病気(SLE・骨頭壊死など)

2018年7月 7日 (土)

初めての(場所へ)お出かけ

 1日(日) グランパスの古川キャンプに行って来た。
 …下見に行って来た。
 
 朝の陽ざしを見た瞬間 『無理だ…』と思ったけど、夫が運転してくれるから行けた。
下見と言うのは、私の本当の目的は、平日に行われる予定のトレーニングマッチを見ることだから。
 平日、単身車椅子で行く為には、夫同伴で下見に行っておかないと。
 
 キャンプ地 古川ふれあい公園は 前もって色々調べた。
公式サイトの写真を見ると…高台にあるっぽい・日陰は無さそう・長い階段・芝生の土手。
 うぅぅ…私に「来るな」と言ってる。
 
 ふれあい公園の管理部に電話して『車椅子でグラウンドまで移動できるのか・駐車場はどうなっているのか』確認する。
 写真や地図や聞いた情報をまとめて『遠くからでも見る事は可能』と判断。
 往復は、夫に甘えて(そういう意味の甘えて…じゃないよ)後部座席で横になっててもいいし…と 決死の覚悟で出かけた。
 
 はい、ちゃんと助手席で うちわや帽子やサングラスで日を避けながら、寝る事もありませんでしたよ! (変なプライドと 夫への誠意)
 
 車椅子で自走する身としては、階段なんてもちろん、ちょっとした段差も大きな壁になる。
こういう事は健康な人にはわからないだろうなぁ。
 現地に到着すれば、車椅子は『座る場所が確保されてる』わけで、そこは健常者よりも楽かも^^
 『足が普通だったら あそこまで行くのになぁ』っていう想いは いつも瞬殺。
 『来られて良かった』
 『連れて来てくれる夫が居てありがたい』と 自動変換される。
 
 高原の夏空。
 青く並ぶ山。
 風に揺れる樹木。
 気温は高くて 避暑地とは言い難かったけれど、それでも「家に居たら 今日は死ぬほど暑かったよね」
 
 往路のSAで食べたソフトクリームが美味しくて、帰りにも同じ物を食べた。
 ついでに言うと…高速道路を下りてから夕飯をとった店でも「あそこのソフトクリームがどう違ったのか確認したい」と この日 3個目のソフトクリームを食べました~~~。
 
 さて、無事に下見が終わり、水曜日のトレーニングマッチには、JRとタクシーを使って 行けるんじゃないか…と思った。
 
 でも火曜日に母のホームへ行っただけで、もうぐったり。
 車椅子を自走する力が無い。
 もし眩暈を起こしても車椅子だから倒れる心配は無いけれど、やっぱり家から遠く離れた場所で何かあったら困るなぁ。
 JRの乗り換えも 昔は単独車椅子でもこなしたけれど、体力の低下で自信が無い。
 
 無理だ…やめとこう。
 寿人がプレーする姿を見たい。 
あとどれくらい残されているのかわからない現役生活の中で、それを見るチャンスは 一回でも無駄にしたくない。
 揺れる想いも 前夜の体の状況で「無理!」と判断。
 
 よって何の準備もしないまま水曜日(トレマの日)朝を迎えた。
うぅ~薄曇りで風もあるじゃん。 私的には快晴よりも楽。
行けなくもない…とも思ったけれど、乗換駅へのバリアフリー確認もしてないし、急に行く事にするのは無理だ。
 
 なんともやりきれない思い。
 
 結局、トレーニングマッチは現地では酷い雨だったようで、行ったら行ったで大変だっただろうな…行かなくて良かったんだ…と 納得させた。
 
 どんどん動けなくなってるなぁ…。
 免許も車も持ってるのに、高速道路の運転したこと無い(怖くてできない)・2時間以上の運転した事無い(疲れるのが分かってるから したくない)・初めての場所の運転は前もって夫の運転で 独自の地図を作成しないとダメ。
 
 これは病気や障碍とは無関係。
 私がどん臭いだけ。
 

|

2018年6月22日 (金)

真心の応援

 先週、洗濯機の中に居るような眩暈に襲われて以来、寝たり起きたり。
 最低限の家事だけすると ちょっと休憩で横になる。
 横になってると眠ってしまう。
 これじゃいけないよなぁ…。
 土曜日には少し食欲も出て来て、冷蔵庫の食材も底をついてきたし「よし!明日は、夫に同伴を頼んで買い物に行ってみよう!」と決意。
 さて、その翌日の日曜日早朝、布団の中で『あれ?なんか変』(デジャブか)
横になったまま目をこらすと…あぁ~見慣れた家の中の景色がぐるぐる回ってるぅ~~~。
 横になってるから倒れる心配は無く、でも気持ちの良いものではない。
 そうしてるうちに吐き気をもよおす。
 トイレまで杖と壁を頼りに移動する。 吐き気はあるものの吐かなかった。
 すっかり気落ちする。
 そこからまた『寝たり起きたり』
 このまま動けなくなっちゃうのかなぁ…。自己嫌悪と不安。
そんな時、友達とのやり取りの中で思いがけない力をもらったりした。
思いがけない人が『眩暈経験者』だったり。
 古くからの友達の中にも『眩暈経験者』は複数居たのを思い出して、アドバイスをもらう。
 火曜日は内科の定期診察。
 外待合に居ると、主治医が通りかかり「今日 眩暈がしたので その診察も予定して早めに来ました」と伝える。
 主治医が去ると 隣に座っていた女性が「私も眩暈やりましたよ。三ヶ月くらい何も食べられなかった」 あぁ~そうなんだ~。 私は 少し食べられるようになってきてるから、そこまでひどく無いのかなぁ。
 眩暈経験者の友達の話を聞いても 私は軽そうだったし。
 内科の順番が来て、いつもの血液・尿検査の結果は「SLE的には問題ないよ」と。
眼球の動きを主治医が見て「大丈夫そうだけどなぁ」
 私はいつも病院へ来ただけで ちょっと元気になり、主治医に会うと 更に大丈夫になる。
 ステロイド剤を勝手に増量した旨も報告してあり「ステロイドは、元の量に戻しておこうね」と諭されてしまった(苦笑)
 耳鼻科に回してもらった。 総合病院はこういう時 本当にありがたい。
 耳鼻科の問診票には「めまい」が別枠であるのね。
 症状の記入の他に、
・突然 目の前が真っ暗になる
・頭を動かすと眩暈が起きる
など、YES・NOで答える項目が複数あり、私は「ふわっとする感じ」以外は全部 NOだった。
 耳鼻科の中待合に居ると、同世代と思われる女性が車椅子を夫らしき人に押してもらって診察室から出てらした。
 看護師さんが「〇日に予約を入れました。耳から水を入れて あえて眩暈を起こす検査なので…」と説明してる。
 うへぇ~私もそれやるのかなぁ。 また来るのも嫌だなぁ…。
 名前を呼ばれ診察室に入ると、歯科医にあるような仰々しい椅子に座らされる。
 ドクターが眼球の動きを目視し「今は大丈夫ですね」 
 
 はい、そうなの。 じっとしていれば普通。
 そこから『仰々しい椅子』の意義を知る。
 
 看護師さんとドクターが声を合わせて「はい、椅子が回りますよ~」
 うひょ~回すんだ~~~。 思わず目を閉じてひじ掛けを掴む。 うん、これは誰でも一瞬 たじろぐよね。
「次は倒しますよ~」
 
 あ、ひじ掛けが無い! ひじ掛けは背もたれが倒れるのに合わせて引っ込むらしい。これは怖いよ。(眩暈とは無関係に 私は何かに摑まっていたい)
 次はゴーグルを当てる。 私には真っ暗な目隠しだけど「こちらからは 花桃さんの目が見えてますからね」とドクター。
 それを着けて椅子を回したり倒したり起こしたり。 最初の数回こそ、何か動きがある度に目を閉じていたけれど、後半は開いてても大丈夫になってきた。
 全てが終わり ドクターが「今は何の問題も無いですね」
 結局『一過性で自然治癒する眩暈だったんでしょう』との診断だった。
 ありがとうございます! 色んな人達に感謝。
 数日前だと車椅子の自走も難しかったけれど、この日は 夫が「仕事休んで連れて行こうか」と言ってくれたのを「タクシーで行けるから大丈夫」と断り、車椅子自走でひとりで来た。
 それは前日までの友達とのやり取りで貰ったエネルギーが大きく影響してたと思う。
 ヘタレの私は、ちょっとした思いやりがすごく効く!
 帰りには食材も買いたくて、さすがにそれは夫が「買い物中に何かあったら困るから」と 迎えに来て付き合ってくれた。
 この一週間、このまま動けなくなっちゃうのかな…と なんだかもう何もかも嫌になっちゃうような、面倒臭いような、投げやりな気分になる事もあった。
 まだふわふわした感じはあり(これは眩暈が起きる前からよくある症状)杖を使ってもスタスタ元気には歩けない。
 でも ゆっくり慎重に買い物に行ってみようかなと思えるくらいには回復してきた。
 母の所へも行かなくては。
 『周りに心配かけたくないから』と自分の病を隠す人が居るけれど、私は(年老いた親以外は)どんどん心配かける。
 心配してくれて『頑張れ』と思ってくれる人が一人でも多い方がエネルギーを貰えると思ってるから。
 って事で、たくさんの人に心配かけましたが、前向きに方向転換できそうです。
これからも どうか力を貸してくださいね。
 

|

2018年6月15日 (金)

ぐるぐるぐる

 火曜日、特養の母の所へ向かう途中、いつものようにスーパーで母への差し入れ(一週間分の乳酸飲料・パン・お菓子・果物など)を買い、駐車場の車に荷物を載せようとして…杖を車に立てかけ…あれ?なんか変。
 股関節を庇う為に 普段でも摑まれるところがある場所では、必ずどこかに手をかけている。
 その時も無意識に車のドアに片手をかけてはいたけれど、体がそこにぐぐっと傾いていくような感じ。
『手をかけておく』では済まなくて『必死で摑まる』状況に。
 これは眩暈だ。
 もう体が洗濯機の中にいるように ぐるぐる回りだすような感覚。
ぐるぐるバットで回転した直後のように、意思とは無関係に体が引っ張られる。
 転んではいけない!!
 
 慎重に慎重に運転席に体を押し込む。
 隣のスペースが空いていたのが救いで、カートも荷物もそのまま。
『しばらくの間だけですから』の意思表示として、ドアも開けっぱなしで、カートを挟み込んでおく。
 5分くらい静かにして、洗濯機からは脱出できた。
 そぉ~っとそぉ~っと荷物を車に載せ替え、カートを所定の位置まで戻しに行く。
転ばないように、転ばないように。
こういう時 杖はありがたい。 杖無しでは怖くて歩けない。
 運転席に座り、やっと窓もドアも閉めてエアコンをつけて目を閉じる。
背中がシートにめりこんでいくような錯覚。
 しばしそうやって過ごしながら、さて…と考える。
 このまま帰るか、母の所まで行くか。 ちょうど道半ば。
 ここまで来たしなぁ…買った物もあるしなぁ…。
 じっと座っていれば眩暈も感じなくなっていたので 行く事に。
 
 母の所では、いつものように時間をかけておやつを食べさせる根気が続かず、早々に退出。
 今度は自分ち用の買い物。
 すぐに食べられるお惣菜などを買って 慎重に慎重に運転して帰る。
 はぁ…無事に帰宅できて良かった。
 洗濯機の中に居るような眩暈は治まったけれど、その後もずっと足元が不安。
 日中は風もあって、それほど暑いと思わないんだけど、老人は暑さや喉の渇きの自覚が無くなっていくんだってね。
 確かにここ数年『家にじっとしてれば、ニュースで騒ぐ程の暑さじゃないじゃん』と思いつつ、夕方からどんどん具合が悪くなり、夜のニュースで『今年の最高気温更新』を知り、なんと感度の良い体か…と思う事が増えて来た。
 体の感度が良いんじゃなく、自覚機能が衰えているんだな…危ないアブナイ。
 翌水曜日からはステロイドホルモン剤を大量投与し、ドーピング効果を狙ったのだけれど、期待ほどの改善が無い。
 発病した二十歳の夏、入院して大量投与(プレドニン16錠)が始まって間もなく、それまでのしんどさが消え、廊下を走りたいくらいの衝動を覚えた。
 ステロイドハイでもあったんでしょうね。
 たかが4錠では そこまでの効果は期待できないか…。
 日中、起きていられる時間が少しずつ長くはなってきてるけど、まだ買い物に行くのは怖い。
 室内でも杖を突き、壁に手を当てて ゆっくりゆっくり歩いてる。
 洗濯・炊事の最低限の家事はしてる。 掃除は…してない。
 こうして更に足の筋力も落ちていくなぁ…。
 一ヶ月前から約束してある友達とのランチまでには回復せねば。
その後、別の友達からのお誘いは『保留』にしてある。
 

|

2018年4月 9日 (月)

受容する

 
 
 右股関節に痛みが出始めたのは 去年の年明け。
 「あ~ちょっと痛いなぁ…人工関節に異常が出てるのかなぁ」
 
 そして去年の夏、亜脱臼。
 亜脱臼の激痛は数日で治まり「あぁ~良かった」
 
 でも年明けからの痛みは消失する事が無く、少しずつ増していたんだと思う。
 
 2018年が明ける頃には、毎朝、起き上がる時に「あぁ…痛い」と。
一日の始まりに毎回 痛みを感じるのって 本当に嫌だ。
 怪我の痛みなら『日にち薬で治っていく』と思えるから我慢もできるけど、私の股関節の痛みは進行するのみだから気が滅入る。
 
  2004年に右、2012年には左を人工関節置換して、いくつかの禁肢位や不便はあるものの、時には杖無しでも歩くようになり 楽だなぁ、ありがたいなぁと思ってた。
 
 2012年からの5年間だって、たまに激痛(自分で理由がつけられる・回復する)があって
 室内でも杖に頼らなければ立てない事もあったんだけど、それは一過性で、そんなにめげなかった。
 
 なのに『悪くなっていくだけ』の日々が再開するとは…。
 
 そして、近頃は、毎朝起床時の痛みが『当たり前の痛み』になってきた。
痛いのが普通なので、痛みを少しでも回避できるような姿勢をとる。それでも痛いんだけどね。
 
 『当たり前の痛み』になると 気が滅入る事はなくなる。
 あぁ、私の受容力の素晴らしさ☆
 誰も褒めてくれないから自分で褒めとく!
 
 俳優の坂口憲二さんが 大体骨頭壊死症で活動休止を発表して話題になってる、その『大体骨頭壊死症』22年目のわたくしで~す。
 
  坂口憲二さんは、数年前に手術をしてるのね。 それで また痛みが出たとなると その時の手術は おそらく私のケースと同じで『骨切り回転術』でしょう。
 手術してリハビリして 色々気遣いや工夫しながら日常生活を送り、俳優業をやってきたのに「またダメなのかよ…」って 嫌になっちゃうだろうなぁ。
 インドア派の私と違って活動的な人だしね。
でも 今の状態だって、ナレーションとか歩かない役ならできるのになぁ…とも思う。
 
 ・・・私は こうやって自分で迂回路を作って来たんだろうね。
 
 子どもを産んでお母さんになる…と 気負いもなく想像していた自分の未来は 全身性エリテマトーデスの発症により『子供を産まない』道へ。
 
 それでも『理解ある夫と結婚できて幸せ』だと思えたし、人様の子どもを羨んで苦しむ事もく、友達や近所の子どもを可愛がって満足できてた。
 
 『お母さん』になってたら当たり前にやってたであろう事ができない寂しさよりも『子供が居たら こんな事 できなかっただろうな』と感謝する事さえあった。
 
  『できない者の開き直り』とは違う、もっと素直でシンプルな感情。
・子供が居たら こんなに好きな時に寝てられないよね。
・子供が居たら、学校へ急に呼び出されたりして 自分の予定がダメになる事あるよね。
・・・・自分の都合だけで好きな事ばかりできないよね。
・・・・子供の手前 頑張らないといけない事あるよね。
 
 子どものいる人が当たり前にやってる事をしなくてもいい、怠け者の私にぴったりの境遇ではないか。
 
 歳をとってきて「子どもが居たらなぁ…」と 羨ましく思う事は増えた。
それは子供が幼い頃の親行の苦労をせず、ただ単純に『頼れる若い存在が近くにある』のが羨ましいという身勝手な思い。
 
  『今が幸せ』と思えるのは 『今 当たり前にある物がずっとあるとは限らない』と いつも思ってるからなんでしょうね。
 
 股関節の痛み、2012年の手術の前には、痛みと違和感の為に 布団の中で足を四の字にできなかった。
 
 2004年の右股関節置換の前は、運転中、アクセルとブレーキを踏みかえる度に(激痛とまではいかないけれど、かなり強い)痛みがあった。
 
  台所で食事の支度中、股関節がずれた感じがすると椅子に片足を上げて自分で調整し、時に夫に引っ張ってもらった。
 
 私 よく頑張って来たじゃん…。
 今はまだ四の字もできるし、じっとしていれば痛みはほとんど無い。
 
 ただね…室内でステッキをつくと 日常的な動きがいちいち面倒臭い。
 何をするにも 一回一回 ステッキを持つ・ステッキを立てかける動作が入る。
立てかけたステッキが倒れると んぐ~~~っ!となる事も。 だって拾う動作が大変なんだもん。
 
 片手がステッキ用でふさがってるので、タンスの部屋からリビングに着替えを持ってくる事でさえ何往復かしなくちゃいけない。
 結婚以来、夫の下着と明日のワイシャツ・ネクタイは 毎回 私が用意していたけれど、
①自分の下着一式(重ねて片手で掴む)
②夫の下着一式(同上)
③ワイシャツとネクタイ
 毎回 3往復するのが 年明けの鬱状態の頃から 嫌で嫌でたまらなくなり、ストレスを溜めない為に 夫に自分の物は自分で用意するようにお願いした。
 自分の分だけ1回で運べる楽さを毎回 感じております。
 
 骨頭壊死になって 松葉杖をついてる頃でさえ、ちゃんとやってた『夫の着替えの準備』が嫌になったのは歳のせいかなぁ。
 
 痛みも不自由さも受容しながら、でも楽しい事がある幸せに感謝して もう少し頑張らないとね。

|

2018年3月20日 (火)

車椅子でお出かけ

 
 2012年に左股関節も人工関節に置換し、2013年くらいから広島へも杖で行けるように。
 
 その後、スタジアム内の短時間なら…友達と待ち合わせる飲食店街だけなら…杖も無しで。(折り畳み杖は携帯)
 
 その頃「ああ、以前は車椅子で来てたよねぇ…よく来られたなぁ…あんな面倒臭い事 もう無理だわ」と思った。
 
 その面倒臭い事を またしたんだよね…苦笑。
 
 単身車椅子での広島訪問は、着替えなどを入れたバッグが膝の上に収まらなければいけない。
 車椅子の後ろに提げる方法も工夫はしてあるけれど、あまりに後ろが重いと重心が後ろになって危険だし、荷物がタイヤに触れないようにするには、結局 荷物の幅は膝に収まるのと同じサイズ。
 
 杖で行ってた頃は、大きなキャリーバッグがお供で、歩きやすい替えの靴も入れて行った。(短時間のみのお洒落靴とスタジアム内を歩ける靴を履き替える)
 
 それが小さなバッグには必要最小限の物しか入れられず、広島の友達は「ひざ掛け 良かったら持って行くよ」「必要な物があったら準備しておくから言って」と。
 
 今回のように昼夜の温度差が激しい季節は、本来ならば夜の観戦用に厚手のコートを持って行きたいところだけれど、バッグに入れられないから着ていくしかない。
 昼間は暑かったぁ…。
 
 その膝上に収まるバッグも、下り坂だと転げ落ちるので ショルダーバッグ兼用のデザインを選び、長い持ち手を付けて首を通しておく。
 
 
 自動車の運転はとてつもなく下手っぴで 慎重過ぎてドンくさい私だけれど、車椅子走行となると 一気に暴走族と化す。
 入院中「病棟でこんなにスピード出して車椅子で走ってるのは、子どもと花桃さんだけです」と 看護師さんに言われた。
 
 年配の方や 車椅子初心者は『ひじ掛け椅子の腕』のような感覚で、リムのてっぺんよりもやや先(下)から回し始める。
 それだと少ししか回転できず、キコキコキコと小刻みに回さないといけない。多分 息が切れる。
 
 私は、てっぺんよりもずっと後ろ、腕が届くギリギリまで後ろのリムを掴み一気に回す。
これだと一回転で すい~っと進む。
推進力が残ってるうちに次の回転を始めるので どんどん加速して、さほど力を入れなくても きゅい~んと走る事になる。
 
 歩くよりも断然早いし、長時間走行してても そんなに疲れない。(翌日、腕が筋肉痛になる事はある)
 
 地元の病院や市役所などは、車椅子ユーザーには便利にできている。
でも、公共交通機関を利用して一人で移動となると やっぱり色々 面倒な事が出て来る。
 
 列車の乗降も 昔は駅員さんに言って介助してもらってた。
でも それだとスロープの準備をしてもらい、列車が到着するまで一緒に居てもらい、もちろん押して乗せてもらい…なんだかすごく大事なのよね。 
 降りる駅でも駅員さんがスロープ持って待機してくれてたし。
 
 で、ある時から 列車が到着したら車椅子を降り、荷物を車椅子に載せて 自分で列車に乗せるように。 ベビーカーと同じような事よね。
 ホームと列車の隙間がちょっと怖いけど、これは杖でキャリーバッグを持って乗降する時も 実は難関。
 周りの人の迷惑にならないように素早く杖を使って乗降するよりも 車椅子を押してた方が『障碍があるんで』の免罪符になるような気がする。
 駅員さんを拘束しないで済むのは ストレス軽減。
 先週の広島行では、地元JRの乗降で「良かったら押しましょうか」「車椅子載せましょうか」と言ってくれる見知らぬ人も居て、周りは温かく いざとなったら誰かに助けを求めればいいと思った。
 
 そうそう これも車椅子ユーザーあるあるだろうけど、厚手の服の袖口は タイヤに擦れて汚れるので、袖カバーも装着。
 長い下り坂は、リムを握ってブレーキをかけ続けないといけないので、滑り止めのついた手袋も必須。
 これらフル装備で、私の車椅子「ぴっちぃ号」は快適な走りをしてくれる。
 地元の友達やボランティアでご一緒するお姉さま達、広島の友達も 私の車椅子には慣れていて 過剰な気遣いをしない。
「手伝える事があったら言ってね」が 一番 助かる。
 スロープが見つからず 数段の階段を私は手すりを掴んで上り、友達が車椅子だけを担いで上げてくれた事もある。
 
 初めて見る人は『車椅子だから押してあげなきゃ』となり、実は 私は人に押してもらうのが怖い。
 必要な時だけ助けてもらえるのは本当にありがたい。
 基本的には「長い上り坂だけ押してください」なの^^
 後は、手動の観音開きの扉も自分で開けて体を入れてすり抜ける。
ただ…このすり抜け技術に関しては 加齢のせいか ちょっと苦手になってきた。
だから近くに人が居たら開けてもらう事にした。
 
 小さなエレベーターに乗り込む時も 上手く車椅子を切り返しして、隅っこに収まる。
先週 駅のエレベーターでそれをしたら 一緒に乗ったマダムが「まあ!お上手ねぇ! あ、ごめんなさい。失礼だったかしら」と。
「いいえ、光栄です」笑
 
 これが自動車だと 広い駐車スペースでも 何度も何度も切り返さないと停められないのだけれど…苦笑。
 
 2015年秋 中心性漿液性脈絡網膜症を発症してからは、目の焦点が合いにくく 歪みや暗さ眩しさにも苦労するようになった。
 ステッキで歩くと、地面の位置が急に近づいたりする。 人混みの中を歩く時も怖い。 転倒したら即骨折だから 転ばないように注意して。
すごく集中してて 無意識にすごく疲労してたんだと思う。
 その頃から、広島へ行っても前日練習の見学だけしたら『ホテルへ帰って寝たい!』だった。
 
 今回は、久しぶりだったのに、さほど疲労感も無かった。
これは車椅子で転倒の心配が無いのが大きいんだろうね。
 
 車椅子の面倒な事とステッキの面倒な事と ちょっと格好つけてステッキも無しの快適さと転倒のリスクと 色んな事を秤にかけると…今は「遠出する時は車椅子」がベストだなぁ。
 
 
 

|

2018年2月28日 (水)

燃えて来たーーー(!は付かない)

 股関節の痛みや その他の気がかりな事が重なり ずっと気持ちが晴れなかった。
オリンピックの実況中継も見る気にならず、夫が興奮しているのを醒めた気分で見ていた。
 
 
 今思えば少しずつ少しずつ受容して前を向き歩き始める準備は していたんだろうな。
 
 土曜日、ダゾーンでグランパスの開幕戦を観た。
吹田スタジアムは距離的には『行けるアウェイ』
でも 一昨年の夏に行って、スタジアムからシャトルバス乗車までの長距離徒歩に『もう二度と行かない』と思った。
 でも寿人の居るグランパスだしなぁ…と ちょっとは迷った。
調べたところ車椅子で行くには乗り換えが余分に必要なのがわかり「やっぱり行かない」と。
 不慣れなスタジアムではタクシーを拾う自信も無いし。
 
 で、ダゾーン観戦と相成り、寿人がスタメンじゃないのを知る…。
ジョー選手の加入で ちょっぴり覚悟はしてたから そんなにショックでは無かった。
 交代出場も無く試合は勝って終わった。
 
 ショックでつまらないか…と言うと そうでもなく。
試合は サッカー無知の私が見ていても スピード感があり、選手が連動し、この私が偉そうに
「上手いね」 「いいじゃん!」 「おーすごい!」と 何度も感嘆した。
 
 この感動も 私のレバーを切り替える力になってたんだろうな。
 
 そして日曜の朝刊で 70代女性の投稿を見つけた。
『20年間 頑張って働いてくれていた人工股関節の再置換手術を3月に控えて憂鬱な気分でいたが、箱根駅伝を見て元気が出た。5月には自分の足で大地を踏みしめたい(要約)』
 えーーー70代で再置換? 私 70歳になったら きっともう外出もしないから、その頃 痛くなっても再置換はしないつもりだった。
 それなのに この方は「自分の足で大地を踏みしめたい」と希望に満ちている。
 これを読んだ瞬間、私の心に最後の一滴が落ちて『プラス側』へレバーを切り替えるエンジンがかかった。
 
 ウィィ~ン…ピコーン!
 
 そうじゃん。 私も再置換すればいいんだ。
で、今はまだ足が着けないほどの痛みでは無いから 我慢できる所まで我慢して、最後は再置換がある!
 
 そう閃いたら もりもりと力が湧いて来た。
「燃えて来たぞーーー!」と声に出して、最初に思ったのは『ルヴァンカップ 広島へ行く!』
 
  Jリーグの日程が発表された時、真っ先に広島戦をチェックし、3月のルヴァンカップは『無理』と 即決断してた。
 まだ寒いし夜だし おまけに7時半キックオフでは日帰りできないし、無理無理無理。
 
 ところがプラス側にレバーが切り替わった途端、暑い時期より今じゃん・7時半開始なら宿泊にすれば帰りの新幹線に間に合うかドキドキしなくていいじゃん・平日なら新幹線もスタジアムもいつもより空いてるだろうし・何より行きなれた広島なら車椅子で効率的に行くルートもわかってる・寿人の広島との初対戦は見どころいっぱい・何よりルヴァンカップなら寿人も出るんじゃないか・ファンクラブ(まだサンフレッチェのファンクラブも継続してる)の招待券も使える…と これを行かなかったらもったいない!と思える事柄が次々と浮かぶ。
 
 急に燃え始めた私に「まずホテルをとらないと」と夫。
ホテルもすぐに予約でき、新幹線の時刻表も確認する。 あっという間の出来事。
 
 年が明けてから少しずつ力を蓄えていたんだろうとは思う。
友達の何気ない言葉や真心をキャッチできてた。 新聞の投稿欄の記事に目が留まった。その他の小さな偶然。
 これもすべて神様が導いてくれてたんだろうな。
 
  ただ…件名が「燃えて来たーーー!」でなく「燃えて来たーーー」なのは、私の心の小さな葛藤の現れ。
 日曜日にブログを書いてたら きっと「!」が付いてた。
3日過ぎたらちょっとだけ勢いが落ちた(苦笑)
 
 それでもホテル予約・新幹線指定席購入完了で もう後へは引けない。
 
 2012年に左も人工関節にしてから 最初はステッキで、そのうち 短距離ならステッキ無し(携帯はしてる)で広島へ行く度に「ああ、車椅子でよく来たなぁ…私 よく頑張ったなぁ…もう車椅子で来るのは嫌だわ」と思った。
 
 
 それがまた車椅子で行く事になろうとは…おまけに赤いユニフォームだわよ(驚)

|

2018年1月16日 (火)

あっちもこっちも痛い…涙

 新年早々…実は年を跨いで 憂鬱な日が続いています。
 
 2017年暮れ、翌年の年賀状のコメントは『脚力が落ちて老化が進行しています』ってのが基本だった…。
 
 思い起こせば、2017年 年明け早々に、布団の上でちょっと躓いた時、左股関節に嫌な痛みが走った。
 健常な人なら『ちょっと筋を違えたかな』って感じでしょうね。
私の場合は『人工関節にダメージ与えたかな』
 激痛ではない『嫌な痛み』は、その後ずっと続いた…回復しなかった。
その痛みが『私の普通』になっていった。
 
 で、夏の亜脱臼。
 これも今思うと『人工関節が緩み始めてたから亜脱臼を起こした』んだろうなぁ…素人ドクターもどきの見解(笑
 
 ここからは、すべてが素人ドクターもどきの独断と偏見による妄想です。
 
 亜脱臼は自然治癒できたから良かったけど、あれからまた一段階 左股関節は弱くなった。
 また脱臼するのが怖いから用心するし、左股関節を庇うから腰や膝に痛みが出る→変な歩き方をする→更に股関節に負担→痛みが増し庇う→なるべく歩かない→更に筋力が落ちる・・・負のループ。
 
 毎朝、起きた直後、室内が歩きにくいのに気づいたのは 去年の春だったかな。
最初はスリッパが悪いんだと思って 違うデザインのものに替えた。
 一瞬はそれで改善できた気がしたけれど、結局『歩きにくい』のが普通になってしまった。
 
 外出時は滑って転ばないように地面を踏みしめたり、そろそろと歩いたり。
下りのエスカレーターは 見えにくいのも手伝って恐怖! なるべく避ける。
 そもそも外出は、日常の買い物・仕事・ボランティア・母の特養訪問・友達と会うくらい。
車から店や建物へ徒歩5分くらい。
 一番歩くのがスーパーの中での買い物(笑
 
 唯一、サッカー観戦はスタジアムが広いから けっこう歩く。階段も上り下りする。
亜脱臼の後や あまりに痛みが酷い時は、ぴっちぃ号(マイ車椅子)使用。
 でも豊田スタジアムの車椅子席は、最後列で私の目では選手が…いや寿人が見えにくい。
 葛藤しつつもステッキや車椅子を上手く使って、1年間 グランパス寿人を堪能できた。
 
それが無かったら、本当に必要最小限の歩きしかしなくて、もっともっと脚力落ちてただろうな。
 
 なのに・・・なのに・・・。
 ここんとこ、左股関節の痛みが急激にひどくなってきてる。
『骨頭壊死により 股関節の変形が始まった頃』と似た痛み方。
 
 おまけに、右足の裏が痛み出し…。
これは、以前にもやり 自分で『モートン病』と診断。 湿布などで誤魔化してるうちに治った経験がある。
 今回は踵なので、足底筋膜炎かもしれないなぁ。
 ネットで調べたら、これもよくある病気みたいで、モートン病と同じように自然に治るんじゃないかと楽観してる。
 
 それよりも重大なのが 左股関節。
 こればかりは自然に治る事が無いんだよね。
 ちょっと前までは、寝てる時は痛みが無く、目覚めて起き上がった時 嫌な痛みが走り「あぁ~」と朝一番の『気が滅入る』瞬間だった。
 近頃は寝てても ちょっとした動きで痛み、目覚めた瞬間に「あぁぁ~痛いなぁ」となる。
 痛みの強さで言えば、右足裏の筋膜炎の方が強いんだけど、股関節の痛みは『これから逃れるには人工関節置換手術しかない』と発展するので、負のイメージで痛みが倍増する。
 気が滅入って仕方ない。
 
 車の乗り降りも痛みの為に ちょっと難しくなってきた。
これも慣れていくんだろうね…。
 2012年、左の人工関節置換手術をする前までは、この痛み(多分、今よりももっと痛かった)が日常的だったんだよね。
 PCの前にじっと座ってる時は、ほとんど痛くないけど、椅子から降りる時が痛い。
「うっ!」と唸る程の痛みではないんだけど。
 人工関節の緩みを実感し憂鬱になる。
 
 ただの筋肉炎だといいなぁ…。
 少しずつ痛みが和らいで いつの間にか忘れてるってなるといいなぁ。
 
 花桃ブログを読んでくださってる人にはおなじみの『花桃思い込みで大げさに大騒ぎでした』だといいなぁ・・・。
 
 体のどこも痛くない…って どんな感じだったんだろう? 忘れちゃったよ。
 こうして座ってれば『体のどこも痛くない』状態なので、感謝しなきゃね。
ずっと椅子に座っていたい。
 
 
 

|

2017年9月 7日 (木)

やっぱり妖力使い

 
 長くお付き合いしている同病のMさん。
 隣町に住んでいるし、同じ病院に通っている時期もあったので、会おうと思えばいつでも会えるんだけど、お互いに制限のある身なので、頻繁には会えずにいる。
 
 そして彼女は『自分よりも相手の気持ちや都合を優先する』人。
私が無神経なお節介をすれば 彼女は全力で応えようとしてくれちゃうので、押しの強い私は、そこは気を付けているつもり。
 
 5月に彼女のブログで『関節固定手術を受けた』のを知った。
 もっと前にする予定だったのが骨折によって延期になったのは知ってた。
 
 そういう経緯があるので『振り回しては申し訳ないと思って事後報告』と 彼女らしい気の遣い方。
 私の通う病院か隣町の市民病院なら 私 お見舞いに行こう!って なるからね。
 
 その5月のブログは「傷が早く治るように、そっと応援してください」と結ばれていた。
ここで 普通なら『厚意』の押し付けをする私が ちょっと立ち止まった。
 
  私なら『しばらくは面会するのもしんどいので、会えるようになったら こちらから連絡します』とでも書きそう(実際、入院すると友達には『しばらくは人に会えない。会える状態になったら連絡するから面会に来てね』と連絡する)だけれど、彼女は そんな風に厚かましくは言わないのよね。
「そっと応援してください」は、そういう事なんだろうなと理解した。
 
 そうしているうちに、気温・湿度・紫外線上昇の苦手な季節が来て、その上、人工股関節亜脱臼というアクシデントも重なり、私の外出も必要最小限になってしまった。
 
 手っ取り早い連絡は、PCメールなんだけど、彼女がPCを開ける状態なのかどうかも不明。
 ブログも更新されてないから、もしかしたら想像以上に大変なのかもしれない。
 
 いろいろ考えた。
 
 彼女と私の 一番安心できる連絡手段は『手紙』
 でも、もし彼女が 私が思う以上に悪い状態なら、開封する事さえ難しいかもしれない。
 
 あれこれ余計な事を考えて、手紙も書けずにいたんだけれど、4日(月)の夜、何かに突き動かされるように躊躇なく手紙を書いた。
 「お返事は要らないです。 でも Mさんの妖力で『読んだよ~』と知らせてね」と結んだ。
 
 
  『妖力』とは、Mさんと私の間で使われる特別な力。
 
 昔、マンションに住んでいた幼い女の子の事をブログに書いたら、すぐに彼女から手描きの『女の子のイラスト』が送られてきた。
 その女の子は、私がブログには書かなかった『くるくるくせ毛のツインーテール』
 なんで分かったの!? どこかで見てるの?
 
 他にも私に起きる色んな出来事を予知してたか 見てたかのような事が数回あり「Mさんには妖力がある」と認定。
 
 久しぶりの手紙も その妖力に頼って5日(火)の通院の朝、投函したのでした。
どんな形で知らせてくれるかなぁ~ 楽しみでもあった。 
 
 そしたら!!
 なんとMさん、5日に3ヶ月半ぶりのブログを更新してたのです。
おまけに、私が手紙に書いた事の相槌のような答えのような内容。
 
  5日の朝の投函だから、手紙はまだ届いてないはず。
「やられた~~~~(笑)」と 思わず声が出る。
 
 おそるべし妖力使いのMさん♡

|

2017年7月20日 (木)

またまたお騒がせの顛末

 2回目の整形外科受診してきました。
 
 CT画像も「良かったですね。問題無しですよ」でした。
でも まだ軽い痛みはあるの・・・。
そして、あの違和感と痛みの理由は 人工股関節の緩みじゃないのなら何だったの?
 
 で、ここ数日 思っていたことを聞いてみた。
 
「脱臼しかかったって事は考えられませんか?」
「脱臼したら痛くて歩けませんよ」
 
 痛くて歩けなかったんだよーーー。
 
 普通の人なら救急車か緊急外来へ行くレベル。
 人工関節の緩みを疑った私は『土日に行っても専門医が居ない可能性が高いから 何もしてもらえないだろう』と考えて月曜日まで待ったんだよー。
 
 あらためて異変が起きた状況を詳しく説明したら
「脱臼しかけてた可能性はありますねぇ。 でもそれで脱臼しなかったのは、T先生の手術が上手だったって事ですね」
 自分も同席した手術を担当したT先生が本当に大好きなのね^^
もしかして…自分も主要部分に『参加してた』?
 
 ネットで人工股関節の脱臼(亜脱臼)を調べたら・・・あるわあるわ。
そして ああ、私やっぱりこれだったわ!と確信する。
 で、土日、自分で痛みが和らぐ体勢を取り、クッションを膝の下に立てて寝たのは 素人とは思えない見事な対処だった☆☆☆自画自賛。
 
 ただし 置換してから、右股関節13年目、左股関節5年目で 置換当初の慎重さは だんだん低下してた。
 人工股関節置換後の注意点をネットで検索してみたら あ~そうだったわ~こんな事もダメだったんだ~と愕然とした。
 
 それでもね、慎重派の私は 最初に教わった事がしっかり身についていて『正座・かがむ・足を組む』などの禁肢位は 意識しなくても避けて暮らしてたの。
 術後、同室のご高齢の女性が 落ちたものを拾う為にしゃがんがり、足を引き寄せて靴下をはいたりするのを見て悲鳴をあげたなぁ。
 
 私は今でも足の爪を切る時 独特のスタイル(絶対に見せられない)とってますから~。
 
 
 件の若いドクターが「脱臼は癖になる人もいるので、今回の事を良い警鐘として気を付けて生活してくださいね」と 診察室から送り出してくれた。
 
 ですね。
 
 ただ、同様の状況になったら「亜脱臼だな」と思って さらに落ち着いて対応できるわ。
 
 久しぶりの車椅子外出(介助者無し)は、転倒の心配しなくていいし、平たんな場所だけなら歩くよりもスムーズだし、荷物を膝に乗せたり後ろのバッグに入れたりすれば 止まってる時は両手も使えるし 良い事づくめ。
 公共交通機関を使う時は少々 不便を感じるけどね。
 
 骨頭壊死になった時、大腰筋などを鍛える運動も指導されて、真面目にコツコツやってた。
 ・仰向けに寝て 足首におもりをつけて20センチくらい上げて止める。(SLR)
 ・横向きに寝て 同じくおもりをつけた足を開いて上げる。(外転運動)
 ・うつぶせに寝て おもりをつけた足を後方に上げて止める。(伸展運動)
これを復活させた!
気のせいか、これを数セットやった直後は、股関節が軽くなったような気がする。
 今 昔買った本を開いたら、上記の運動毎日30分くらいしてください・・・だって。
あたくし・・・10分もやってませんが。
 そして このページの下には「体重を減らしましょう」の一文も!!
 
 ぎゃーーー今回の一番大きな原因は これだったかーーー!
 
 
 

|

2017年7月13日 (木)

これも神様のポイントシール還元?

 
  左太ももの軽い痛みと違和感は続いている。
 
でも8日に発症した時のように『松葉杖を頼りにしてもへっぴり腰』ではなくなって、室内はステッキで移動できる程度にはなった。
 
 じっと座っていれば痛みも違和感も無いけれど、動くと『ダメな肢位』がある。
 
  左脚をちょっとねじる(椅子に左側から座るとか、ちょっと腰を前かがみにするとか)と、股関節に痛みが走る。
 
 左股関節を人工関節に置換する前と似てるなぁ…。
 
 レントゲンでは異常は見つからなかったけれど、CT撮れば何かわかるかも…。
 でもわかったところで、治療は人工関節再置換しかないよね。
 
 ふぅ・・・。
 買い物するにも 日常的な家事をするにも 片手が使えないのが不便。
 ちょっとした動きの度に痛みが走るのも不快。
 
 「こんな足ーーー!」と 声に出してあたる。
 
 でも・・・先週末の座っててもどうやってても太腿に太くてかたい棒が入ってるみたいな違和感や 仰向けで足を真っ直ぐ伸ばして寝られない状況を思い出せば「この程度まで回復できてよかった~」なんだよね。
 
 そんな状況ながら、昨日はパロマ瑞穂スタジアムまで行って来たのでした。
 
 最寄りのJR駅まで車を運転し、車椅子でJRに乗車、金山でタクシー。
身障者駐車場も使わせてもらえるので、スタジアムまで運転すれば一番楽なんだけど、名古屋市内を運転するのが怖いのよ~~~。
 
 車椅子でJRに乗ると、皆さん親切にしてくれるの。
 
  以前は列車が到着する直前に杖で立って、荷物を車椅子に積んで自分で車椅子を列車に乗せてたのを 久しぶりの乗車ですっかり忘れてて、列車が到着した時もぼんやりと待ってた。
 慌てて立ち上がったら、近くにいたサラリーマン風の男性が車椅子を持ち上げてくれて助かった~。
 
 長い足の席の前に大きなバッグを置き、その上に90度に渡した傘が飛び出してて通れないのよ~坊や~! と 顔を見るもスマホのゲームに夢中で気づかず。
 仕方なくそちらを諦めて反対側の手すりにつかまってたら(車椅子のストッパーをかけても念のために摑まる)近くに居たおば様が自分の安心スペースを空けてくれた。
 
 件の坊やには「私が車椅子だからというだけじゃなく、傘を立てておけば他の人の邪魔にならないのよ」と教えてあげるべきだろうなぁ…と考えていたら、心の声が聞こえたのか、数分後に立ててました(笑
 
 通勤通学ラッシュを避けて早めに出たけれど、金山駅では結局 人混みをかき分けて走る事に…端っこを走っていると、対向してくる同じように端っこ狙いのお年寄りまでが道を譲ってくれる。
 
 「ありがとうございます」いっぱいの往路でした。
 
 
 レミちゃんは、悪天候予報に行くのを迷っていたけれど、私が「寿人 1トップか2トップでスタメンらしい。車いす席は豪雨でコンコースに避難する時もスムーズだよ」とそそのかして「もう迷わない!」と言わせた。
 
 『天皇杯をレミちゃんと二人で観戦すると寿人ゴールあって勝つ』を成立させたい。
 
 
 レミちゃんと観戦した2試合(天皇杯・リーグ戦)とも、雨予報ながら本降りにはならなかった。
今回も、試合前はポツリとも降らず。
 土砂降りの中、レインポンチョ車椅子でスタジアム入り口で待ち合わせる予定が余裕余裕~♪
 
 しかしながら・・・寿人はスタメンでは無くて。
二人ともスタメンのつもりだったので、試合前にメインスタンド側で練習しているメンバーを見て「龍くん いるねぇ」「竜士くんもだ」
・・・「あれ? こっち側がスタメンじゃん。 じゃあ 寿人は…」と やっと気づく。
 
 試合が始まり、二人で手拍子し、プレーに声を上げながら、目の前でアップしている寿人を見ては 時々「うふっ」と顔を見合わせて笑ってしまう。
 
 後半開始。
 
 寿人が呼ばれてビプスを脱ぎ、監督に指示を受けてるのを見て、レミちゃんとパッと顔を見合わせて目を見開いた。
 その時、何度目かの雷鳴と稲光が・・・。
 
「雷雲が接近しているので試合を中断します。選手や観客の皆さんは 屋根のある席やコンコースに移動してください」とアナウンス。
 え~~~せっかく寿人が呼ばれたのに~。
 
 でも 試合中断で避難というソフト異常事態は初めての経験でちょっとワクワク。
「25分から再開します」のアナウンスが流れ、コンコースに居た人たちから歓声があがる。
 
 スタンドに戻ると すでにピッチでは選手たちがボールを蹴ってた。
 
 中断して再開するのって、体も冷えるし気持ちの勢いも削がれるし、いろいろ大変かもしれないなぁ…でも寿人投入から見られるから嬉しいなぁ~。
 
 そしたら再開のホイッスルより先に再びの雷鳴。
間髪入れずに「コンコースなどに避難してください」のアナウンス。
 選手たちもアナウンスと同時に 駆け戻って来る。
 寿人、なぜかベンチに戻る。
 スタンドから「観客よりも選手を早く避難させろ!」と男性の声。続いて「寿人 早く戻れ」
私達も 出入り口に向かいながら「寿人ぉ~早く来やあ~」
 
 寿人と他に2人がスタンド下に戻って来るのを目の端で確認しながら 私達も退避。
 そして間もなく「中止」がアナウンスされた。
 
 
 さて、そこから私の長い旅が始まる事になるとは・・・。
 
 タクシーに乗るまで一緒に待つと言ってくれるレミちゃんを「皆と一緒に帰れるうちに帰って。一人で地下鉄駅まで歩くの危ないから」と強引に帰らせる。
 後で思えば正解だった。 お家でご主人は市内の豪雨のニュースで心配されてたと思うし。
 
 警備員さんが「待機タクシーを流しましょう」と言ってくれるも、いつもなら待機してるタクシーがおらず(この時 すでに名古屋市内では大混乱だったらしい)
「すみません、ご自分で呼んでください」と。
 
 家を出る前に登録しておいたタクシー会社に2社目で繋がり配車をお願いした。
が、駐車場の位置がわからないらしく(パロマ瑞穂スタジアムは 複数の競技場があって紛らわしい)何度も電話でやり取りし、警備員さん達も無線で連係して誘導してくれて、やっと
 
 タクシーに乗れたのが10時10分。
 JR金山駅で降車し、JRの改札口へ行くと まさかの「運転休止のお知らせ」
復旧の目処もたってないとのこと。
 地下鉄の代替えが案内されてるけれど、結局それでもK市の駐車場までは行けない。
 
 意を決してタクシーを拾う…これがまた苦戦。
 やっと乗れたのは11時過ぎ。
 
「すごい雨でしたね」と運転手さん。
???
 スタジアムでも金山までのタクシーでも それほどの雨じゃなかったの。
JRが止まってるのも不思議だった。
 
「鶴舞は冠水してましたよ。この車もさっき水没しかけました」 ひぇ~~~。
 その鶴舞を通り過ぎる時、パトカーや警察官はたくさん居たけれど、水は無し。
 
 帰宅後、ニュースで その後、私がタクシーで通った所二か所が冠水してた時間帯があったのを知った。
 ずっと大渋滞だったけれど、冠水の恐怖を味わわずに済んだのは幸い。
 
  きっとタクシー帰宅する人がたくさん居たんでしょうね、夜遅いのに道路は反対車線も車びっしり、タクシーがいっぱい。
 
  私は、駐車場が閉まる12時までに着けるのか、お金が足りるのかが心配になって来た。
 12時過ぎてしまったら、翌朝、またタクシーで取りに行くしかないな…お金が足りなくなったら、家まで来てもらうか…と 段取りして気が重くなる。
 
 
 結局、11時45分に駐車場に到着。
 お金も スタジアムに行く時は いつも少額しか持って行かないのに、なぜか昨日はお札を2枚入れてて助かった。
 
 タクシーの乗り降りの時は、土砂降りでは無く、車椅子を出し入れしてくれる運転手さんも私も濡れずに済んだ。
 
 こんな大変な観戦になってしまったけれど、終わってみれば無事に帰宅もできたし、寿人が投入されるのも確認できたし、めでたしめでたしな感じ。
 
 タイミングが少しずれていれば、タクシーも足止めされ、車の乗り降りでずぶ濡れになり、翌日 車を取りに行かなければならなくなり、駐車料金もかさみ・・・だった。
 最初の試合中断も もう数分、雷鳴が早かったら寿人の交代を確認する事もなく「寿人出番なかった」となってたよね。
 
 神様のポイントシール 還元されたのかもしれないな。
 

|

より以前の記事一覧