
 今の母も間違いなく私の母なんだ。
 
 そして、数年前のしっかり者で朗らかで穏やかな母は『母の姉妹』みたいな感じかなぁ。
 
 甥っ子と嬉しそうに写る写真を見ると ああ、綺麗でおしゃれなおばあちゃまだなぁ~と思う。
 あ、私のお母さんだった…と気づく。
 
いろんな話をしたね。
もうそんな事はできないんだ。
 
私の名前を呼んでくれることもないんだ。
 
でも 母と私の思い出は絶対に消えないよ。
 …と、センチメンタルな気分にひたりつつ、猫パンチは かわさなければ。

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2016年11月28日 (月)

介護の心得

 新聞の介護のコーナーか投稿で「介護で一喜一憂してはいけない」と読んだ記憶がある。
 それはおそらく認知障碍が進行中の人の症状に振り回されないようにって事だろうなと理解してた。
 私は、ありがたいことに、母の認知障碍が進んでいくのを ごく自然に受け止められてきている。
 
 まだらボケの状態で、まだしっかりしている母が自分の老いを認めたくなくて(私はそれを指摘しないように気を付けてはいたけれど)不条理に私に怒りをぶつけてきていた頃が一番つらかった。
 
 頭や感情のねじが すっかり緩んで来てからは、先週できていたことができなくなっていても「ああ、やっぱり こうなるんだ」と。
 いつも「今の状態は明日には もう無くなるかもしれない。だからこの瞬間がありがたい」って先回りしてた効果かも。
 
 それでも半年単位で以前を思い出すと「こんなに進行しちゃったんだ…」とため息をつくこともある。
 
 受容できてるとは言っても、介護施設の支援員さん達に全面的にお世話になっていて、私はこれと言って手を煩わせることもないから、思い煩う事が無いんでしょうけどね。
 
 そんな日々の中にも「一喜」は、しばしば訪れる。
 10月、母の大親友のDさんの娘みーちゃんが「おばさんに逢いたいし、ゆうこちゃんにも逢いたい」と連絡をくれて、何年振りかに会って、一緒に母の所へも行った。
 Dさんは、長男を病気で亡くしたこともあって、私の病気を心から心配してくれた。
母はどれだけDさんに助けられた事だろう。
 
 そんなDさんは、認知障碍により母よりずいぶん先に施設に入所している。
みーちゃんは、母のいる施設を見て いい所だねと感動していた。
「お母さんが可哀そうになってきた。お母さんもここへ入れたい」と、帰りにはパンフレットを貰ったくらい。
 
 そのみーちゃんとの対面で、もう私の事もわからない母に『Dさんとこの みーちゃんだよ』と書いて見せると、文字を見て、みーちゃんをじっと見た。
 ちょっと難しい『Dさん』という漢字に反応して、記憶の扉が開きかけたんだろうと、みーちゃんや支援員さん達と顔を見合わせた。
 
 6月に特養に転居してから、常駐の看護師さんが ずっと服用している薬を見直してくれて「随分 落ち着いてみえるので高揚感を抑える薬をやめてみたいのですが」と言ってくれた。
 私の承諾を得、医師と相談して9月から複数の薬をやめた。
その結果、以前 無反応だった事に反応が見られるようになってきた。
おやつを食べさせて「おいしい?」と ゆっくり聞くと 「おいしい」と口の形が言ったり、うなずいたり。
 その度に、支援員さんに「今 反応したわ!」と報告し、「よかったですねぇ~」と 一緒に喜んでもらえる。
 
 またある日は、支援員のUさんが 幼稚園の子供たちが訪問してくれた日の事を話してくれた。
「母桃さん、子ども達の歌とお遊戯を すごく嬉しそうに笑って見てたんですよ。 その後、子どもたちが一人ずつ順番に入居者さん達と握手するんですけど、その時も 母桃さんは笑顔で両手を握ってて、私 母桃さんが あんなに笑うのを初めて見て嬉しくて。ゆうこさんにも見せたかった」
あぁ…母は幼い子供が大好きで、認知障碍が始まってからは、可愛い幼児に見境なく接触しようとするのでハラハラもしたけれど、その感情がまだ残っていた事に驚く。そして嬉しい。
 それを喜んでくれて、私に見せたいと思ってくれたことも嬉しかった。
 
 その支援員さんの話は まだ続きがある。
「後日、そのことをユニットで報告してたんです。 母桃さんが 子供を見てすごく嬉しそうに笑ってましたって言ったら、Mさん(支援員さん)なんて涙ぐんでしまって」
 
 UさんもMさんも 自分の親のように思って接してくれてる。私の事まで思いやってくれてる。
 新築の施設も心地よいけれど、こういう支援員さん達の元に居られる幸せをしみじみと思う。
 デイサービスもグループホームも、アットホームで穏やかで明るい職員さん達ばかりで、母は恵まれている。 私も幸せだと思う。
 
 こういうささやかな喜びに満たされる日もあるけれど、母には次々に新しい病状が現れる。
 
 口の中に出来物ができて食事が摂りにくかった時も、支援員さんが歯磨きをして気づいてくれたけれど「口の中が痛いから食べたくない」と言えない母は可哀そうだった。
 差し歯もいくつか抜けてるし、きっと日常的に口の中は痛いだろうな。
 
 今は「類天疱瘡」の疑いで、ステロイドホルモン剤を塗布・服用している。
看護師さんから「医師は疑いという事でステロイドホルモン剤を使用してみて、それでよくならなかったら、また考えるという事ですが、疑いだけで あまり長期にわたってステロイドを使うのもどうかと…」と説明を受けた。
 37年間、ステロイドホルモン剤を服用している私は 一般の人よりもずっとステロイドに抵抗感が無い事を伝えた。
 それでも「セカンドオピニオンも視野に入れて、様子をみていきます」との有難い返事。
 もし在宅で看ていたら、母を病院に連れて行く事さえ大仕事。 本当にありがたい。
 感謝で胸を熱くしながら、全身に水泡ができて痒いのに、言葉で言えない母が不憫にもなる。
 
 
 高揚を抑える薬を無くしたことで、半分夢の中に住んでいた母が覚醒した感もあったけれど、比例してイライラを行動で表すようになってきた。
 今年初め頃は グループホームで、テーブルを両手でずっと叩き続け、手のひらにあざができる程だったので、母のテーブルには薄いクッションを置いてくれるようになってたっけ。
 また私の手指を逆にひねったり、自分の口元へ持って行って噛みつこうとしたりしたっけ。
 
 それがいつごろからか無くなって おとなしくじっと座ってるおばあさんになってたのに は半月前から再開した。
 
 支援員さん達に「突然 蹴ったりするから危ない思いしてるでしょう」「シモの世話をしてもらってるのに 蹴ったり叩いたりして 本当にごめんなさい」「乱暴になってさらに迷惑かけてるよねぇ」「私が家で見てたら絶対に怒れてくるのに、ここで面倒みてもらってるから ひと時でも優しくできる。ありがとうございます」と、いつもいつも謝ってお礼を言う。
 
「母桃さんがイライラを見せるのもお元気な証拠だから 逆にうれしいですよ」
「ここが痛いから、こうしてとか、痒いからああしてとか言えないから お気の毒です」
と言ってもらったりすると本当に救われる。
 
 お任せしているから『私は介護してる』とは思ってないけれど、毎週行けば、不憫な母を目の当たりにして重い気持ちになる。
 施設から「足の爪がはがれました」「巻き爪を処置してちょっと出血しました」と電話を貰えば、さらに可哀相で気が滅入る。
 
 これも「一喜一憂」って事なのかな。

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2016年9月15日 (木)

介護は無理だなぁ

 介護現場での虐待がニュースになるたびに『他人事じゃない。介護者だけを責められないな…』と思っていた私。
 
 毎週、特養の母をたずねて、数時間一緒に過ごすだけだけれど、精神的負担がどんどん大きくなる。
 今の母は、生後2ヶ月くらいの新生児。
 首がすわってて、椅子(ひじ掛け必要)に座っていられる事が唯一、赤ちゃんより優れてるかな。
 
 排泄コントロールは不能。
 口元に何かを差し出されれば口を開き、口中に入れられれば噛む…だから歯ブラシも噛む(泣)
 言葉は一切発しない。 だから感情表現も無い。
こちらの言う事を書いて見せても もう文章の理解もあやしくなってるので無反応。
 
 『母の姿をした個体』なので、おろそかにはできないから、精一杯、優しく接してはいる。
でも…何の反応も無いんだよね。
 もう そんな母を愛しいとも思えなくなってきてる。
 赤ちゃんなら笑ったり泣いたりする事で こちらにも「喜んでるんだな。これは嫌なんだな」って分るし、笑えば可愛いんだよね。
 今の母は無表情で たまに目を合わせてくれても 私を見てる感じがしない。
 おやつを持って行って食べさせるんだけど、噛んでる事も忘れて飲み込まず(嚥下障害ではない)左のほっぺに どんどん溜めていくの。
 …可愛いリスさんに変身。
 ガーグルを準備して『うがいしてね』『飲んだらダメだよ』『ぶくぶくして ペッて出して』と水をふくませると…飲んでしまう。
 ほっぺに溜めたものも一緒に飲み込んでくれればいいけど、上手に分けて ちゃんと残してある。
 もぉ…お母さん…どうすりゃいいのよ…と 心で嘆息する。
 
 支援員さんが「後でもう一度 歯磨きをします」と言ってくれるから、内心ほっとしながらお任せして帰ってくる。
 暴言を吐いたり暴れたりするよりは ずっといいとは思うけど…。
 
 ・・・もし家で介護してたら『お任せする』『現場から逃げ出す』事ができず、私はどうしていただろう?
 そういう介護生活してる人は大勢いるよね。
 週に一度のたった数時間で、こんなに疲弊する私は、24時間それも終わりの見えない介護は無理だ。
 
 『使えない娘』でも『無反応な母』に代わって 支援員さんにお礼を言う事だけはできるから、せめて週に一度は母のところへ通います。

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2016年8月 6日 (土)

終の棲家

 グループホームから特養へ引っ越して一ヶ月が過ぎた。
 ここが母の終の棲家になるんだろうな…。

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 母の部屋もやっと整った。 逆光で綺麗に撮れなかった。
 窓を背にすると こんな感じ。

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 建物全体に木の香りが充満し、住み心地は良さそうだけれど、今の母にはわからないだろうなぁ。

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 歯磨きも支援員さんにしてもらうんだけど、それぞれの個室には こんな洗面台も。

 要介護3以上が入居条件。

 でも母以外の人たちは、随分しっかりしてらっしゃるように私には見える。

 自室に冷蔵庫やテレビやデスクを置いてる人も。 快適な『私の部屋』だよねぇ。

 リビングも広々。

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 駐車場の向こうは田んぼなので、吹き抜けて来る風が気持ちいい。

 まるで高原の別荘に居るみたい。

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↑逆光で 暗く見えるけれど、実際は明るくて綺麗。

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 リビングは、ボール投げでもできそうなくらい広い。

 私も こんなところで入院生活をおくってみたいと思う。 

 いつか私もお世話になる…だろうな。

 できれば自分の事は自分でできる状態で入居したい。

 

 若い支援員さん達が笑顔でサポートしてくれるこの場所…嬉しいとか辛いとかって感覚も失った母には『家に帰りたい』という想いも無いけれど、ここの良さもわからないだろうなぁ。

 

 

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2016年7月28日 (木)

母との時間

 母の介護認定面談にそなえて、この1年間の母の変化などを記録した物を見返した。
 本当に坂道を転げ落ちるような勢いで 母の認知障碍は進んだ。
 
 幼馴染が「どんなに認知症が進んでも おばさんは花桃の事だけはわかると思ってた」と驚く。
 『私の事もわからなくなった』のを 私は不思議に抵抗なく受け入れられた。
「こんなに近くに居るのに、なんでわからなくなったの? 私よ! 思い出してよ!」って嘆く話はよく聞く。
 そういうストレスを感じずに済んだのは、幸せだね。
 
 私は日常の小さな幸せを書き留めておくノートを持ってる。
「こんな事があって嬉しかった」「○さんに褒められた」って事から「こんな素敵な夢を見た」って事まで。
 そんな嬉しい事なのに、残念ながら日常的な小さな出来事だと忘れてしまって、その時 感じた幸福感は長続きはしない。
でも書いて残しておくと、後々 読んで「ああ、そうだった~」と また思い出してちょっと幸福感を味わえるの。
 
 そのノートに書いてあった。
 
【2015年7月21日(火)】
「こんなお母さんでごめんね。 こんなお母さんの側にいなくちゃいけなくて、ゆうこは可哀相だね。ごめんね」
 ちがうよ!と 首を振って両手を握る。 母の手や頬をこんなに触れるのは 幸せなことだ。
 ちょうど一年前だ。
 グループホームへ行き、喫茶店へ連れ出した帰りのホームのエレベーターの中だった。
「こんなお母さんの側にいなくちゃいけなくて可哀相」は、私が母の面倒をみる為に結婚もしてないと思ってるんだろうな。
 エレベーターはすぐに2階に着くのでノートテイクもせず「違うんだよ。全然 可哀相じゃないんだよ」って母に伝えたくて、精一杯のジェスチャーをした。
 あの時も「これも母と私の幸せな一瞬の記憶」と思って書き留めたんだろうね。
「ゆうこ」と呼ばれる事さえ無くなった今では、本当に貴重な記憶になった。
 私が結婚してる事も忘れてたんだけれど、それでも「娘を想う母の気持ち」の発露だった。
 
 母の老いが始まった頃は、年寄り扱いされるのが嫌で、一緒に歩く時、私が背中にちょっと手を回すだけでも嫌がった。
 でも この数年は、母とのコミュニケーションは、私が触れる事しかない。
手指や足のマッサージをされるままになってる母。 気持ちいいのかどうかさえ分からない。
 時々、蹴ったり手を振り払ったりするから、その時は「不快」なんでしょうね。
 
 先日の面談では、介護保険課の職員さんと、特養の支援員さんが「この方 誰かわかりますか?」「娘さんですよ。わかりますか?」と 何度も聞いてくれて 何度目かに「わがる…」と答えた。
 『わかってない』のは 一目瞭然。 「わかりますか?」に対して浮かんだ答えが「わがる」だっただけで(苦笑)
 発音も不明瞭になってきてるけれど、母の声を聴いたのは本当に久しぶりで嬉しくて、母の顔をなでまわしてしまった。
 母は困惑するでもなく、喜ぶでもなく、照れるでもなく…無反応(苦笑)
 
 肌の手入れもしてないのに、どんどんすべすべになっていく母の頬。 赤ちゃんの ふっくらすべすべとは違うけれど、きれいだなと思って触れられる今は幸せだと思う。
 

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